交わらない心
交わらない心
結局、布団に入ったがあれから何度も悪夢でうなされて、眠るどころではなかった。
朝日がチカチカと目を刺激する。
まだ、6時前…。
時計を見ると静かに、でも確実にその時刻を刻んでいる…。
その時、ドアが開いて俺の親と呼ぶべき男が入ってきた。
「今日は此処を一歩も出るな。いいな」
「……ッ」
逆らうと、一日中殴られるからとか、それが怖いから何も言わないとかそんなんじゃない。
精神的にこいつを受け付けないんだ。
俺の体、心のすべてが…。
「…あと、いい加減何か話したらどうだ? 俺の息子は口が聞けなくなったのか?」
ふんと鼻を鳴らして俺を見下してくる。
この性格も嫌いなんだ…。
「…っ。俺の、携帯。返せよ…」
やっと出せた言葉がこれだ。
自分が情けなく思う。
怖くて…、嫌いだから話がしたくない…。
「くっククッ。あァ? それだけかァ? ハハッ…。ほらよ」
そう言って奴は、自分のポケットから俺の携帯を取り出して、チラつかせてくる。
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、口を開いた。
「……昨日な」
俺が携帯を奴から掴もうとした途端、またポケットにしまって話をしだした。
「昨日、お前のお友達、という子から電話が掛ってきた。この携帯に」
ニヤニヤと腹の立つ笑いをこちらに向けながら奴が話をする。
嫌な汗が額から噴き出て、ポタリと床に落ちる。
「偶然ってのはスゲェよなァ? あの、浅生隆也の息子だ」
「…!!」
その、名前は俺でも知っていた。
それはあの人が有名な小説家であり、そして昔、よく親父があの人の名前を口にしていたのもある。
「まさか…てめ…ッ…!」
「ああ、そうだ…。言っただろう? 殺せ、と。隆也の息子なら…なお更の事…」
恐れていた事が今、まさに始まってしまった。
奴は、満面に不気味な笑いを浮かべて俺を見つめる。この顔が大嫌いだ。
いてもたっても居られなくなり、俺は奴に話しかけた。
「なぁ…ッ。何が楽しいんだよ!? 俺たち家族苦しめて…! それで父親のつもりかよ!?」
「…“俺たち家族”? 家族は俺とお前だけだろう?」
背中越しにそう、言い放った奴はゆっくりと去って行った。
「…っ。誰のせいで……こんな事が起こってると思ってんだよ!!」
吐き捨てた言葉はこの広い部屋に虚しく響いて消えるだけだった。
無償に腹が立つ…。
親父にも自分の不甲斐無さにもだ。
俺は棚に置いてある香水の瓶に目を向けた。
嫌でも、思いださざるをえないあの思い出…。俺が罪を償える印がこの香水瓶数本だ…。
―オマエガヤルンダ…―
―嫌だ…! 嫌だ!! 出来ないッ―
何故、奴はあんな事を言ったんだろう…。
今になってもその謎が解ける事はない…。
俺も、俺だ。何故あの時、ちゃんと断れなかった?
いや…違うな、逃げ出したんだ。
あの時俺は…あの場から逃げた。
何もかも嫌になって。
「あいつから逃げるなんて一生無理なのかもな…」
*****
半分諦めかけたその時コツコツと窓の戸を叩く音が耳に入った。
俺はカーテンを開け放ち、音の正体を確かめた。
そこには、俺の親戚で親父の部下をしている高校生、野坂零の姿があった。
「よ! おっはよーさん♪」
「…何か用か?」
「いや、吟が哀れに泣きすすりながら俺様に助けを請う姿が見たくてなー」
「……」
「あ、何閉めようとしてんだよ! 冗談に決まってるだろ!」
「…半分は本気だろうが…」
「あっははは! 当たり…って! またッ! 閉・め・ン・な!!」
零は、ゼィゼィと荒い呼吸を吐きながら、部屋の中に入って来た。
「白兎に伝えに行く前にお前の顔を見ておこうと思ってな。…思ってたより元気そうで安心した」
ニッとこちらに涼しい笑いを向けてくる。
「…別に。お前に安心されても嬉しくもなんともねぇけどな」
「あ、なぁーに! 照れちゃってんの~? お前、たまぁーに可愛いよなぁ」
しみじみと言われても嬉しくもなんともない。
むしろ、何故、俺を可愛い、などと言えるのだろうか?
可愛いという単語はむしろ浅生に使うのではないだろうか…?
そんな疑問も浮かんだがとりあえず、今の俺には怒りや焦りといった事しか出てこない。
「…あんま、此処に居ると親父に見付かるだろ…さっさと行けよ」
「…吟。お前には理解出来ないと思うけど、俺達の頭は絆さんなんだ。どんなに悲惨な心を持っていても…俺達の…」
「…ッいいから!! もう…帰れよ…」
「…じゃ、行くわ。俺。…お前もあんま悩むなよ…」
そう言って零は、またベランダから中庭に着地し駆け足で去って行った。
おかしくなりそうだ。
俺がこの家に居る事も親父の会話をする事も。
今まで避けていた分余計に…。
この家は親父の家であって俺の部屋じゃない。
高校に入る時に俺はこの家を出た。
何もかも残して。
最初は中学の時に仲の良かった奴の家に同居させてもらってたけど、バイトして金もそこそこ貯まったから知り合いが経営してるマンションに移った。
ふと、そんな記憶がよみがえり俺はしばし、布団に顔を伏せて固まった…。
「…そういえば、零、浅生に俺の事心配すんなって伝えてくれんのか…いまいち不安だな…」
まぁ、後で零はそんな事一言も言ってくれてなかった事が解るけど…あいつの事だから予想はついてたけどな……。