act.7 あっと言わせてやろうぜ
向ヶ丘のゴールキックで試合は再開されようとしていた。
帝凌中はDF三人、MF四人、FW三人の、三・四・三システムを採用していた。
三人のFWのうち、センターフォワードの菱木だけはもう一段前に構えていて、実質上のワントップ、三・四・二・一システムとも言えた。
スリーバックも積極的に攻撃に加わるこの布陣は、攻撃重視を信条とする稲森の自信の表れでもあった。
対して向ヶ丘中イレブンは、守り主体の五・三・二システムだった。
帝凌の攻撃力を警戒してのことではない。いつものことなのだ。
攻撃は二の次。
それでも負けてしまう。
今回は強豪帝凌中相手ということで、もう一人ずつ下げて、六・三・一としていた。
それでも三点とられてしまう。
同じワントップでも意味あいがまったく異なっていた。
仲間達が相手陣内へと上がっていくのを見届け、ボールを置いた宗一郎がみさきを眺める。
「みさき」
その呼びかけにみさきが顔を向けた。
「実はよ。みんな気づいてねえが、もう一つ記録かかってんだ」真剣なまなざしだった。「今度負けたら、先輩達のと合わせて三十連敗らしい。部創立以来の快挙だってよ」
「ふん……」頷くみさき。余裕しゃくしゃくの帝凌イレブンを真正面から見据え、不敵に笑ってみせた。「負けなきゃいいんじゃない」
みさきの明るさに宗一郎も気を取り直したようだった。
そしてなんとか膠着状態のまま、前半終了を迎えるに至った。
「やあー、気分いいぜ」タオルで汗を拭い、満足そうに裕太が言い放った。「帝凌の奴ら、手も足も出ねえんでやんの。さすがみさきちゃんだねえ」
他の一人と顔を見合わせて笑う。
それを宗一郎がくさした。
「手も足も出ないのはこっちも同じだろうが」
「そりゃそうだけどよ」
「ガンガン行こうよ、ガンガン!」
陰鬱な雰囲気をものともせず、みさきが勝手気ままに騒ぎ出す。
たまらず宗一郎が制止した。
「わ、バカ、おまえ騒ぐな。バレる」
「何よ! 宗一郎がキャプテンのくせにそんなだから……」
「わかった、わかった」両手でその口を覆った。「わかったから、もうでしゃばんな」
「むごおっ!」
「三点差か……」
二人のやり取りを楽しそうに眺めていた古田が真顔になって呟く。
右足には包帯を巻いていた。今度は本当の捻挫である。
「このままで終わるかな」
「ちょうどいいハンデじゃないの」
みさきがそう言って笑うと、裕太が隣の選手に耳打ちした。
「ほえ~、俺たちゃ帝凌にハンデやるほど強かったんだな」
「それ、みさきちゃんには言わねえ方がいいぞ」
そんなやりとりなどつゆ知らず、ふいに宗一郎がキラリと目を光らせた。
「このままで終わらせてたまるかよ」
何故か自信満々だった。
「どうだ菱木、あの十三番は」戻って来るなり菱木をつかまえて、稲森がたずねた。「あれだけの選手を相手にするのは久しぶりじゃないのか」
「たいしたことないすよ」
髪をかき上げながら菱木が答える。しかしその表情からはいつもの余裕が消え失せていた。息継ぎも荒い。
「それならいいが、後半はわからんぞ」
「どういうことですか」
「彼はまだ本当の力を見せていない」口元に笑いを浮かべながら稲森は続けた。「あの選手の実力はあんなものじゃないはずだ」
「あたしが攻撃に!」
後半開始間際、宗一郎に何事かを告げられ、みさきが素っ頓狂な声をあげる。
それを見てもなお、こともなげに宗一郎。
「おまえ本職FWだろ」
「ん、だけど……。でも、そしたら守りが……」
「もちろん守りもやってもらう。裕太を少し下げるけど、やっぱ不安だからな。リベロだ」
「リベロ……」
「おまえやりたがってたろ」
「……ふん」
リベロとは特定のマークをもたずにフリーに動き回り、攻撃にも積極的に参加するプレイヤーのことだった。古くはフリットやベッケンバウワーなどが、これらのポジションをこなし有名である。
「帝凌はディフェンスライン薄いからな。おまえなら一人でも突破出来るはずだ」
「……」
「なんだったら、ワントップでもいいよ」
裕太が横入りしてくる。いつになく真面目っぽい様子だった。
「俺達全部守りにまわっても、みさきちゃん攻撃行った方が点取れるだろうしな。頼りにしてんだわ。結局、俺らさ」照れ臭そうに、「みさきちゃんのファンだしよ」
照れた顔を見合わせて、仲間同士、いや~、と笑い合った。
「裕太君……」
「おまえならやれる。流れこっちにもってくるにはこれしか方法がないんだ。おまえが」宗一郎がみさきの両肩をガッシリとつかんだ。「おまえが俺達の切り札だ」
みさきの心臓からドキドキと鼓動が伝わってくる。みんなの心を知ったからだった。
認められた。
今、向ヶ丘中サッカー部のイレブンとして。
この期待に応えなければいけない。
いや、応えたい。
そう心から思った。
「わかった」ふっと笑ってみさきが頷く。力強い微笑みだった。「あたしやる」
「よーし、勝負はこれからだ」宗一郎が拳を叩き合わせた。「何はともあれ、帝凌の奴ら、あっと言わせてやろうぜ」
「あっ!」
「おら、おまえが言ってどうする」
ダッシュしかけたみさきが、ぽかんと口をあけて振り返る。目を見開き、口をぱくぱくさせながら、宗一郎の胸倉を両手でつかんだ。
「宗一郎、思い出した」
「何をだ」
「ほら、あいつ」突然菱木を指さして、ぎゃーぎゃーわめき始めるみさき。宗一郎のユニフォームは引っ張ったままだった。「ヒジキだよ、ヒジキ」
「こら、ひっぱんな、伸びる。ん? ヒジキってどっかで聞いたことあるような……」
「知ってるでしょ、宗一郎も。ほら、少年サッカーの時、地区予選でケロンパスと対戦した、FCキンキンの十番」
「ああ、ああ!」つられて宗一郎も目を剥いて騒ぎ出す。思い出したのである。「マジ? あいつか、ホントか!」
「間違いないよ。変な名前だったから覚えてたんだ」自信をもってみさきが頷いた。「あの憎たらしい顔。昔とおんなじだよ」
菱木が髪をかき上げ、ちらりとみさきの方を見た。
ふんと鼻で笑う。
「きゃあー! パワーアップしてるー!」
「おい、落ち着け、落ち着け」
三年前、宗一郎の所属していた少年サッカーチーム、永谷ケロンパスエイトは、エース菱木率いるFCキングオブキングスと地区予選で対戦した。
当時みさきは他の女子チームに所属していたが、始終ケロンパスの練習に顔を出していたため、また監督同士の交友もあってか、大会の時だけ臨時で移籍参加したのである。
当時からレギュラークラスの男子さえも圧倒する実力を持つみさきを利用して、何かと因縁のある名門チームに一泡ふかせてやろう、などという弱小チームの野心がかなり影響している。
だがチーム力の差はいかんともしがたく、みさき達もよく健闘したものの、結果は四対三でキングオブキングスの勝利。
その年キングオブキングスは全国少年サッカー大会で、ベストエイトにまで進出した。
ちなみにヒジキとは宗一郎達が『菱』という漢字が読めなかったために、勘違いして使用していた菱木の名称だった。口に出すと印象が違って聞こえるために、気がつかなかったのである。
「まさかあのヒジキとはねえ……」ふうと荒々しく息を吐いて、宗一郎がグローブごしに拳をバチンと叩いた。「憎たらしさだけじゃなくて、三年間でまたうまくなってやがる。こりゃもう、なんともしようが……」
「負けらんないね」宗一郎の声も耳に入らず、みさきが頷いてみせる。勝手に発奮して走り出した。「絶対、負けらんない!」
「……」
セカンドハーフが始まった。
直前に向ヶ丘のラインナップを見渡して、帝凌陣営は憤慨していた。途中出場のスイーパーが最前線にいる。いくら駒が足りないとは言え、馬鹿にするにもほどがある。
だが、稲森はそれを当然のように受け止めていた。
そして菱木も。
「あの野郎」菱木がギリギリと歯がみした。
ボールを蹴り出したのはみさきだった。
ちょこんと味方にパスし、それをまたみさきに戻す。
その直後、一陣の風が帝凌エンドに吹き荒れる。
少女のように華奢な少年が、ボールをキープしたまま、陸上競技のトップアスリートのようにダイナミックに駆け出していた。
「来るぞ、来るぞ!」
予想外のみさきのスピードに、帝凌中DF陣が浮き足立ち始める。まさか正面から一人で突破してこようなどとは、夢にも思わなかったのである。
なめられたことに腹を立てた中盤の選手が、みさきのチェックに向かう。
が、フォローの選手もろとも、フェイント一つで二人の相手の間をみさきがすり抜けていった。
そのドリブルは繊細かつ正確、そしてパワフルでもあった。
ただでさえ上がり気味のディフェンスラインが、たった一人の選手にかき回されようとしていた。
「くっ!」
見事な速攻だった。
右サイドの味方にヒールでの壁パスを通してマークをかわし、みさきが再びボールをコントロールする。
中央から切り込もうと、もう一度逆サイドのフリーの味方にワンツーを通そうとしたその時、みさきへ渡るはずのパスがカットされた。
菱木だった。
みさきを警戒して、一早く戻っていたのである。
「!」
菱木のポジションもフリーだった。
「チビがいい気になってんじゃねえぞ」
大きくクリアして、菱木が吐き捨てた。
敵意剥き出しである。
「チビで悪かったな」むっとなってみさきが睨みつける。「ヒジキのくせに!」
「な!」
菱木が足を止める。
走り去って行くみさきを不思議そうに眺め、首をひねった。
『何故昔の俺のあだ名を……』
応援席がざわめき始めていた。
スタンドのほとんどが帝凌中の補欠部員達だったのだが、それに交じって一般の女子生徒(菱木のサポーター達)や、わずかながら向ヶ丘の応援もいた。
その全員が、今のみさきのプレーに沸きかえったのだ。
「すっげえな、みさきちゃん」
みさきのかわりに下がった裕太が宗一郎に呟く。
「ったりまえだ」別段驚くそぶりも見せず、淡々と宗一郎が言った。「あいつが本気で走ったら、うちでついてける奴ぁいねえよ。いや」すぐに訂正する。「あっちにだって、いやしない」