act.3 ぶっとばすぞ
練習後のグラウンド。
夏前の夕暮れ時ともなれば、結構な時間である。
そこで一人の少年がサッカーボールを蹴り続けていた。シュートの練習をしているのだ。
「おう、古田」
その声に少年が振り返る。
宗一郎だった。
「おう、宗一郎か」
「何やってんだ、一人でよ。シュート練習か」
「ああ」古田が照れ臭そうに笑った。「混戦になるとDFにもチャンスくるだろ」
「俺もつきあうわ」
「いいよ。一人でやるから。おまえ帰れよ」
「なんだよ、一緒にやった方が張り合いあんだろ」
「まあな……」
「俺も練習しとかねえといけねえしな」宗一郎がニヤリと笑った。「五十点も取られるわけにゃいかねえし」
「ははっ」
古田が笑う。その後、すぐに真剣な顔になって言った。
「悪かったな、この前」
「?」
「新記録つくっちまっただろ。俺がぶつかんなきゃ、おまえ、最後のおさえてたのにな」
「あー」思い出したように宗一郎。「確かにおまえのせいだ。でもあんだけやられたら、もう関係ねえやな。一対〇と二対〇はすげえ違うけどよ、九対〇と十対〇はおんなじだ」照れ臭そうに笑う。「またすぐに新記録つくっちまいそうだしよ」
「ごめんな。DFがちゃんと守れないから」
「バーカ、FWが点取れねえから攻められちまうんだよ。野球じゃあるまいしよ、なんでこうもはっきりと、攻撃と守備に別れちまうんだろうな。攻撃がないぶんだけ、野球よりタチ悪りぃけどな」
「はは」控えめに古田が笑った。宗一郎をちらと見てから、涼しげな顔をして話し始める。「でも俺、思うんだよな。今度は公式戦だからな、奴らベストメンバーとは言わなくても、ベンチ入りしてる中でそれに近い戦力出してくるよな。一年生ばっかで十対〇だったのに、それ以上の戦力で七、八点しかとられなかったとしたら、そんだけでも俺ら、やった意味があるんじゃないかなって」
「情けないこと言うなよ」バツが悪そうに宗一郎。「せめて五、六点って言っとけよ」
「かわんないな」
「どっちにしろ情けねえ」
二人で笑い合った。
「でも、少しは気分いいぜ。宗一郎」
「まあな。奴らビックリするだろうな。三軍相手に十点も取られたチームがガムシャラになってぶつかってきて、簡単に点取れなくなってんだもんな」
「なってるといいけどな」
「だな。……さってと」宗一郎がボールを手に取った。「やるか。もうちっと暗くなるまで」
「おお」
古田がボールに近寄る。それからまた足を止めて、ぼっそりと言った。
「なあ、宗一郎」
「あん」
「俺、考えたんだけど」
振り向く宗一郎。
古田の顔は真剣だった。
「昼間、みさきちゃんがどうのとか言ってたろ」
「ああ、あれな」苦虫を噛み潰したような顔になり、ぼりぼりと後頭部をかきむしった。「あいつふざけてやがんだよ。時々わけわかんねえこと言って、俺らがビックリすんの楽しんでやがる。タチわりいわ、ほんとよ」
「俺、それいいと思うぜ」
「!」予想外の古田の発言に、宗一郎が動きを止める。「何言ってんの、おまえ」
「本気なんだ。みさきちゃんを部員として登録しておいてさ」
「……」一瞬言葉につまり、呻くように宗一郎が吐き出した。「バカ言ってんなよ。そりゃあいつ、サッカーうまいけど、男相手に通用するかよ。それに何てっても、相手帝凌だぜ、帝凌」
「通用するさ」
「!」
「おまえが来る前に、みさきちゃん一人でボール蹴ってたんだ。なんていうか、その、ボールがまるで別のモンのようだった」
「別のモン?」
「ああ。なんか、生きてるみたいだった。こう足にピタッと吸いついてるような」
ボールを手に持って古田が妙ちくりんな動きで再現してみせると、宗一郎が怪訝そうに眉を寄せた。
「……つったってよお」
「おまえだってわかってんだろ」
「……」
「あれだけやれる奴、俺らの中にはいないぞ」
「誰をはずすんだよ」
その言葉に今度は古田が黙り込む番だった。
「誰があいつのかわりにはずれんだよ。俺らレギュラー全部三年だぜ。そりゃ、あいつ入れりゃ、ちっとは俺らもましになるかもしれねえ。でもなあ、勝つためとか、何とか、そんな大事だとは思えねえよ、俺。そんなことのためにハブられる奴がいるとしたら、そいつつまんねえぞ、きっと。今まで一緒にやってきてよお。そりゃ、仲良しクラブって言われるかもしんねえけど。でも最後なんだぜ、これで。いくら勝てるかもしんねえって思っても、納得出来ねえぞ。これじゃ、なんのためのチームなんだよ」
「なら、俺が抜けるよ」
「……」
「俺、つまらないとは思わない。それであの帝凌の奴ら、あっと言わしてやれるならな。おもしろいと思うよ」
「ばろー」宗一郎が顎を出して言った。「おまえ抜けたらどうなんだよ。うちでまともなのは、俺とおまえだけだぞ」
「宗一郎……」
「それにみさき、FWだぜ。DFのおまえ抜けても、あいつじゃ……」
そこまで言いかけて、宗一郎の脳裏にある考えが浮かんだ。まさかな、と思い直し、それを必死に否定する。
「なあ、古田。せっかくまた帝凌とやれるチャンスなんだからよ。頑張ろうぜ、俺らだけで。情けねえこと言いっこなしだ。女の手なんざ借りなくたってよ、なんとかやってやろうぜ」
「ああ、そうだな……」自信なさそうに古田が頷いた。「それが一番いいよな」
「……」
二人はそれ以上何も話そうとせず、陽が傾いても黙々とシュート練習を繰り返していた。
事件はその翌日に起きた。
「んな~! 古田、どうしたってぇ!」
顔面蒼白になりながら部室に飛び込んで来た宗一郎を出迎えたのは、情けなさそうな数十の視線と、古田の右足にクルクルと巻かれた真っ白い包帯だった。
とりわけ一番情けなさそうな顔をした裕太が口火をきった。
「捻挫してやんの、こいつ」恨めしげに古田を見ると、二人の視線が合致した。「しかも体育でバスケやってて」
「俺サッカーの次にバスケ好きなんだよな」古田が余計なことをつけ加える。「小学校の時、バスケ部だったんだよな」
誰も聞いてない。
「んなんっ!」宗一郎が頭を抱えて悶絶した。「……ちゅうことだ……」
「宗一郎」
裕太の呼びかけに、宗一郎が恨めしそうな顔を上げた。
「やっぱ、みさきちゃんに頼んだ方がいいんじゃねえの」
「バ、バカ言うな」
「だってよお」自信たっぷりに裕太が言いきった。「こいつ抜けたら、あと俺らカスばっかじゃん」
「おまえがトップだけどな」
横からのつっこみに反応する裕太。
「なんだあ?」
「天カス」
「あっ、それうまい」裕太が嬉しそうに納得した。「よく意味わかんねえけど」
「……」
「どした? 宗一郎」
「……」頭を抱えていた宗一郎がため息までもらす。「もういい。……おまえらに期待した俺がバカだった」
「いや、バカなのは最初からわかってんだけどな」
「……」
その時、入り口の方から聞き覚えのある声が響き渡った。
「どうやらあたしの出番のようね!」
脳天に突き刺さるようなかん高い声。
みさきだった。
大きく足を開き、腕組みをし、大口を開けて悪そうに笑う。
「……」
「あら、みさきちゃん」
引き続き言葉も出ない宗一郎にかわり、表情もなく裕太が出迎えた。
「古田君がいなくなったら、お話しになんないもんね」
「だからって、おまえが出る幕なんかねえぞ」
ほおづえをついてぶすりと宗一郎が言った。顔はそむけている。
「まだそんなこと言ってんの。いい加減、現実を見つめたら」
「バカ野郎。たとえ帝凌に五十点取られたって、おまえなんか使うよりかマシだ」
「ばっかねえ、宗一郎」
「……」
「この前は古田君がいるから五十点だって言ったのよ。古田君いなくなったら、百点取られるから」
「おお」裕太。「今までん中で一番すげえ。しかもいきなり倍の百点ってわかりやすすぎ。……ちょっぴりショックだけど」
「だから、あたしが助っ人に……」
突然ドンと机を叩いて、宗一郎が立ち上がった。
「バッカ野郎! てめえなんかに出られてたまるか!」
「なんで」
「なんでもクソもねえ。女のくせに何言ってやがんだ」
「何よそれ。なんで女は駄目なのよ」
「あったり前だろうが」
「じゃあ、男として登録しとけば?」
「バレるに決まってんだろ。だいたいそんな長ったらしい髪した奴がどこにいるんだ」
「フリット」
「いつの話、してんだ! しかもフリットは中学生じゃねえぞ! オランダ人のオッサンだ。ただでさえ細っちい体型なのに、おまえ、そんなじゃ、すぐバレちまわあ」
みさきの髪は背中まであった。試合中は学校にいる時同様、一つに束ねて邪魔にならないようにしていたのである。
「裕太君だって長いじゃない」
「裕太のはリーゼントだ」
「そ、燃える炎のリーゼント」手でリーゼントのサイドを流し、裕太がビシッと決めてみせた。「ヘディングなんてかざりですよ。うまい人にはわからんのです」
「サッカー選手としてふさわしくない!」
「そんなこたあ、俺だってわかってる! だいたい、今時、ありえねえ!」
「何、そうだったのか!」
がびーん、と衝撃の裕太は無視。
「じゃあ、切る」
「!」
みさきの一言に、そこにいた全員が動きを止めた。
「いい加減にしろ、てめえ! 何わけわかんねえこと言ってやがんだ!」
宗一郎の身体が震え出していた。
「おい、宗一郎」
「ふざけんな、バカ野郎! 誰がてめえに出てくれって頼んだ。ああ」
裕太の制止する声も聞かずに、宗一郎が一気にまくしたてた。
それに口をとがらせて反論するみさき。
「何よお、勝ちたくないの」
「勝ちてえに決まってんだろ!」
「だったら、そんな言い方しなくたっていいじゃない。最後の公式戦なんでしょ。前みたいな練習試合ならともかく、最後の最後まであんなみっともない負け方してもいいの」
「るっせえ、それが大きなお世話だって言ってんだよ。おまえなんかいなくたってなあ、俺達は勝つ!」妙な間。「つもりでいる」
するとふて腐れたようにみさきが言いきった。
「勝てないよ。宗一郎達じゃあ」
「なんだと、もういっぺん言ってみろ、この野郎!」
「何よ、本当のことでしょ。わかんないなら、何べんでも言ってあげるわよ。このメンバーで帝凌に勝てるとでも思ってんの。あまい、あまい、あまい」
「……」ぎりぎりと歯がみして、宗一郎が震える拳を握りしめる。
横で裕太達ははらはらしながらその光景を見守っていた。
宗一郎がいつみさきに殴りかかってもおかしくない状況だったからである。
「小学校の時と」ドン、と机を殴りつけ、宗一郎が声を押し出した。「小学校の時とは違うんだぞ。てめえがどんだけうまいか知んねえが、男を相手に通用するとでも思ってんのか」
「思ってるわよ」
真剣なまなざしのみさきに、一瞬宗一郎が言葉をなくす。
本気で言っているのだ。
「いい加減にしろ、この野郎! おとなしくしてりゃ、つけあがりやがって。いい気になんなよ! こっちゃあてめえの与太話につきあってるほどヒマじゃねえんだ」
突然怒り出した宗一郎に、みさきがビクンと縮み上がる。
みさきに対して宗一郎がここまで怒りをあらわにしたのは、初めてだった。
どう対処したらいいのかわからずに、みさきは萎縮したまま、ずっと宗一郎の顔を眺めていた。
「な、何よお……」
「うるせえ、バカ野郎! だいたいナマイキなんだよ、おまえは。俺はおまえのそういうところが大嫌いなんだ。自分が出ばってきゃ、何とかなると思ってやがる。俺達だって、俺達だってな」かたく閉ざした拳をじっと眺め、呟くように宗一郎。「真剣なんだよ、それなりによ……」
「……」
「いい加減にしねえと、本当にぶっとばすぞ」
「ぶっとばせば!」
ぷちんと弾け、うわずったような声でみさきが反抗する。唇を結んで、宗一郎を睨みつけた。
「なんだあ!」
「だったらもういいよ!」癇癪をおこしながらみさきが喚き始めた。拳を握りしめ、ぶるぶると震えている。「頼まれたってもう出てやんないから!」
「望むところだ」また椅子に座り、頬づえをつき、横を向いて宗一郎が言った。「ほら、もう、帰れ! 帰れ!」
「絶対、出てやんないし!」
捨てゼリフを残して、みさきが走り去って行く。
宗一郎を除く全員が、その後ろ姿を見守っていた。
「おい、いいのかよ」
頼りなげな口調で裕太が言うと、宗一郎はぶすっとしたままそれに答えた。
「ほっとけ、ほっとけ。たまにゃいい薬だ。優しくしてりゃ、つけ上がりやがってよ」
「みさきちゃん、泣いてたぞ」
「!……」
ゆっくりと宗一郎が振り返った。