act.2 言われるまでもねえ
「ねえ、宗一郎ってばぁ」
みさきに身体を揺さぶられ、惚けたような顔の宗一郎が振り向いた。
「ふ~ん?」
「ふ~んじゃないでしょ。なんで練習やんないの」
「ああ? ああ」力なく笑う。「いいんだ。もういい」
さきまでと同様サッカーボールに腰掛けたまま、宗一郎はまったくやる気の見られない一、二年生の練習風景をぼんやり眺め出した。彼らはきっと自分達の連敗記録を更新し続けてくれるに違いない。そんなことまで考え始める。
みさきもちらりと目をやった。あえてコメントは控える。それからまた宗一郎を見た。
「何よお、なんでもういいのよ」
「いいもなあ、いいんだよ」
ため息をつくみさき。腰に手をあてて、あきれた表情である。
「人がせっかく練習見てあげようと思って、出ばって来てんのに」
「誰も頼んでねえだろ」
「何よお、もう」勝手に癇癪をおこし出した。「さっきはあんなに偉そうなこと言ってたくせに、もうやる気なくなってんじゃないの。そんなだからどんどん連敗記録更新しちゃうのよ」
「いいさ、何とでも言え」宗一郎が頬づえをついた。「はあああ~」
「むぐ!」
「みさきちゃん、ちょっと」
宗一郎にイカズチをおとす寸前で裕太がストップをかけ、みさきを端の方へと引っ張っていく。
「何? どうしたの、裕太君」
「実はさ」申し上げにくい。そんな調子で裕太が続ける。「さっき俺らの対戦相手、決まったんだわ」
「大会の?」
「そ」
「で、どこなの」
「帝凌」
「ふん」
腕組みをし、憮然とした表情で立ちつくすみさき。しばらくして裕太の言葉の意味を理解して眉を寄せた。
「帝凌ー!」ガバッと両目が見開かれている。「帝凌って、あの帝凌中?」
「そ、あの帝凌中」
「あの、こないだ練習試合やって、十対〇で負けた~」
「そ、俺達が新記録つくって負けた、市内最強のチームよ」ご丁寧にもつけ加えて裕太が言った。「おまけに一年生ばっかでやってたっていう噂の」
噂ではない。事実である。
「よりによって、あの帝凌とはねえ……」
今更ながらに納得して、みさきはふんふんと頷いてみせた。
「ホンット。よりによってだよな」
裕太も頷く。やるべきこともしていないのにすでに覚悟を決めたように笑っていた。
宗一郎にしろ、裕太にしろ、諦めがいいのが向ヶ丘中学サッカー部の、チームカラーだった。
「で、もう諦めてんだ」
「まあね」当然とでも言いたげな様子の裕太。
ふんと口をへの字に結んで、みさきは再び宗一郎の方へと向き直った。
宗一郎といえば、あいかわらず頬づえをついてたそがれ続けていた。
そこへみさきがつかつかと歩み寄って行った。
「宗一郎!」
「ふ~ん……」
「ふ~んとは何ごとだ!」
宗一郎が振り返り、ぼんやりとした顔を向けた。
「おまえ何イカってんの」
「おまえこそ何のんびりしてんのよ」
さすがに宗一郎がムッとなる。
「おまえとはなんだ、先輩に向かって!」
「先輩なら先輩らしいことの一つもしてから偉そうにしなよ」
「はあ!」
「宗一郎!」
あらためて宗一郎を睨みつけるみさき。
その表情が真剣なため、宗一郎は一瞬言葉を失った。
「どうして練習しないの。相手が帝凌中だから? 勝てないってわかってるから?」
「なんだと!」キッとなって、みさきを睨みつける宗一郎。「そのとおりだ!」
「情けなくないの!」
「これっぽっちも」
「むかあっ!」
「ちょっとまて、ちょっとまて」
今にも爆発しそうなみさきを怪訝そうに眺め、宗一郎が宥めにかかった。
「なんでおまえが、そんなに興奮してんだ。おまえには関係ないだろ」
「だって悔しいじゃない」
「いきなり相手が優勝候補だったのがか?」
「戦う前から諦めてるのがよ!」
な~んだという顔になって、再び宗一郎が前を向く。
「そんなことか」あくびをかました。
「何がそんなことなのよ」
「だってよお」しようがないとでも言いたげな様子で宗一郎。「あの帝凌だぜ。俺達が十対〇で負けた」鼻までほじる。
「だから何よ」
「おまけに奴ら、三軍だったって噂だぜ。つっても帝凌の三年なら補欠でもその辺のガッコいきゃエース級の奴らばっかだがな。ま、あいつら、結局公式戦に出られないで三年間過ぎてくんだから、まだ俺らの方がマシかもな」
「うそこけ!」かたわらで話を聞いていた裕太が、鼻の穴を広げて横入りしてきた。「俺は一年生ばっかりだったって聞いたぞ。帝凌は人数多いから、一年だけで三軍のチーム作ってるって聞いたぞ」
「バカ言え。そんな、いくらなんでも一年坊ばかりのチームに負けてたまるか。いや、負けるかもしれんが、あんな大敗してたまるか」
「わかんねえぞ。あいつら一、二年だけでも、地区予選くらい楽勝だっていうしよ。ちなみに残りモノの一、二年で作ったのが四軍という名のマネージャー軍団だが、去年向ヶ丘史上最強と言われたうちの先輩達が普通に負けたぞ」
「でもよ、おまえさ、あれが一年ばっかなんて……」はっと気がつく。「あ! どうりでちっこい奴ばっかだと思った!」
「ほらみい。まあ、三軍や四軍じゃ、さすがに他のガッコは相手にしねえみたいだがな」はっと気がつく。「あ! 練習試合さくっと申し込んできやがったと思ったら、どうりでそういうことか!」
「いやいや、おまえの言うことは信じらんねえんだよな」
「何言ってやがる。おまえこそ信用出来ねえ」
「だいたい、どっからそんな情報仕入れてきてんだよ」
「俺の情報網は確かだぞ。おまえこそガセじゃねえのか」
「なんだあ。どこがガセだってんだ」
「俺は二村に聞いたんだぞ」
「俺だって二村に聞いたんだから間違いない」
もめる理由はどこにもない。なぜなら、両方とも真実なのだから。
「ああん!」
「ああん!」
「そんなことどっちでもいいじゃないの」
二人のガンつけ合戦が始まろうとするのを見て、やれやれとみさきが止めに入った。
「どっちでもいいだとお」怒りをあらわにして振り返る宗一郎。「悔しいじゃねえか。奴ら俺達をなめて、三軍の練習台にしやがったんだぜ」
「それも一年坊ばっかのな」裕太がドヤ顔で補足した。「ま、実際三軍の練習台にすらなってねえんだけどな」
「すげえ屈辱だ、許せねえぞ!」
「十点も取られて負けたくせに」
「う!……」
「悔しがるようなレベルじゃない」
「……」
「レギュラー全員揃えたら、五十点ぐらい取られちゃうんじゃないの」
「おおお!」大袈裟に裕太が驚いてみせた。「そいつはすげえな」
「……」
まるで他人事のように言う裕太に閉口する宗一郎。
それをあきれ顔で眺め、みさきが腕組みして言った。
「そんなに悔しいのなら、勝って帝凌中を見返してやればいいじゃないの」
「バカ言うなよ」
宗一郎が、とんでもないとでもいうように手をビシビシと振りまわす。
続けて裕太。
「みさきちゃんもアレだな。勝てるわけねえじゃん」
「むぐ!」
「アレだろ、去年は四軍だったのが、今年は三軍だってか?」
「おお。先輩達より上だって認められたようなモンだな」
「それに一年ばっかって言っても、二年後に全国行くようなチームのベースになるような奴らだしな」
「むしろ十点に押さえた俺らがすごかったりしてな」
二人が顔を見合わせた。
「なあ」
「なあ」
仲良く笑い合う。
その情けない光景を目の当たりにして、みさきは頭を抱えるだけだった。
「もういい。やめた」軽蔑するようなまなざしを宗一郎に向ける。「もう知らない。とっとと負けちゃえば」
「言われるまでもねえ」
「ふあ~あ」キャノン砲のような裕太のあくび。「ヤニ切れた~」
恥ずかしさのかけらも見あたらなかった。これがチームの中心メンバーだと言うのだから泣かせる。
「あたしは情けない!」
一旦背中を向け、それでもおさまらなかったのか、みさきはまたクルリと振り向いた。
「きぃぃぃーっ!」
ムッとなったみさきが、宗一郎が腰掛けるサッカーボールを思い切り蹴りつける。
それによってボールは数十メートルも離れたゴールネットに突き刺さり、宗一郎はしこたま腰を打ちつけるはめとなった。
「ひょえー」能天気な声をあげる裕太。「すげえシュートだな。でもおまえのコントみたいなアシストはいただけねえな。情けねえ限りだ」
宗一郎がギロリとみさきを睨みつけた。
「いってー、何しやがんだ、てめーわ!」
「ボールが腐る!」
「はあん!」
「ボールは座るものじゃない。蹴るものなの!」
ぷんぷんと肩を怒らせて、みさきは立ち去って行った。その背中は、宗一郎達のあまりのふがいなさに、燃え上がっているようにも見えた。
「んだー、ばーろめえ」
ぶつけた腰をさすりながら宗一郎が憎まれ口をたたく。当然みさきに聞こえないようにである。
「らー! 竹田ー! こっち来ーい!」
腹いせか、やる気のない後輩部員を見つけ、宗一郎が呼びつけた。
「パン買って来ーい!」