act.11 目指せ、世界一!
ぼんやりとまどろむ意識がしだいにはっきりし始め、みさきは目を覚ました。
目の前に大きな背中がある。
背負われている?
ようやくそれが宗一郎のものだとわかった。
「宗一郎……」
寝起きのいくぶんか甘ったるい調子でみさきが言った。
「お。起きたのか」
「なんでこんなところにいるの」
試合が終わり、みさきの様子もたいしたことがないとわかったため、宗一郎が背負っていくことにしたのである。
陽も暮れかかり、二人の顔が紅く染まっていた。
「おまえ、ずっと気ぃ失ってたんだぜ。軽い脳震盪だってよ。全然心配ないみたいだけどな」
宗一郎が笑った。
「のーしんとー?」みさきの記憶が鮮明に蘇る。「そうか。あの時ヒジキにタックルされて、あたし……」
「そういうこった。焦ったぜ。モロだったもんな」
「……」
「さっきまでホゲホゲ言ってやがったが、まあ大丈夫だろうってことで……」
「試合は」
「ん?」口ごもりながらも平静を装って宗一郎が答えた。「んん、負けた」
「……」
「おまえいなくなって、そんで俺も」言いにくそうに。「ヒジキぶん殴っちまって。んで退場になってさ。あとはボロボロ。結局、六対三だった。ま、もともと没収試合なんだから、最後までやらせてくれたのが不思議なくらいだけどな」
途端にみさきの表情が暗く沈んだようになる。
額を宗一郎の背中に押しつけた。
「ふ~ん……」
「なんだ? すっげえ悔しそうだな」
「悔しいに決まってるじゃない」
「みさき……」
「せっかく髪まで切ったのに」
「しゃあねえじゃんか。あいつらだって必死だったんだろ」さばさばした様子の宗一郎。「けっこー気持ちよかったぜ。あんなに帝凌の奴ら、慌てさせたんだからな」
「だって……」
それでもみさきは納得出来ない様子で、いつまでもぐずぐずとグチを並べたてた。
「簡単に髪の毛伸びないんだよ。あと二年くらいしないと、もとに戻んない。それまでずっとこんなだ。みっともないな。きっと男の子に間違えられる。ただでさえそういう顔してるのに。せっかくずっと髪伸ばしてごまかしてたのに。あ~あ。もう。あたし、バカみたい」
「いいよ。おまえ、その頭似合ってるから」
みさきの心臓がドキンと高なる。思いがけず、宗一郎に優しい言葉をかけられたためだった。
「宗一郎になんか言われたくない……」
みさきが宗一郎の背中に半分顔を埋める。半ベソ状態だった。
「俺だって言いたかねえよ」照れたように宗一郎。
唇を噛みしめ、みさきが悔しそうに瞳を伏せた。
「おりる」
「いいよ。のっかってろよ」
「いい。自分で歩くから」
「バカ、腰とか背中、痛てえんだろ」
「!」みさきがはっとなった。「知ってたの? 宗一郎」
「たりめーだ。俺の目をあなどるなよ。あんな落っこち方して、ノーダメージなわけねえだろ」
「……」
「無理な体勢から振ってたから、足も捻ってんじゃねえのか?」ふんと鼻を鳴らして宗一郎が言った。「でなきゃ、おまえがあんなタックルもらうかよ」
唇をとがらせてみさきは宗一郎の後頭部を睨みつけた。じわ~っと視界がぼやける。涙が出そうだった。
「みっともないから、おろしてよ」
「いいじゃねえか。おぶられてろよ」少し言いにくそうに続けた。「これでも、ちったぁ感謝してんだぜ。ま、敗戦パレードってとこだな」
ボフッとみさきが宗一郎の背中に頭突きを食らわせた。
「てっ! いってーな」宗一郎が振り向く。「この、チビ」
「チビじゃない。これでも後ろから四番目なんだから」
「俺は一番後ろだぜ」
「デカいしか能がないくせに」
「おまえはほんとにナマイキ大魔王だな」
むぐっと口をつぐむみさき。
「でもその方が何か安心するけどな」
「……」
「おまえがしおらしいと、調子くるっちまうんだよな。ははっ」
何げない宗一郎の一言に、またみさきのまつげが下がる。
「ごめんね」
「何が」
「勝てなかった」
「何言ってんだよ。おまえのせいじゃねえって。おまえいなけりゃ、百対ゼロだったんだぜ」
「あんなにでしゃばったくせに」
「すっげえでしゃばってたな」
「……。すっごくなまいきだって、自分でもわかるぐらいなのに」
「おまえのはアリなんだってよ」
「ふん?」
振り向いて宗一郎が笑う。
「みんな言ってたぜ。試合終わってからよ。おまえはナマイキ確定なんだけど、でしゃばりのわりにはもったいないくらいの、けっこーいい感じな方の奴なんだってよ。……ん?」うまく趣旨をつかんでいない。「調子こいてて腹立つけど仕方ねえ、って?」
「……。何だか嬉しくないなあ!」
「細かいこと気にすんじゃねえの」
一瞬むっとして、すぐにみさきの顔は柔和になった。力なく呟く。
「勝ちたかったね」
「ああ、勝ちたかったな」
穏やかな表情で宗一郎も答えた。
「勝ちたかった、な……」
もう一度、心底残念そうに、みさきが言った。
ふ、と安心したように宗一郎が笑う。
心から安堵していた。
みさきが昔と何ら変わっていないことがわかったからである。
外見上、どんなにツッパッて見えても、その中身は昔からの素直なままのみさきなのだ。心のどこかで宗一郎のことを本当の兄のように慕い、頼りにしている。宗一郎もそれを当然のように受け止めていた。
この先、たとえ宗一郎の手の届かないような大物になったとしても、みさきはみさきなのだから。
「宗一郎、覚えてる?」
背中越しにみさきがぼそぼそ言う。顔を押しつけたままだった。
「何を」
「昔約束したよね」
宗一郎がピクリと反応する。まさか……
「いつだったか忘れちゃったけど。宗一郎、あたしに言ったんだよ。日本一サッカーうまくなって、ワールドカップに連れてってやるって」
「おまえ……」
やはり覚えていたのだ。
いつの間にか、風はやんでいた。
「なんか、その時すごく嬉しかった。あたしのまわりには、こんなに凄い人いるんだなって思って。宗一郎、軽い気持ちで言ってたのかもしれないけど、あたし信じてたんだ。恥ずかしいけど。宗一郎ならって、ずっと思ってた。ついこないだまで……」
「みさき……」
「普通、信じないよね。子供の時のそういうのって」照れながらみさきが笑った。「ほんと、バカみたい……」
「俺、本気だった」
真顔で宗一郎が呟く。
「宗一郎……」
みさきはまばたきも忘れ、その見えざる表情を見つめ続けた。
「あの時本気でそう思ってた。今となっちゃ、なんか、恥ずかしいだけだけどな」ちらと後ろを見た。恥ずかしそうに笑ってみせる。「おまえこそ、そんなこととっくに忘れちまってると思ってたよ」
「忘れるわけないじゃない!」ガバッと顔を上げて、ムキになってみさきが言う。「あたし、ずっと覚えてたんだから」
涙目のみさきに、嬉しそうに宗一郎が笑いかける。それから自嘲気味につないだ。
「そっか。でも本当に日本一のプレイヤーになれるって信じてたんだもんな、俺。バカだよな」
「バカなんかじゃないよ……」また顔を押しつけて、小声でみさきが呟いた。「宗一郎なら絶対そうなるって、あたし思ってた。ずっと、ずっと、信じてた」
「……」絶句。「ありがと、な」
「ふん……」弱々しくみさきが頷いた。「変なこと言わないでよ。泣けてくる」
「泣きゃいいじゃねえか。俺だけ恥かいたみたいでしゃくだし」はははと笑う。「どうせ誰も信じやしねえんだから」
「むかあっ」みさきが口をへの字に結んだ。
その時、斜め前方から呼びかけてくる声があった。
「おい」
二人が振り向く。
「あ~! ヒジキ」みさきが声をあげた。
「ひしきだよ」
頬をさすりながら菱木が言った。宗一郎に殴られた跡が腫れ上がっている。
「てめーわ!」途端に宗一郎の目がつり上がった。「仕返しに来やがったな」
「違う、違う」
両手を押し出して菱木が否定する。やけに神妙な様子だった。
「じゃ、何しに来やがった」
「謝ろうと思って……」
「!」
「……」
「さっき、悪かった」菱木がペコンと頭を下げた。「ああでもしなきゃ負けると思った。必死だったんだ」
「だからってなあ……」
「宗一郎」
「あ!」
「もう、いいよ」
「……」
みさきに言われ、宗一郎が口をつぐむ。
菱木をちらりと見て、宗一郎が不満そうに顔を歪ませた。
「ま、おまえがいいってんならいいけどよ」
「本当にすまないと思ってる」
「いいって、ホントに。先にルール違反したの、こっちだもん」さらに深く頭を下げた菱木に笑いかけて、みさきが言った。「ひっこみつかなくなっちゃってさ。やっぱりルールは守んなきゃね。ごめんなさい」
「お、おお……」バツが悪そうに宗一郎。「悪かった。殴っちまって」
「いや、いいんだ。俺が悪いんだから」
素直な態度の菱木を見て、実はそんなに嫌な奴ではないのかもしれない、と二人は思い始めていた。
「あのな」言い出すタイミングをうかがっていたように、菱木が切り出す。「うちの監督からことづてがあるんだ」
「俺に?」間抜け面をして宗一郎が自分を指さす。
「おまえじゃない」
「だと思ったけどな!」やっぱり嫌な奴だ、と宗一郎は思い直した。
「夕凪さんに」
菱木がみさきの方を見た。
「あたし?……」目を丸くしてみさき。「何?」
「監督が君のこと、ウィンディFCに紹介したいって」
それを聞いて驚きの声をあげたのは、宗一郎だった。
「ウィンディFC!」瞬きも忘れている。「プロじゃねえか!」
ウィンディFCは大手企業のバックアップによって発足した、新進の女子サッカーチームだった。今シーズンからトップリーグへの参入もはたしており、代表選手も抱える強豪なのである。
「あそこは中学生は駄目らしいから、とりあえずは練習生扱いになるみたいだけど、夕凪さんなら通用するんじゃないかって、監督が」
「あた、しが……」
「いいんじゃねえか」
惚けたようになるみさきを、宗一郎の声が呼び戻した。
「おまえ、冗談抜き、レベル高いしよ。俺らじゃ太刀打ち出来ねえし。そういうとこの方がおまえ、合ってると思うぜ」ニカッと笑いながら振り向いた。「もったいねえよ。こんなところでくすぶってちゃな」
「ふぅん……」
「俺もそう思うよ」
二人が菱木に注目した。
「今日、君と戦ってみてわかったんだ。まだまだ凄い奴がいるなって。俺、天狗になってたみたいだ。でも、君は特別だと思う。きっと全日本クラスでも通用する選手になれるよ」
真剣な眼差しだった。
宗一郎は気づいていなかった。自分の背中の上で、みさきが菱木に見つめられて、ポッと頬を赤らめたことに。
「だな」納得したように宗一郎がみさきを見た。
少しの間、ふうむと考えていたが、うんと頷いてみさきは顔を上げた。
にやりと笑う。
「決めた」
「ん?」
「あたし日本一の女子サッカー選手になって、宗一郎をワールドカップに連れてったげる」
「……」
「目指せ、世界一!」
真顔で拳を突き上げる。
嬉しそうに笑いかけるみさきと凝固する宗一郎を、夕暮れの涼しげでやわらかな風が取り巻いていた。
風は今、海に向かって吹き始めていた。
岬から海へ……
了
お読みいただきまして、ありがとうございます。
この第一稿を書き上げた時は我ながらものすごく興奮したものでしたが、今となってはそれほどテンションも上がらず、手直しも苦行なだけとなりました。
アイテムやトリックも十年、二十年前のものを無理にアレンジしようと思うと、なんだかなあのものになりそうですし。(ポケベルとかテレホンカードって何?)
それでも最後までおつき合いしていただきまして、ありがとうございます。
また今後ともお願いいたします。




