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みさき  作者: DirtyTom
11/12

act.10 勝手にしろ

 


 深呼吸をして菱木が活目する。

 それから、みさきさえ押さえれば必ず勝てると自分に言い聞かせた。

 ただし、押さえることができればだが……

 過去を振り返る菱木。

 思い当たる節があった。

 三年前、FCキングオブキングスのエース菱木は、永谷ケロンパスエイトから二得点を奪う活躍をし、勝利に貢献した。

 しかし、敗れたケロンパスのエース、当時小学五年生だったみさきはその得点のすべてをたたき出し、見事ハットトリックを達成したのである。

 関係者談。

『どっちが勝者だか、わかんねえな』

 それがどれだけ菱木のプライドを傷つけたことか。

 さらに追い打ちをかけるように後からみさきが女子だったことを知らされると、膝から崩れ落ちていった菱木孝太郎十一歳の春。

 みさきは知らない。

 その屈辱を乗り越えてこそ、築き上げた今の菱木があることを。

 菱木も同様だった。

 よもやあの時の少女がこれほどまでに、否、さらに自分をはるかに追い抜いていようなどとは夢にも思わなかったからである。

 あと一点許せばみさきのハットトリックが成立する。しかもチーム力にここまでの開きがありながら。

 そう言えば、と菱木は思い出した。

 あの時のケロンパスもみさきのワンマンチームだった気もするような、と。

 だがそれが勘違いであることに菱木は気づくべきだった。

 ポジショニングのよさとずば抜けた個人技につい目がいきがちではあるが、何より特筆すべきみさきの利点は、その指示の的確さにあったからだ。

 それまでの向ヶ丘にはなく、決定的に必要なものこそが、チャンスメイカーとゲームメイカーの存在だった。

 そして、チームを蘇らせ、活かす力。

 何よりそれこそが、みさきと菱木の決定的な差だったのである。

 とにもかくにも三年前の再現だけは御免だと、何としても阻止しようとやっきになる。

 みさきに対する菱木のチェックが厳しくなるのも必然と言えた。

「ぐう!」

 執拗なタックルを受け、みさきの目が三角になった。

「なんでずっとこんなところにいるの」審判に聞こえないように、味方に指示を出す素振りで続ける。「エースなのに点取らなくてもいいんだ。帝凌のサッカーってそういう感じなの。あんたみたいなのとやれるの楽しみにしてたのにさ、勝手に必死になってるこっちがバカみたいに思えてくるよ。でもチームが勝つのが最優先だからしかたないか、っと。正直、がっかりしちゃったけど。カッコだけはちゃんとしたエースっぽかったんだけどね」

「く……」

 古傷をえぐるようなことを平気で言う。

 これだから女は、特にみさきだけは敵にまわしたくはないと、近くにいた味方の誰もが思った。

「ま、宗一郎もカッコばかりの脳タリンなのにキャプテンだから、同じようなもんかな」

「へっぶしっ!」

「風邪か、宗一郎?」

「いや、わかんねえ」裕太に間抜け面を向けた。「なんか嫌な感じの寒気はする」

「一生懸命なだけ宗一郎達の方がマシかもね。まあ、いいけど。どうせハットは無理だと思って諦めちゃったんだろうから。結局なんも変わってないね。あの時のまんまだ」

「何!」

 ボールをキープしたみさきに、頭に血が上った菱木がチェックに向かう。

 それをルーレットで軽くいなしミドルレンジからシュート体勢に移行しようとしたみさきを、菱木が手を伸ばして止めようとした。

 反射的に菱木が、みさきのユニフォームの襟首をつかむ。

 急激に背中を引き抜かれたみさきの身体が、空中で仰向けに浮き上がった。

 ペナルティエリア付近で派手にピッチを蹴り上げ、足をジタバタさせるみさき。

 みさきと重なるようにエリア内に倒れ込む菱木の顔がすぐさま、しまった、という表情になった。

 が、審判の笛は吹かれず、ゲームは継続される。

 それに憤慨したのは宗一郎ら向ヶ丘イレブンだった。

「今の反則だろ!」

「PKだろ、PK!」

「どこ見てんだ、審判!」

 その直後に鳴り渡ったホイッスルの意味をすぐに理解できた者は、何人もいなかっただろう。

 向ヶ丘のアドバンテージを見てゲームを続行させた審判と、それを作り出したみさきと菱木以外には。

 次の瞬間菱木が見たものは、目の前で棒立ちとなって目を見開くGKと、その後方のネットから転がり出たボールだった。

 ペナルティエリアにはわずかに届かない場所で、GKが飛び出して来るのをみさきは確認していた。その上で、菱木に倒される直前につま先でちょんとボールに触れ、ループシュートを放ったのである。

 派手に浮き上がり、シュート体勢に入った右足をピッチごと空高く蹴り上げる。それを振り下ろす勢いで軸足の左足でボールに触れたのだ。

 蹴り足を咄嗟に変えることなど、通常できる芸当ではない。

 それを菱木に引っぱられる力を利用し、瞬時に切りかえてみせたのである。

 菱木の引き抜こうとする力を軸とし、チップ気味のバイシクルキックをGKの視界から消えるほどの頭上目がけて。

 その代償に、受身を取れずに背中から地面に叩きつけられるみさき。

 ゴールを告げる長いホイッスルと同時に、審判は菱木にイエローカードを差し上げていた。

「大丈夫か、みさきちゃん!」

「背中打ったんじゃ……」

 仲間達が心配そうに近寄って来ても、みさきは苦痛にゆがむ顔のまま唸り続けるだけだった。

「みさき!」顔面蒼白になって宗一郎が駆けて来た。「大丈夫か!」

 宗一郎もまじえ、心配そうに様子をうかがう向ヶ丘イレブン達。

 すると突然にこりと笑って、みさきは平然と立ち上がってみせたのだった。

「レッド、出た?」

 一同しばしあぜん。

 それが菱木のことだと気づいた裕太がぼそりと告げる。

「いや、イエローだった」

「ち、残念」

 ユニフォームの土をぱんぱんとはらうみさきを、仲間達は点となったまなこで注目するだけだった。

「あ、いっけね」痛そうに背中を押さえる。仕草を見せた。「痛い、痛いわ! 死にそ~!」

「みさきちゃん、やるわ。点取って、さらに菱木の野郎を退場にもってこうとするなんてよ」裕太が感心する。それからぼう然と立ちつくす宗一郎を見て言った。「どした?」

 真顔で宗一郎が振り向く。

「……や、別に」

 宗一郎がまた、みさきの方を見やった。


 三対三。

 とにもかくにも、ようやくこれで振り出しに戻せた。

「すっげ、ハットじゃん、みさきちゃん」

 喜び満面で迎え入れる裕太にふっと笑いかけ、みさきはすたすたと宗一郎の目の前までやって来た。

 真剣な顔で宗一郎に向かう。

「あたし下がるから」

 何も言わずにみさきをじっと見つめる宗一郎。

 みさきも目をそらさないでいた。

「もう充分楽しませてもらったもん。あとはみんなで勝ち越し決めてきて」

「そんな……」

「わかった」

 情けない呟きをもらした裕太を尻目に、宗一郎が重々しく頷いて言った。

「おまえにばっか、頼ってられねえもんな」

 にやりとするみさき。顔中に汗を浮かべ、疲れ切った笑顔だった。

 無理もない。

 ほんの二十分かそこらの間に、みさきは市内一の強豪を相手にハットトリックを達成してみせたのだから。

「おまえ少し休んでろ」

「冗談」心配そうにそう告げた宗一郎に、肩で息をしながらみさきが返す。「せっかく追いついたのに、宗一郎なんかにまかせてらんないよ」

「勝手にしろ」

「するよ。あたし、リベロだもん」


 後半二十三分。

 向ヶ丘イレブン、執念の全員攻撃が始まった。

 九人がかりで攻撃をしかけても、なかなかチャンスらしい形も作れない。

 逆にボールを奪われ、帝凌中攻撃陣に押される始末だった。

 自陣に残るはGKの宗一郎とみさきだけ。

 だがその守りは、どんな壁よりも強固だった。

「来るぞ、みさき!」

「まかしといて」

 帝凌中、怒涛の波状攻撃。

 飛び出した宗一郎は、あっさりと抜かれてしまった。

「んげえ!」

 背後からフォローするみさき。

 その鉄壁のディフェンス能力は、手を使わなくても宗一郎より遥かに上だった。

 みさきのクリアから始まる、向ヶ丘のカウンター攻撃。

 またもや奇跡のセンタリングに合わせようと走り込んだのは、これまたノーマークの裕太だった。

「いけー、裕太君!」

「らららららー!」

 驚きに目を見張る帝凌DF陣のエアポケットをするするとかいくぐり、裕太がシュートレンジに突入する。

 が、その見極めの悪さと足の遅さからか、到底ポイントには届きそうもなかった。

「あああああー!」

 足がもつれて勝手に倒れ込む。

 みなの心配をよそに、転んだところにたまたまポコッと当たったヘディングが、どんぴしゃのタイミングとなってゴールマウスへと襲いかかっていった。

 一度は弾き、抱きかかえるように腹ばいになってセーブする帝凌中GK。

 その蒼白の顔面が、命拾いしたことを如実に物語っていた。

 中分けとなった元リーゼントの裕太が、チッと舌打ちし、いかにも悔しそうに立ち上がった。

「やるな、GK。あのドンピシャをよくぞふせいだな!」

「嘘つけ!」

「たまたまだろ!」

 容赦ない仲間達のツッコミに、いい顔で振り返る裕太の闘志がさらに燃え上がった。

「名づけて、ぽこ・あ・ヘッド」

「何言ってんだ、おまえは……」

 もしかしてという予感と期待に包まれた仲間達を遠目に眺めながら、宗一郎がちらりとみさきの方を覗き見る。

 何となく様子がおかしい。

 動きはいいのだが、最初の頃のような撥刺さが感じられない。

 やはり疲れているのだろうか。

「来たよ、宗一郎」

 みさきに促され顔を向けると、菱木が強引に突っ込んで来るところだった。

 そのプレーからは、いつもの華麗さは消え失せていた。

 恥も外聞もない。

 もはや、みさきに対する意地だけだった。

 負けられるか。負けられるか。あんな女に、生意気な女に負けられるか、と。

 だが、熱くなっただけではみさきを抜くことは出来なかった。因縁の対決も、現状では全く菱木に勝ち目はない。

 菱木へのスルーパスを、みさきが都合何度目か、あっさりとインターセプトした。

「ぐ!」ただ悔しがるだけの菱木孝太郎、十四の春。

 そしてもう一人、ひたすら沸騰し続けている人間がいた。

 帝凌中ベンチで汗ばむ拳を握りしめる稲森総監督だった。

 基本石頭の稲森が、試合の続行を許可した理由は他にもあった。

 天才少女と呼ばれるみさきのプレーを、じっくり見ておきたかったからである。

 噂は常々、耳にはしていた。

 所詮女子であることと、今は自分のチームのことを考えるのが優先であるため、せいぜい記憶の片隅にとどめる程度の存在だったのだが。

 過去に年代別も含め、何度も女子の代表クラスと練習試合を組んだことがある。そのレベルが男子中高生のトップレベルと比較してどうかということは、稲森も熟知していたはずだった。

 少なくともこれまで見てきた女子選手の中で、菱木クラスと渡り合い、全国クラスの男子チームを丸ごと翻弄するプレイヤーにはお目にかかったことがない。

 それにしても、まさかこれほどまでとは……。


 ゴール前のハイボールを、みさきと菱木が取り合う形となった。

 高く舞い上がる二人。

 どちらも決して競り負けていなかった。

 ぶつかり合うこの勝負、ほんのわずかなタイミングでぶざまに尻もちをついたのは、またもや菱木の方だった。

 ギリギリと奥歯を噛みしめ、闘志を剥き出しにする菱木。

 この試合中だけでもファンの数が激減していた。

 だからどうしたと言うのだ。

 今の菱木にはみさきとの勝負以外、何も見えていなかったのだから。


 ボールを外に大きく出して、みさきが気持ち良さそうに笑った。風の感触を全身で楽しんでいるのがわかる。

 その背中を後ろから眺め、宗一郎が立ちつくした。

 その時、みさきの姿は誰よりも大きく見えた。

 どんなプロの選手よりも頼もしく映った。

 宗一郎の知るみさきを超えて。

 ふと考える。

『あいつ覚えてんのかな……』

 遠い昔に交わした約束。

 かつてみさきにサッカーを教えることができた時代に、宗一郎が心に刻んだ決意。

 そして、それに頷いたみさき。

『いつか必ず日本一のプレイヤーになって、おまえをワールドカップに連れて行く』

 それも今となっては、遠い夢物語だった。

 残り時間五分。

 現実が宗一郎の気持ちを呼び戻した。

「宗一郎!」

「うしゃ!」

 カウンターから帝凌FWの放ったミドルシュートを、間一髪でパンチング。

 弾かれたボールの落下地点にはみさきがいた。

「オーライ」

 よし。

 そう宗一郎が思った時だった。

「!」

 後方から凄い勢いで走り込んで来る菱木の姿が、宗一郎の目に映った。

 必死の形相の菱木に、みさきはまだ気づいていない。

 やばいと思った。

「みさき、後ろ!」

 振り向くみさきの顔色が途端に変わる。

 充分かわせるタイミングだった。

 本来のみさきならば。

 だがみさきはそこから一歩も動けず、菱木のタックルをまともに浴びてしまったのだ。

 背中から倒れ込み、そのままみさきが動かなくなる。

 今度は、演技ではない。

「みさき!」

 ファウルを告げるホイッスル。

 と同時に、菱木目がけて宗一郎が走り出していた。

「てめえっ!」

 心配そうにみさきの顔を覗き込む菱木の視界いっぱいに、宗一郎が迫って来る。

 そしてたじろぐ間も与えず、宗一郎は思い切り菱木の横っ面を殴りつけた。

 先よりももっと長く、高らかな笛の音が鳴り響いた。





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