褒められる
意外だった。褒められるなんて。
「その靴、可愛いね」
見慣れている筈の教室の景色。授業が終わってから突然聞こえた女子の声に、一気に景色が変わった気がした。
今履いている靴は、色も形もちょっと変わっていて。俺はこの靴が特段好きな訳では無かった。いや、どちらかと言えば……。
「ありがとう」
それなのに。褒めてもらえた事が純粋に嬉しくて。一気にこの靴が特別な存在というか、ああ、いいのかな……なんて思えた。
何もしていなくても、授業は終わり。あっという間に各々が席を立っては教室を出て行った。皆、自由に解放されたと言わんばかりに好き勝手に行き交い、話声もすり抜けていった。あの声を掛けてくれた、左斜め後ろの女子も。
俺は一人、教室から出た。別に一匹狼を気取っている訳では無い。単に人見知りをするだけだ。でも、そう見られるなら、そう居たいとも思っている。
帰り道を歩いている時も、何だかあの言葉が頭から離れなかった。自然と視界には赤茶みたいな変わった色が映っている。そして、親父が買ってきた時の事を思い出していた。
(なんだよ、これは)
高校に入学して暫くしてから親父が買ってきた革靴を見て思った第一印象だった。
(しかも、高校生が普通履いているようなデザインでもないし……)
そんな不満は、亭主関白の家庭で育って来た俺が親父に言えることではなかった。
親父は変わり者だ。別に今に始まった事では無い。昔からだ。子どもの俺が友達と同じような「普通」を求めるのに対して、親父がそれを叶えてくれたことなんて一度もなかった。
『親の心、子知らず』なんて言うが、俺から言わせれば『子の心、親知らず』だ。
俺がどれだけ親父に迷惑をかけられてきたかと云えば……例えば、ランドセル。一般的には黒と赤だった時代。親父は意気揚々と青を買ってきた。満面の笑顔を浮かべる親父に対して、俺の気持ちは反比例していった。
今では様々な色のランドセルを見かけて良い時代になったな……なんて、小学生を見ては年寄臭いことを思う俺がいる。
まぁ、そんな親父が買ってきた変わった靴を褒めて貰って気分が良かった俺は、夕食後に風呂場で改めて親父の事を考えていた。……確かに、個性的でいいのかもしれない。でも、まだ『いい』と認めるのは悔しい。親父に負けた気持ちになる。
俺は、変わり者の親父が嫌いだ。
翌朝も同じ靴を履いて行った。特定の女子と親しい訳では無い俺が、女子に褒められたのが嬉しいなんて……俺はどうせ単純な男だ。なんて、自分でも思う。
「浅河」
始業時間を知らせる前に聞こえた声に視線を上げると……海野だ。ボサボサな頭しやがって。お前、朝鏡くらい見て来いよ。
「なんだよ」
海野は無言で廊下を指さした。俺の位置からは廊下側に居た海野から先は見えない。
(面倒臭ぇな)
ガタン、と椅子はなった。しかし、俺は気にも留めず、渋々廊下へと歩いて行った。そこには、制服のスカートをギリギリまで短くした女子生徒が一人いた。大きな茶色い瞳に、垢抜けた色をした肩下までのストレートの髪。顔見知りの会いたくない奴だった。
奴は俺の顔を見るなり、嬉しそうに笑った。
「愁」
「麻利香」
弾んだお気楽なほど明るい声に対して、俺の声は明らかに沈んでいる。……面倒な奴が来たもんだ。
「財布忘れちゃったの。お昼代貸して~」
「お前、その位友達にでも借りろよ」
「そう言わずにさ~、私と愁の仲じゃん?」
誤解されるような言い方はよせ。
「ったく、俺も貸せるような金は余してないんだからな。とっとと返せよ」
「さんきゅー」
麻利香はにっこりと笑うと、手を振って走っていった。
(質の悪いカツアゲでも喰らった気分だな)
麻利香が去って行ってくれて、胸を撫で下ろしたのも束の間。
「お前、あの美人で有名なマドンナ的存在の先輩とどんな関係だよ」
海野を筆頭にしたような周囲の目。勘弁願いたい。
「はぁ? 従姉弟だよ。あいつも『浅河』だろ」
「マジで? あんな美人と従姉弟とか超羨ましいんだけど」
……あいつの性格の悪さを知らない方が羨ましいけどな、俺としては。
「今度、紹介してくれよ」
「やめとけ」
「単に『従姉弟』ならいいだろ~!!」
いや、これでもお前の為を思って言ってるんだけど。あいつは男遊びが酷い。従姉弟の俺が知る限りだけでも。俺は、あいつの彼氏になったら人生終わる気がしている。
海野の視線から逃げるように避けた所為で、俺は視界で『あの子』を見てしまった。昨日、靴を褒めてくれた女子だ。
一瞬だけ目が合って……なんだ。視線を逸らされた時の、この敗北感に近い感情は。




