冷めてもうまい
ベッドの上の少女は十才ほどに見える。栗毛色の短髪で、白衣を着ている。
左頬にはパソコンなどによく付いてる電源マークのフェイスペイント? があった。
その子はスースーと寝息を立てていたが、男子高校生ふたりによる「えええええええ!?」という叫び声に目を覚ましてしまった。
その子はゆっくりとベッドから起き上がり、右手で目をこすりながら、伸びとあくびをした。
うむ、なかなかにめんこい子である。
などと考えている場合ではないのだ。
いったいこの子はどこから湧いて出てきたのか……。
俺がそんなことを考えていると。
「おいケンジ、まさか空港で恍惚としているうちに、女の子をひっ捕らえて来たんじゃ……。」
と良太が何やら馬鹿なことを口にした。
俺にクラッカーをぶちかましたとき、俺がこの子を担いでいたかどうか、よく思い出してみろと言ってやろうかと思ったが、馬鹿らしいので無視する。
良太は俺から返事がないことを確認すると。
「そうか……、でもいくらなんでもこんな小さい子……、童貞を卒業すr、イテッ!」
目の前に小さい子供がいるというのに、良太がかなり危ないことを口走ったので、腹を一発殴りそれを制する。
「しかし、これでお前も社会的にTHE END か、寂しくなるな……。」
良太はまだふざけたことを言っているが、相手をすると切りがないので、放置しておく。
「お腹すいた……。」
ベッドの上の女の子は、起きるなりそう訴えてきた。
女の子座りをし、両手を膝の間に付いて、物欲しげに訴える姿に、少しだけ理性が揺らぐのを感じた。
これはいかん。
「ねぇ?」
俺が黙っていると、女の子は首をかしげてもう一度俺に訴えてくる。
あざとい。
こいつはこうすればカワイイだろ?と知っていてやっているのだろうか?
「えっと、そもそも君は誰なのかな? 」
このまま無視をするわけにもいかず、とりあえず身元確認をする。
「ハル……。 」
女の子はハルと名乗った。
しかし、名前が分かっても仕方ない。
「お家はどこかな? 」
「分かんない……。 」
「ご両親は? 」
「先生……。 」
いや、親の職を答えられても……。
「その先生は何て名前なの? 」
「う~ん、確か土屋なんちゃらだったと思う? 」
いや、俺に聞かれても困る。
だいたい、親の名前も覚えてないのか……。
そういえば、この前テレビで、父親の威厳が落ちてるなどと言っていたが、まさかここまでとは、
俺にもし子供ができても、俺は名前を覚えてもらえないかもな……。
「土屋って、ケンジの親戚か? 」
俺の思考が脱線しているところへ、さっきまで俺の横で俺の社会的終焉を嘆いていた良太がようやくまともな疑問を提示した。
言われてみれば、俺の名前は土屋健二である。
すると、ひとつ嫌な仮説が頭に浮かんだ。
「土屋って、ひょっとして土屋学って名前か? 」
俺がそう聞くと、ハルは首を縦に振った。
なんということだ、土屋学とは俺の親父の名前である。
もしこの子の父親が俺の父親なら、この子は父の隠し子ということだ。
確かに、母を亡くして以来、父はどうやって一人の夜を耐え忍んだのか前から気になっていたが、まさか、そういうことだったとは……。
ハルは栗毛だから、お相手は外国の方か……。
「Oh, my dad ……」
父への失望が思わず声にでてしまう。
しかし、これは仕方ないことだ、生命の性なのだ。
俺がなんとか気持ちに折り合いをつけていると、
「えっ!?」
と良太が隣で叫んだ。
どうやら、俺に腹違いの妹がいることに今気付いたようだ。
しかし、それにしては少し怯えた印象を受けたな……。
良太のほうに目をやると、ベッドのほうを見て固まっていた。
俺もベッドに目をやると、なんと今さっきまでいたハルの姿がなくなっていた。
部屋から出て行った様子もなく、まさに消えたという表現がベストである。
なんだか背筋が凍りつくのを感じる。
「良太、あいつどこに行った? 」
「し、知らねーよ……。」
いやいや、冗談ではない、これではまるで幽霊ではないか!
俺は幽霊の存在など生れてこの方信じていない、いたら怖いではないか。
再び視線を良太に向けると、良太がさっきのUSBを握りしめていた。
これを見た俺の脳はかつてない速さで回りだした。
さっきはUSBの中身を確認しようとして、そしたらあの子がベッドの上で寝ていた。
そして、いま良太がそUSBをパソコンから抜き取り、そしたらあの子は消えてしまった。
まさかとは思うが、あいつはUSBが起動している時だけ姿を見せるんじゃ……。
俺は良太からUSBをもぎ取り、もう一度パソコンにつないでみた。
ハルがベッドの上に出現したかどうか確かめるため振り替えると、次の瞬間、腹に体当たりを食らった。
「グフッ! 」
今日二度目の不意打ちだ。
視線を落とすと、ハルが抱きついていて、こちらを見上げていた。
なぜか泣く寸前である。
「もうっ、いきなり電源落とさないで! びっくりするから……。」
どうやら、USBを突然引き抜かれてびっくりしたようだ。
良く見ると、左頬の電源マークが赤色になっていた。
しかし、USBを引き抜いたのは良太だ、なぜ俺がこのような仕打ちを受けねばならんのか。
「え? ええ? えええ? 」
そして、その良太はさっきから「え」しか言ってない。
おそらく、このUSBを作ったのは父だ、そしてハルはその中身と考えるのが妥当だろう。
そもそも、USBにはHALと書かれているのだ。
こんなソフトは見たことも聞いたこともないし、父にこんなものが作れるのか疑問だが……。
また、さっき俺はハルから体当たりを受けた。つまりハルには体があるということになるのだが、体を持ったソフトなんて実在するはずがない。
俺はこのことについて、あれこれ考えたが、好い答えが見つかるとは到底思えず、考えないことにした。
そういえば、これはずいぶん前の話だが、俺が父に何の仕事をしているのか聞いたとき、父は「世界の法則をプログラムする研究」をしていると答えた。
俺はあのとき、父は俺をからかったのだと思ったが、ひょっとしたらあれは本当のことだったのかも知れない。
もし本当に世界の法則をプログラムできるなら、このソフトだって作れるだろう。
俺はハルを引きはがし、腹をさすりながら、自分の考えが概ね正しいのではないかと思い、「なるほど」とつぶやいた。
「え、どういうこと?」
良太がすかさず聞き返してきたので、いまの仮説を一通り説明してやった。
「なるほど」
本当に分かったかどうかはさておき、良太はそうつぶやいた。
こいつは普通の人間なら信じないだろう話もあっさり信じるのだ。
まぁ、それは俺も案外同じかもしれない、というのも、この世界は何が起こってもおかしくないということを実体験で知っているからなのだが、これはまた別の機会に話そう。
「ねぇ、お腹すいた……。」
ハルは俺の服を引っ張りながら、また食べ物の要求を始めた。
ほんとにソフトなのかと疑問が浮かぶが、考えていてもしょうがないので、晩飯にすることにした。
しかし一つ問題がある、今この家には食べ物がないのだ。
家に帰ってからコンビニでも行って何か買おうと思っていたが、良太やハルのせいでいまだに買いに行けてないのだ。
俺も腹が減ったので、コンビニに行くことにした。
「ちょっと、コンビニ行ってくる。」
俺が良太にそう告げ、部屋を出ようとすると、良太が「ちょっと待った!」と言った。
良太のほうを見ると、レジ袋を俺に見せびらかしている。
「ここに来る途中、俺が晩飯を買っておいてやった。今日はおごりだ。」
良太は胸を張り、満面のドヤ顔でそう言った。
良太が買ってきたメニューは以下の四品である。
鮭おにぎり 四個
どんだけ鮭好きなんだよ……。
「なんで鮭握りだけなんだよ!」
「いや、鮭だけ二十円引きだったもんで……。」
良太に鮭しか買って来なかった理由を聞くと、なんともセコイ答えが帰ってきた。
「あっ、でもこの握り飯、「冷めてもうまい」ってキャッチフレーズだったぞ!」
だからなんだというのだ。
コンビニの握り飯は皆冷めているだろうが。
しかし、おごってもらっているのだから贅沢を言うのは罪だろう、俺はそう思い直し、いちおう良太に礼を言って、ありがたく頂くことにした。
床に三人、良太、ハル、俺の順で座り、俺と良太が一つずつ、前に置かれた鮭握りに手を伸ばす。
なぜかハルは遠慮しているようである。
良太がそれに気づき、「遠慮すんなって」と言って、鮭握りを一つハルの前においてやった。
「あ、ありがとうございます……。」
ハルはそういうと、目の前に置かれた鮭握りを手にとった。
なぜか俺と接しているときと、態度が違う気がするのだが、なんだろう?
俺がこんなことを考えていると、ハルは鮭握りのビニールの包みを開けずに、そのまま食べようとしたので、とっさに制する。
「もしかして、コンビニのおにぎり食べたことないのか?」
俺が聞くと、ハルは小さく「うん……。」とうなずいた。
まさか現代社会に生きていながらコンビニおにぎりを食べたことがないとは……。
しかし、もしこいつがソフトだとして、この世界に出て来たのが初めてだとしたら、別に不思議な話ではないか、いや、ソフトが握り飯を食べるなど、不思議以外の何物でもない。
「ちょっと貸してみ。」
俺はそう言って、おにぎりをハルから受け取り、ビニールの包みを開けてやった。
ハルは包みから出された鮭握りを受け取ると、小さな声で「いただきます。」といってそれにかぶりついた。
しばらく、口の中でそれを噛んだ後、ハルは目を少し見開き、両手で持った鮭握りを見つめた。
左頬のマークが赤くなっている。
どうやら鮭握りを気に入ってくれたらしい。
それを見届け、俺と良太も続いてかぶりついた。
このおにぎりのキャッチフレーズは「冷めてもうまい」だったが、確かに、久々に大勢で食べるおにぎりは、冷めていながら、いつもよりおいしく感じられた。