空白の20年
坂本群馬の子ども時代。
群馬の両親は、共働きのサラリーマンだったので、祖母のタキに育てられたようなもだった。タキはなんとも豪快なばーちゃんで、細かいことは気にしにない。
例えば、幼年期に群馬が縁側から落ちても、おかまいなしだった。もっとも、群馬もめげずに、庭を這い回っていたのだが…。
またある時は、カップやきそばのお湯を捨てないで作ってしまった。
「ばーちゃん、まずい」
「そういえば、お湯を捨てるのを忘れちまったからね。過ぎたことは仕方がない。文句言わずに食べな」
群馬は仕方なく、まずいカップやきそばをたいらげた。
そんなタキであったが、ある時、群馬とこんな会話をしたことがあった。
「群馬よ、男は甲斐性がなけりゃダメだ」
「甲斐性って何、お金持ちのこと?」
「バカ、それはただの守銭奴じゃ」
「じゃあ、甲斐性って何?」
「甲斐性のある男っていうのは、他人や世の中のために、金をどんだけ使っても、まったく金に困らない男のことだ」
「ふ〜ん、そうか〜、僕もお金をいっぱい使って甲斐性のある男になる」
「ワハハハ、頑張れよ」
タキは群馬を甲斐性のある男に育てようと教育にも熱心だった。だが、当の群馬は何をやっても中途半端で、決して利口な子どもではなかったのだ。
それでも、群馬のために書道の道具や本などを買いに行ってくれていた。群馬もそれが楽しみだった。車の免許をもっていないタキは、どこへ行くにも自転車である。
「ばーちゃん、僕が大人になって車に乗れるようになったら、いろんなところへ連れていってあげるから」
タキの笑顔はいつになく、優しかった。
そんなある日、タキが外出先で倒れ、救急車で運ばれた。群馬のために、上物のふでを買いに行っていた時のことだった。その後、詳しい検査の結果、胃がんであることが分った。しかも、もう手術できないほど、進行しているということだ。
「群馬、落ち着いて良く聞け」
父親の龍平が深刻な顏で言った。
「医者から、お袋の命があと半年だと言われた」
群馬は龍平が泣いているのを見たのは、この時が最初で最後だった。
「あんなに元気だったばーちゃんが…」
タキは今まで、大した病気もしたことがなかったので、群馬はそれが信じられたかった。
丁度、群馬が高校受験をする年だった。タキは、自分がそんな状態の中でも群馬の心配ばかりしていた。見舞いに行くと、とても喜んでくれるのだが、いつも気丈に振舞った。
「勉強があるだろうから、早く帰れ」
「もう少し…」
群馬は、タキがいなくなることが怖かった。この頃流行った歌で「明日のことなど、誰も分からない」という歌詞があったのだが、このフレーズが妙に群馬の印象に残っている。タキの余命を医者などに決められたくないという想いがあったのだろう。
しばらくして、群馬は書道で賞をもらった。毎年、タキと一緒に書いていたが、この年はひとりで仕上げたものを出展していたのだ。早速、タキに報告するため、病院へ行った。
「ばーちゃん、書道で賞がとれたよ」
「そーか、よかったなー」
「ばーちゃんに買ってもらったふでのおかげだよ」
「いやいや、群馬の実力じゃよ。この調子で勉強も頑張れよ」
群馬は、この時にタキから褒美でもらった一万円をずっと大切に持っている。
そして・・・この年の秋、タキは逝った。まだ、車に乗せてどこへも連れていっていなのに・・・。群馬が初めて人の死というものにふれた15歳の秋だった。
「男が泣くのは人生で二回だけでいい。それは、親父が死んだ時と、お袋が死んだ時だ」
幼い頃、龍平に言われたことを思い出していた。そのせいなのか、群馬の感情が未熟なのかわからないが、この時、不思議と涙はでなかった。
「僕が今やるべきことは、受験勉強だ。ばーちゃんも、きっとそれを望んでる」
タキの葬儀の日、群馬は午前中の模擬試験を終えてから参列している。泣いているヒマなどなかったのかもしれない。
後に、群馬は占星術の勉強をする時期がある。そこで、宿命大殺界というものの存在を知る。人生の中の20年間がすっぽりと抜けてしまうというものだ。
人によってそれぞれなのだが、群馬の宿命大殺界はこの年から始まった。宿命大殺界の入口と出口では、命に関わるほどの大きな変化があると言われている。群馬にとっては、タキの死がそれだったのかもしれない。思い返してみると、出口の年は起業したばかりで、調子に乗っていた頃だった。ひとときは良かったのだが、あっという間に事業と投資に失敗して全財産を失ってしまい、文無し群ちゃん時代が始まった年であった。
また、同窓会の開催も、群馬にとっては空白の20年をつなげるための作業だったのかもしれない。だが、実際につなげてみたら、すっぽりと抜けてしまったものは、とてもとても大きな存在だったのだ。
「もしも、宿命大殺界がなかったら、15歳の未熟な僕でも、ソウルメイトである碧の存在に気付かなかったはずはないし、きっと、そばから離れることもなかった」
玉木碧へ連絡すらできなくなってしまった頃、タキにもらった一万円を眺めながら、群馬はそんなことを考えていた。
だが、宿命大殺界も含め、すべてに無駄はない。また、占星術をひとつの学問として利用するのは構わないが、それに頼りすぎてはいけないことも理解していた。
「前を向いて、今ここを生きるしかない」
自分にそう言い聞かせる群馬であった。