第16話 谷向こうの青い聖装
谷向こうの村へ向かうにあたり、アルトはすぐに飛翔魔法で谷を越えることはしなかった。
まず見ておくべきものがあったからだ。
谷の中腹、墓石が立ち並ぶ比較的平坦な一帯。
四つの村の共同墓地とも言えるその広大な墓地群の中でも、ある一角だけ、地面の様子が明らかに異なっていた。
掘り起こした、というより、地中から外に向かって何かが出てきたような跡。
土が内側から押し上げられ、割れ、墓石の根元を歪ませている。
その痕跡はおよそ百ほどの墓石が並ぶ一帯にだけ集中していた。
アルトは、しばしその景色を見下ろした。
村々の暴動には、この墓地から這い出た多くの死肉喰が関わっていると考えていた。
だが想像していたより少ない。
百程度でも確かに異常であり、これだけで一つの村を壊すには十分な脅威にはなり得る。
しかし、それだけでは近頃の暴動の頻度と広がりが説明できない。
森で出会った限られた村人たちのように、他の村人たちの大半が生きたまま、あるいは一度何らかの方法で殺されたのち、死肉喰の宿主として利用された可能性が脳裏をよぎる。
死肉喰に変える理由も、それらを村へ向かわせ暴動の火種とする理由も、いまはまだ分からない。
だが、見過ごしていいものではないことだけは確かだった。
「アルトさん」
少し後ろで、イルナが耳をぴくりと動かす。
「このあたり……まだ、いやな匂いが残っています」
「死肉喰の?」
「それもあります。でも、もう少し……こう、湿っていて、重い感じです」
「呪詛の残り香かもしれないな」
アルトは低く呟いた。
セラフィナは黙ったまま辺りを見回している。
先の失態がよほど堪えているのだろう。
不用意に突っ込むこともせず、珍しく慎重そのものだった。
アルトは墓石の一つひとつを確かめるように歩いた。
その一帯の墓石だけ、名前が彫られていない。
単純に身元が分からず村で息絶えた者。
あるいは何かしらの事情があって名を伏せた者。
理由はいくらでも考えられる。
だが、まとまって無名墓ばかりというのはやはり引っかかる。
その時だった。
一つの墓石の傍に立てかけられた、抜き身の錆びた剣が目に入る。
不意に、幼い頃の光景が脳裏をよぎった。
朝靄の庭。
家庭教師の厳しい声。
その横で、気まぐれに修練に付き合ってくれた兄の姿。
リオネル。
アルトがまだ小さかった頃、ほんのわずかな時間ではあったが、家庭教師と共に剣の型を見てくれた兄。
彼はアルトが学院に入るより前に旅へ出て、すでに十年近くが経っている。
まさか、と思った。
震える手で、アルトはその剣の柄に触れる。
錆びている。
柄革も朽ち、鍔もかなり傷んでいる。
しかし、その内に刻まれた紋章だけは、まだ辛うじて判別できた。
ヴァレイン家の紋章。
「……アルトさん?」
イルナが心配そうに覗き込む。
アルトはすぐには答えられなかった。
剣の劣化具合からして、かなりの年数が経っている。
これが自分の知るリオネル本人の物であると断定はできない。
だが同じ家の出身者がこの地に埋葬されていた事実だけは、もう疑いようがなかった。
魔王討伐へ旅立ち。
どこかで非業の死を遂げ。
遺体すら故郷へ帰ることなく、縁もゆかりもない地に眠る。
きっと、よくあることなのだろう。
勇者の家に生まれた者にとっては、なおさら。
埋葬されていただけ、まだましなのかもしれない。
だが、それが。
間違いなく本人の意思とは無関係に、地中から呼び起こされてしまっている。
アルトの中で、何かが静かに固まった。
今回の依頼はますます見過ごせない。
「……行こう」
ようやくそう口にした時、声は思ったより平静だった。
「次の村を見てから、谷向こうへ向かう」
「はい」
イルナが小さく頷く。
セラフィナも、何も言わず真顔のままついてきた。
*
谷向こうの村に至るまでに経由できる二つの村は、いずれも似た静けさに沈んでいた。
人の気配がない。
それでいて、生活の痕跡だけがやけに生々しく残っている。
半開きの戸。
洗いかけの器。
子ども用と思われる木靴。
干しかけた布。
刈り入れの途中で放置された畑。
すべてが不意に止まっていた。
「……ひどい」
セラフィナが珍しく怒りを隠さない声で漏らす。
だが、それでも食料を食い荒らした痕跡はある。
散らばった野菜屑。
齧られた保存肉。
割られた壺。
大半はおそらく森の獣か、死体化した村人たちの仕業なのだろう。
辛うじて生き残っている家畜もいた。
痩せ細り、柵の中でかろうじて立っているだけの山羊。
繋がれたまま衰弱しきった馬。
そのすぐそばには、飢えや病で息絶えたらしい牛の死骸が横たわっていた。
アルトはその死骸にしゃがみ込み、首筋に残った跡を確かめる。
野生獣に食い荒らされた形跡はない。
爪ではなく、歯だ。
しかもその並び方は明らかに人のものに近い。
「……人の歯形」
アルトが言った。
「死肉喰は宿主と同類の遺骸を主食とするが、他の種の肉をまったく食べないわけじゃない。これもその一種だろう」
「つまり」
セラフィナが眉を寄せる。
「この村の誰かが、家畜を?」
「加工もせずに、その場でかじりついてる」
アルトは死骸から立ち上がる。
「正気の人間の行動じゃない。死肉喰の発生を裏付ける証拠の一つだ」
そして三人は、まだ日が高いうちに谷向こうの村に辿り着いた。
*
谷向こうの村は、これまで経由してきた村よりも一回り大きかった。
道も整えられている。
中央広場へ向かう石畳も、ところどころ崩れてはいるが、元はきちんと手入れされていたことが分かる。
家々の造りも比較的整っており、どこか都会的ですらあった。
それだけに、人の気配がないことが異様だった。
村人による死肉喰の発見以来、誰もいなくなったとされていた村。
だがここも、他の村と同じだった。
人だけが消えている。
視線を巡らせれば、生活の名残はそこかしこにある。
荷車。
広場の端に寄せられた市の机。
桶。
転がった林檎。
途中まで道端を掃いたのであろう箒。
やがて広場が見えてきた時、三人は同時に足を止めた。
人影がある。
誰もいないと踏んでいただけに、それは強い違和感だった。
あるいは死肉喰かと思われたその影は、近づくほどに、まぎれもない生者の輪郭を結んでいく。
青を基調とした聖装。
長い髪は慎ましく纏められ、緩やかに布の内へ収められている。
おっとりとした目元は常に柔らかな微笑を湛えているように見え、泣き黒子と艶やかな唇が相まって、妙に色気があった。
聖職者らしい清廉さを保ちながら、その聖装が身体の線をあまりにきれいに拾ってしまっていることも含めて、実に印象的な女性だった。
その周囲には、淡い光を放つ小さな球体がいくつも飛び交っている。
「ルーチェル……」
イルナが小さく呟く。
妖精よりさらに下位とされる、極めて臆病な妖精種。
静かな森や聖域に近い場所にしか現れないとされ、悪意に敏感で、僅かな不浄ですら嫌って近寄らない。
地域によっては精霊の使いとして神聖視されるほどの存在だ。
そのルーチェルたちが、まるで彼女に懐いているかのように周囲を漂っていた。
シスターは三人の姿を認めるや、深々と頭を下げた。
「ようこそ、おいでくださいました」
その声は柔らかかった。
「ルーチェルたちが教えてくれたのです。森から、ようやく救いの方々が来てくださったと」
待っていた、とその人は言った。
死肉喰の大量発生以来、身を潜めていたこと。
数が多すぎて、自分一人の力では手に負えなかったこと。
救える命を取りこぼし続けたことが、どれほど苦しかったか。
そのすべてを、彼女は自分を責めるように、静かな悔恨として口にした。
「私がもっと早く、何かできていれば……」
おっとりとした目を潤ませ、シスターは胸元で手を組む。
「本当に、情けないことです。墓守としても、神に仕える身としても……」
アルトはその姿に、違和感ではなく、むしろ安堵に近いものを覚えていた。
この地がこれまでどうにか保たれていたのは、きっとこの人が踏ん張っていたからだ。
そう根拠もなく思えるほど、彼女の佇まいは自然で、善良だった。
「依頼書を見て来ました」
アルトが言う。
「王都の冒険者ギルドから」
「まあ……!」
シスターは本当に嬉しそうに目を潤ませた。
「届いていたのですね。よかった……本当に、よかった……」
シスターは、ようやく救援が辿り着いたことに心から安堵している。
本当に、心から。
アルトは彼女に自然と敬意すら抱き始めていた。
そこでふと、彼女の頬が少し赤いことに気づく。
「シスター」
「はい?」
「少し熱があるのでは」
「え……?」
シスターは自分の頬に手を添え、どこか困ったように微笑んだ。
「実は、少し前から熱っぽくて……。ですが、この程度で休んではいられませんので」
「もしよければ、回復魔法を」
アルトはそこで、以前より少しだけ慎重になった自分に気づく。
「使っても?」
その問いに、横のイルナがほんの少しだけ目を見開いた。
咄嗟に止めかけた。
だがシスターの方が、やわらかな笑みでそれを受け止めた。
「まあ……そんな、ありがたいことを」
「では」
「ええ。どうかお願いします」
快く受け入れられた以上、イルナもそれ以上は止められず、静かに引き下がる。
アルトは自身の中ではかなり抑えた、ごく微弱な魔法を彼女に流した。
本来なら、熱を引かせるに足るかどうかも怪しいほどの、極小のものだ。
だが、その瞬間。
「ああっ……!」
不意に、艶のある声がシスターの唇から漏れた。
頬は先ほどより赤みを増し、おっとりとした目は蕩け、涙まで滲んでいる。
全身が甘く震え、その場に崩れかけた彼女を、アルトは咄嗟に支えた。
その手に、シスターの震える手が重なる。
熱を帯びた吐息。
あらぬ声が再び漏れ出るのを恐れたかのように震える唇。
どうにか、礼だけは言おうとする気配。
「……ありがとう、ございます……」
「大丈夫ですか?」
「は、い……少し、驚いてしまって……。なんて、お優しい……」
アルトは少しだけ首を傾げた。
だが、回復魔法に対して身体が過敏に反応することもないではない。
よほど体調が落ちていたのだろうと、その場では納得した。
実際には、シスター・イレーネはアルトの微弱な魔法からその魔力回路を逆に辿り、そこに繋がる膨大な魔力の一端を垣間見たことで、盛大に絶頂していたのだが。
もちろん、この場の三人が知る由もない。
*
シスター・イレーネは三人を教会に招いた。
村の中央広場に面したそれは、この村の規模に対してやや大きく、きちんと維持されてきたことが分かる建物だった。
内部は静かで、木と石の匂いが落ち着きを誘う。
祭壇の近くにもルーチェルが幾つか漂っており、この場所がたしかに『聖域』として保たれてきたことを示していた。
互いの情報を共有するうち、イレーネはこの村を含む四つの村以外で、魔族領との境界沿いに暴動が頻発している事実を知らないようだった。
「そんなことが……」
イレーネは眉を寄せる。
「私は、死肉喰の発生とともに身を潜めながら、近場の個体に対処して回るだけで精いっぱいで……。恥ずかしながら、それ以上のことは何も」
その口調にも、やはり違和感はない。
むしろ自らの無力を悔やんでいるようにさえ見える。
「そういえば」
アルトは思い出したように言う。
「あなたが墓管理を手伝わせていたという村人たちには、森で会いました」
「本当ですか!?」
その瞬間、イレーネの顔が一気に晴れる。
心からの喜びにしか見えなかった。
「よかった……! 本当によかった……! まだ無事な方がいらしたのですね……!」
「はい。位置も分かっています」
「どうか、詳しく教えてください」
イレーネは身を乗り出した。
「死肉喰への対処は一人では限界があります。彼らと合流できるなら、私も必ずお力になれます」
アルトはごく自然に、彼らがいる場所を丁寧に説明した。
森の外れ。
目印になる岩。
倒木の位置。
川の音がどう聞こえるかまで。
セラフィナもイルナも、その場では何の疑問も抱かなかった。
むしろこれで助かる者が増えるなら、と思っていたくらいだ。
「自分も同行します」
アルトが言うと、イレーネは首を横に振った。
「いいえ。ルーチェルたちがいますから」
そう言って、小さな光の群れに優しく目を向ける。
「それに、墓守としての務めは、できる限り自分の手で果たしたいのです」
そこには健気さすらあった。
自分の役目を他人任せにしない、ひたむきな誠実さ。
アルトはそれ以上、何も言えなかった。
やがてイレーネは、夕刻までには戻る旨を告げて教会を出て行った。
ルーチェルたちがその後をふわふわと追い、青い聖装が薄暗い村の中へ静かに溶けていく。
アルトはその後ろ姿を見送りながら、ふと何かを忘れている気がした。
死霊使いについて、聞きそびれた。
そう気づき、追おうと一歩踏み出しかけた時だった。
「兄ちゃん……! こっちだ……!」
教会横の木陰から、聞き覚えのある声がした。
*
そこにいたのは、あの三人組だった。
イレーネが村を出たのを見計らったように、木陰からぬっと現れる。
顎髭の男と、顔の崩れた男。そして、二人に支えられるように立つミザリー。
「迎えにきた……」
ミザリーがぼそっと言った。
「うちのお嬢……いや、ミザリーがな」
顎髭の男が肩を竦める。
「兄ちゃんたちのことが心配だから、様子を見に行くって聞かなくてよ」
「そんなんじゃ、ない……」
ミザリーは眠たげな顔で否定した。
「食料の恩もあるしな」
顔の崩れた男が言い添える。
なぜミザリーがそこまでアルトたちを気にかけるのか。
「ついて来てくれ」
顎髭の男が言う。
「見せてぇもんがある」
三人に案内されて向かったのは、村はずれにある小屋だった。
村人たちが口々に言っていた、あの『気味の悪い女』の住処。
小屋は住むのがやっとという有様だった。
壁板は何枚も割れ、屋根も一部が崩れ、明らかに故意に壊された跡がある。
辛うじて形を保っている、という体裁だ。
顎髭の男が建付けの悪い扉を叩く。
だが反応はない。
そこでミザリーがのそのそと前へ出て、扉の前に立った。
「ネリア……」
それだけだった。
次の瞬間、扉が音もなく少し開き、その隙間から伸びた手がミザリーの腕を掴んで中に引き込む。
アルトは咄嗟に動きかけた。
だが、そこで止まる。
殺気がない。
それどころか、手の動きにはどこか迷いがあった。
恐怖と、焦りと、それでも『この人』だけは守らなければという切実さだけがある。
「大丈夫、だから……」
扉の向こうから、ミザリーのぼんやりした声がする。
「この人たちは、いい人……」
まもなく、再びミザリーが扉の前に現れる。
その背後から、恐る恐るといった様子で顔を覗かせた少女を見て、アルトは無意識に息を止めた。
ぼさぼさの黒髪。
垂れた目。
自信がなさそうに丸めた背。
少し肉付きのいい、少女らしさの残る身体つき。
しかも、おどおどしている。
こちらを見てはすぐ目を逸らし、それでもミザリーだけは離すまいと背後から抱きついている。
かなり良い。
「ご挨拶……」
ミザリーが身をひるがえし、逆に背後からその少女に抱きつき、頬を優しい手つきで撫でながら促す。
「……っ」
少女はますます耳まで赤くした。
「ね、ネリア、です……」
これが、ネリア。
村人たちから忌み嫌われ、第一容疑者として語られていた死霊使い。
「よろしく」
三人は、どうしても目を合わせてくれない少女を気遣いつつ挨拶を済ませる。
「ここでは狭いな」
アルトが小屋の中にちらりと視線をやる。
中はとても大勢を迎えられる状態ではなかった。
所狭しと積まれた魔導書。
床に散る呪具。
紙片。
薬瓶。
器具。
そして隅に押し込まれた寝具。
目に入った魔導書の数々に、アルトの意識が一瞬だけそちらに持っていかれる。
「っ」
その反応を見たネリアが、ほんのわずかに目を丸くした。
外へ椅子や木箱を運び出し、どうにか話の場を作ることになった。
顎髭の男と顔の崩れた男は、雑に見えて驚くほど手際よく茶器を扱い始めた。
茶を淹れる所作も、道具の扱いも無駄がない。
なぜか二人がこの姉妹を『主』として扱っていることが端々から見て取れた。
アルトはその辺りの良さにも感心しながら、しかし視線は自然とネリアの小屋の内部へ向いてしまう。
「あれは……」
思わず漏れる。
「かなり面白い系統の研究書が……」
ネリアがびくりと肩を震わせた。
「お、面白い……?」
「ええ」
アルトはすぐさま語り始めた。
「死霊術や魂魄固定の系譜は、どうしても禁忌として切り離されがちですが、そもそも生命維持と魔力回路再構成の中間領域に位置する術式群というのは魔法史の中でも極めて魅力的で――」
そこから先は止まらなかった。
秘術ができるまでの過程。
未完成だからこその価値。
系統としてまだ途上にあるがゆえに、人がそこに何を夢見たか。
死霊術というより、生と死の境界をどう定義するかという魔法学上の根源的な魅力について。
言っている内容は、イルナにもセラフィナにもほとんど分からない。
男たちも若干引いている。
だが、ネリアだけは違った。
自分が抱え続けてきた禁術。
ずっと後ろめたく、間違っていると分かっていながら、それでも捨てられなかった術。
それを初めて、魔法として真正面から肯定された。
ネリアの目から、不意に涙が零れた。
「え……」
本人が一番驚いたように目を見開く。
その時にはもう、ミザリーが背後から優しく胸に抱き寄せていた。
「……ね、ほら……」
ミザリーが眠たげなまま囁く。
「いい人、だった……」
*
ネリアがどうにか落ち着いたのを見計らい、二人の男が茶を配りながら、ようやく本題に入った。
ミザリーたちが懸念していたのは、死肉喰の存在についてだった。
「最初に見つけたのはネリアなんだ」
顎髭の男が言う。
「谷向こうの村のはずれでな」
「死肉喰が、何体も、いて……」
ネリアが膝の上で手を握りしめる。
「その中に、シスターが、立ってた……」
アルトはわずかに目を細めた。
「何事もなく?」
「……うん」
ネリアが頷く。
「死肉喰は、ふつう、近づくと危ない。でも……あの人のそばにいる時だけ、変で……」
「ネリアはそれを村人たちに伝えようとした」
顔の崩れた男が続ける。
「だが誰も信じねぇ。イレーネ様が関わってるわけねぇってな」
「俺経由でも話してみたが、ただ『谷向こうの村で死肉喰を見た奴がいる』って噂になっただけだ」
そこで、アルトはネリアとミザリーを見比べた。
「確認したいんだけど」
「……な、なに?」
ネリアが身を固くする。
「二人は姉妹?」
ネリアが息を呑み、男たちが一瞬視線を交わす。
ごまかすつもりだったのだろう。
だが、アルトはすでに確信していた。
「ネリアの気配は、完全な人間じゃない」
アルトが穏やかに言う。
「でも、敵意はない。むしろ……よく似た質をミザリーからも感じる」
「……」
「それに、自分たちには魔族への偏見がないことは、たぶん見ての通りだと思う」
その言葉に、ネリアだけでなく二人の男も観念したように肩を落とした。
「……ああ」
顎髭の男が静かに認める。
「お察しの通りだ。俺たちは昔、魔族領でこの姉妹のご両親に仕えていた」
「俺たち自身も元は魔族だ」
顔の崩れた男が続ける。
「ただ、俺たちは人族寄りの血が濃かったせいで、人族として転生した」
「ミザリー様も同じだ」
「ネリア様だけが、魔族の血に強く寄っていたから……」
そこで男が口をつぐむ。
だが、顔の崩れた男はもう止まらなかった。
「ネリア様はなぁ……」
声が少し震える。
「ずっと追ってきたんだよ。ミザリー様を。何百年も、ずっと」
「おい」
顎髭の男が制する。
「やめろ」
「でもよぉ……!」
「やめろと言ってんだ」
しかしもう遅かった。
アルトの頭の中では、かなりの部分がつながっている。
ミザリーの在り方が、他の死体化した村人たちと明らかに違う理由。
肉体維持の状態。
精神の焦点の揺らぎ。
食事ではなく別の『必要』があること。
「ネリア」
アルトはできるだけ穏やかに問う。
「ミザリーの魔力回路を再構成した?」
ネリアの肩が大きく震えた。
「……っ」
「しかも、ただ魂魄を固定しただけじゃない。血液由来の魔力摂取で肉体維持ができるような術式を組み込んでいる」
「……」
「つまり、吸血鬼に近い構造に寄せた?」
俯いたまま、ネリアは小さく頷いた。
「お、お姉ちゃんの身体が、崩れないように……」
その声は震えていた。
「普通の固定だけじゃ、足りなくて……だから……血を、魔力として……」
「……なるほど」
アルトは心の中で本気で手を合わせた。
偉業だ。
しかも、かなり愛が重い方向での偉業である。
自分が死体化した村人に回復魔法をかけた時に一瞬考えた『魔力回路を外から再構築する』という発想。
それをネリアは、ミザリー一人のために実際にやってのけている。
もちろん完全ではない。
だが、完成していないからこそ凄まじい。
「……すごい」
アルトが心からの感嘆を漏らす。
「え?」
ネリアが顔を上げた。
「自分なら理屈だけで止める。だが君はやった。一部の村人たちの魂魄を留めたのも君だね」
「そ、そんなの……」
ネリアはぶんぶんと首を振る。
「お、お姉ちゃんのために、実験しただけだから……! 人に使えるか、試しただけで……!」
強がりだと丸分かりだった。
その実、根っからの優しさゆえに、彼女は死体化して朽ちていく村人たちを放っておけなかったのだ。
そうでなければ、わざわざ不完全かつ複雑な秘術を何人分も試すはずがない。
アルトはその事実に、内心で静かに歓喜していた。
そしてミザリーはというと、妹の偉業を何故か自分のことのように誇らしげな顔で見ている。
「ネリア、すごい……」
「お、お姉ちゃん……!」
「すごい……」
「やめてぇ……!」
*
ネリアが最初に死肉喰を発見した時のことも、そこで語られた。
村人たちが次々に死に絶え、徐々に死肉喰へと変わっていく光景。
それを見たネリアはすぐさま村から離れ、ミザリーたちのいる村に急いだ。
気配を察して村の外に出てきたミザリーと二人の男たちに報告し、四人はまだ生きている村人の保護を最優先に決めた。
そこで出会ったのが、あの森でセラフィナが魔物と勘違いして追い回していた村人たちだという。
「構造も、原因も、分からなかったけど……」
ネリアが言う。
「生きたまま、朽ちていくのを見て、放っておけなくて……」
人族として転生し、魔族よりはるかに短命となった姉ミザリーの肉体維持のため、死霊術を研究し続けていたネリア。
その知識と術を、死んで間もない村人たちに行使した。
「死んで、すぐなら……魂の残りが、まだ強いから」
ネリアが指先をぎゅっと握る。
「固定だけなら、できる……。でも、全員分の回路を組み直すのは、無理で……」
「だから彼らは死体化したままなのか」
アルトが頷く。
「でも、自我は残った」
「……うん」
そこには、確かに不完全さがあった。
だが、それでも彼らを『ただの宿主』にしなかったという一点だけで、その術は十分すぎるほど意味を持っていた。
「お、お姉ちゃんのために実験した、だけだから……」
ネリアはなおも強がる。
だがその言葉に、誰も本気では頷かなかった。
ミザリーが優しく妹の肩に頭を乗せる。
二人の男は何も言わずに茶を飲む。
イルナは静かに目を伏せる。
セラフィナでさえ、茶化すことはしなかった。
*
その時だった。
「……ちょっと待って」
不意にセラフィナが顔を上げる。
全員の視線が集まる。
「あいつら」
セラフィナの顔色が変わっていた。
「危ないんじゃない?」
「……あ」
アルトも同時に気づいた。
シスター・イレーネと出会った時には、三人とも何の違和感も抱かなかった。
むしろ善良で、健気で、頼るべき存在にすら見えていた。
だがこうして、ネリアとミザリー、その従者たちの話を通してみると、いくつもの不自然さが浮かび上がる。
少し考えれば辿り着けたはずの疑問に、自分はまったく至れなかった。
アルトは無意識に立ち上がっていた。
何気なく、シスターに彼らの居場所まで丁寧に教えてしまったのだ。
森の位置。
目印。
倒木。
川の音。
全部。
「行くぞ」
アルトが短く言う。
「はい!」
イルナが即座に立つ。
「くっ……最悪ね!」
セラフィナも剣に手をかけた。
ネリアだけが、まだ事態を飲み込めていないように目を瞬かせている。
だが次第に、先までのアルトがそうだったように、胸の内に溜まっていた疑念が確信となって、自然と湧き上がってくる。
「イレーネ様が……」
その声に、ミザリーが珍しくはっきりと言った。
「そうだよ……」
アルトはそれには答えず、小屋を飛び出した。
谷向こうの村に、再び薄い霧が降り始めていた。




