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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第1話 名家の集う教室

 十年という時間は、人を育てる。


 それが勇者の家に生まれた子どもで、なおかつ中身に前世の変態と知識の女神の蔵書が丸ごと詰まっているとなれば、なおさらである。


 アルト・ヴァレインは育った。


 背が伸びた。

 骨格が整った。

 幼い頃の丸みは薄れ、まだ少年の線を残しながらも、将来の端正さを疑わせない顔立ちへ変わっていった。

 髪は相変わらず品よく整い、青灰の瞳は年齢のわりに妙に落ち着いて見える。

 勇者の家の子として見栄えは十分。

 というより、かなり良い部類だ。


 だが、その外見の良さなど、アルトの本質からすればだいぶどうでもいい枝葉だった。


 問題は中身だ。


 十年のあいだに、アルトは魔法を鍛えた。

 それも、まともとは言い難い方向で。


 下位魔法の連発による器の拡張。

 高密度魔力形成のための座禅。

 変態性を静かに濃縮して魔力の芯へ変える、もはや説明したくもない独自理論。

 身体強化と結界補強を噛ませたままの無茶な肉体運用。

 亜空間魔法の基礎と、その応用。

 位相をずらし、自分の位置情報を世界へ仮留めする感覚。


 そして、一時的固定と再構築。


 これは本当に、あまり人へ言えるものではない。


 器を壊して広げる。

 肉体も精神も一度ひしゃげさせ、そのうえで元の輪郭へ戻しながら、以前より深く広い『器』として再構成する。

 そんなものは訓練ではなく、だいたい拷問か狂気のどちらかだ。

 だがアルトは、何度も死にかけながらそれを続けた。


 最初の頃は、さすがに後遺症もあった。

 数日ほど身体が鈍い。

 視界に色が足りない。

 息を吸うだけで胸が痛む。

 座禅の最中に、怒りや偏愛や未来視の残滓が混じって気分が悪くなる。


 それでも、成果は出た。


 魔力の器は広がった。

 密度は上がった。

 亜空間への干渉は、かつて未来視で見た『封印されて詰む』最悪の未来に対する、薄いが確かな対抗手段になった。

 そして肉体もまた、勇者の家の血にふさわしい方向へ鍛え上げられた。


 筋力一辺倒ではない。

 むしろアルトが重視したのは、身体の通し方だった。


 どの角度で骨を立てるか。

 どこで重心を逃がすか。

 力を入れるより先に、流れを作ること。

 幼い頃から兄と家庭教師に叩き込まれた体さばきへ、異世界越えの知識を裏打ちした結果、アルトの身体は年齢に不釣り合いな完成度を得ていた。


 もちろん、その過程で変態性も磨かれた。


 いや、磨かれたどころではない。

 おぞましいまでに研ぎ澄まされた、と言うべきだろう。


 エルミナの件以降、アルトの中にある『見捨てられた側』『半歩押しやられた側』『主役の隣で静かに消耗していく側』への感度は、もう常人の域を越えていた。

 前世からの素質。

 フィレイアとの百年。

 勇者の家で見てきた家族構造。

 それら全部が合わさった結果、アルトの審美眼はほとんど病的な精度を持つに至っている。


 誰が前へ出る人間か。

 誰が支える側か。

 誰が押しやられやすいか。

 誰が自分の望みを後ろへ置いて笑ってしまうか。

 そういうものを、もはや視界へ入った瞬間に拾ってしまう。


 それを本人は『変態性』と呼んでいるが、たぶんかなりの割合で呪いに近い。


 そしてその呪いを携えたまま、アルトは学院へ来た。


 王都の名門学院。


 勇者家系。

 有力貴族。

 魔法名門。

 騎士名門。

 聖職名門。

 国の未来を担うとされる、主役候補たちの集積地。


 門をくぐった瞬間から、空気が違う。


 建物は堂々としている。

 無駄にきらびやかなわけではない。

 だが、金と歴史と権威がきちんと調和している。

 石造りの回廊。

 高い窓。

 手入れの行き届いた庭。

 歩く生徒たちの制服の質。

 付き従う従者の数。

 会話の端々に混じる家名。


 なるほど、と思う。


 ここは『若い主役たちのための場所』だ。


 だからこそ、アルトのような人間を放り込むとだいぶややこしいことになる。


 教室へ向かうまでの廊下でも、何人もの視線がこちらへ向いた。


 ヴァレイン家の嫡流。

 勇者の家の少年。

 しかも見た目も悪くない。

 そりゃ視線も集まる。


 前世の平助なら、この時点で「面倒だな」と心の中で舌打ちしていたはずだ。

 今のアルトも、その本質はさほど変わらない。

 ただ、十年の訓練を経たことで、『面倒でも観察材料にはなる』くらいの余裕はできていた。


 教室の扉を開く。


 そこにいたのは、まさしく『主役候補たち』だった。


 金髪で気品のある令嬢。

 鋭い目をした魔術名門の少女。

 柔らかな笑みを浮かべる聖職家系の娘。

 剣士然とした身のこなしの少女。

 その他にも、顔立ちも家柄も華やかな者が並んでいる。


 空気がある。


 この教室には、すでに中心がある。

 誰が視線を集め、誰が自然に輪の中央へ立ち、誰がそれを当然として受け入れているか。

 その力学が、入った瞬間に分かる。


 周囲は、おそらく思っただろう。


 ヴァレイン家のアルト・ヴァレインなら、当然その中心へ加わる、と。


 だが、アルトの視線は最初からズレていた。


 教室の隅。


 そこに、静かに立っている少女がいた。


 ルゼリア。


 アルトはまだ、その名を知らない。

 だが、その存在だけは扉を開けた瞬間に拾ってしまった。


 黒紫の髪。

 白い肌。

 整いすぎているのに、主張しない顔。

 教室にはいる。

 しかし、空気の輪へは入っていない。

 馴染むつもりがないのか、馴染めないのか、その中間みたいな立ち方で、ただ静かにそこにいる。


 いい。


 非常にいい。


 いきなり危険だ。


 教室の中央には、いかにも物語の表紙を飾りそうな少女たちがいる。

 だがアルトの視界は、それらを一度通り過ぎて、まず『隅の異物』で引っかかった。


 この少女は、何かを隠している。


 それも、ちょっとした秘密ではない。

 存在の根に近いところで、周囲と違う。

 その違いを、本人も知っていて、わざと気配を沈めている。


 ああ、とアルトは思う。


 いるじゃないか。


 こういうのが。


 主役候補だらけの教室へ放り込まれてなお、最初に目が行くのがこういう場所であるあたり、自分という男の一貫性には、もはや笑うしかない。


 だが、ズレはそれで終わらなかった。


 中央の輪。

 その中でも、ひときわ『メインヒロイン然』とした気配を持つ少女がいる。

 気品があり、華があり、周囲の視線を集めることに慣れているような立ち居振る舞い。


 普通ならそちらを見るべきなのだろう。

 少なくとも、この教室の力学に従うなら。


 だがアルトの目は、その少女のすぐ隣で、少しだけ半歩下がっている子へ向いた。


 緑髪。

 肩までの髪。

 少し跳ねやすい質感。

 頬には、よく見ればそばかす。

 華やかではない。

 だが、よく整っている。

 しかも本人は、自分がそう見られる側だと思っていない。


 視線の配り方。

 立ち位置。

 周囲への気遣い。

 主役の隣で、主役が主役らしく見えるよう自然に空気を整えている。


 良い。


 ものすごく良い。


 緑髪そばかす。

 少し素朴。

 でも、主役の隣にいるからこそ輪郭が際立つ。

 これはかなり危険な配置だった。


 アルトはそこで、ごく自然に、しかし教室全体からすればだいぶ意味不明な順番で情報を処理した。


 隅の少女。

 取り巻き側のそばかすの子。

 それからようやく、中央の華やかな少女たち。


 主客転倒にもほどがある。


 しかも、その視線の動きは、思っていた以上に周囲へ伝わっていたらしい。


 教室の空気が、ごく一瞬だけ、変わる。


 あれ、という顔。

 どこを見るでもないようでいて、でも明らかに『なんでそこ?』という困惑が混じった視線。


 たぶん、真ん中の少女――レオノーラのような主役格――からすれば、扉を開けた勇者家系の少年がまず自分に目を留めると思っていたのだろう。

 いや、思っていたというより、そういう力学に慣れているのだ。


 だが実際には、アルトは教室の隅と、その取り巻き側を見た。


 だいぶ失礼である。

 本人に悪気がないのが余計に質が悪い。


 アルトはそこで、ほんの少しだけ内心で我に返った。


 ……まずいな。


 さすがに初手から露骨だったかもしれない。


 いや、露骨だった。

 完全に。


 フィレイアがいたら、たぶん「……あなた、本当にそういうところだけは隠せないのね」と言っていたに違いない。


 だが、もう遅い。


 見てしまったものは仕方がない。

 そしてアルトの中では、すでに教室の配置が別の意味を持ち始めていた。


 中央。

 主役候補。

 その周辺。

 隅。

 沈められた気配。

 支える側。

 主役の華を引き立てる側。


 ああ、いる。

 ちゃんといる。


 これから先、この学院はなかなか面白くなりそうだった。


 もちろん、そこに普通の意味での『学院生活が楽しみです』みたいな瑞々しさはない。

 どちらかといえば、変態的な観察対象としての充実である。


 救いがない。


 だが、アルト本人はそれをかなり前向きに受け入れていた。

 数年の鍛錬で力は増した。

 魔法も体術も、かなり危険な領域まで来た。

 変態性もまた、おぞましいまでに磨かれた。


 その状態で、この主役候補だらけの教室に入ったのだ。

 何も起きないはずがない。


 教室の隅の少女が、ほんの一瞬だけこちらを見る。

 暗い色の瞳。

 深い警戒。

 いい目だ、とアルトは思う。


 次に、緑髪で少しそばかすのある少女が、なぜか自分が見られたことに気づいて、小さく肩を揺らした。

 困惑。

 やはり本人は慣れていない。


 その様子がまた、良い。


 そして中央の少女たちは、アルトの視線のズレに、まだ名前のつかない違和感を覚え始めている。


 何だこの男は、と。


 そうだろう。

 自分でもそう思う。


 だが、それでいい。


 主役の中央ではなく、半歩外側。

 その『半歩』の方へ自然に目が行ってしまうのが、アルト・ヴァレインという男のどうしようもない本質なのだから。


 そしてたぶん、この学院では、その本質が嫌というほど試されることになる。


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