EP1 青い光とピエロの死(執筆中)
好意を持つことは、時に傷つけることと同じ意味を持つのかもしれない。
アンチではなかったはずの自分が、もしも「推し」を壊していたとしたら。
これは、行きすぎた好意の末にライバーを休止させた男と、それを描くことで自身の罪悪感と向き合った私の物語です。
PCのブルーライトが、深夜の暗いワンルームを冷たく切り取っていた。
換気扇の回る低い羽音だけが、世界のすべてだった。
僕は瞬きもせず、画面の中央に表示された一枚の静止画を見つめている。
背景は真っ白で、そこには黒い明朝体の文字が、まるで墓標のように並んでいた。
『活動休止のお知らせ』
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
指先が震える。マウスを握る力が抜け、カチリと乾いた音が響いた。
ライバー名「アリス」。
透き通るような声と、どこか危なっかしいほどの真面目さで、僕の孤独な夜を埋めてくれていた少女。
彼女を殺したのは、紛れもなく僕だ。
僕、相馬湊は、アリスの熱狂的なファンだった。
いや、過去形にするのは卑怯だ。僕は今も彼女の声に飢えている。
仕事に追われ、人間関係に摩耗し、泥のように疲れ果てて帰宅した夜。ヘッドホンから流れる彼女の「おかえりなさい」という声だけが、僕の精神を繋ぎ止める命綱だった。それはまるで、冷え切った身体を内側から温めるホットミルクのような、無償の優しさを含んでいた。
だが、愛着はいつしか歪んだ支配欲へと姿を変えた。
彼女の配信は、伸び悩んでいた。真面目すぎるのだ。リスナーのコメント一つひとつに丁寧に答えすぎてテンポが悪くなる。ゲーム実況でも、派手なリアクションが取れずに謝ってばかりいる。
同接数は二桁を行ったり来たり。
僕は苛立った。彼女の良さはもっと広まるべきだ。そのためには、今のままじゃダメだ。
彼女には「毒」が必要だ。物語を動かすための、悪役が必要なんだ。
そう考えた僕は、「ジョーカー」というアカウントを作った。
ピエロのアイコン。それは、彼女という「不思議の国のアリス」を惑わし、そして成長させるための道化師のつもりだった。
記憶の蓋が開く。
三ヶ月前の配信だ。あれは、僕が自分の行いを「正義」だと確信してしまった、呪いのような夜だった。
その日、アリスはホラーゲームの実況をしていた。案の定、彼女は怖がるあまり無言になり、画面の端でキャラクターを震わせているだけだった。コメント欄には『大丈夫?』『無理しないで』という、ぬるい擁護が並ぶ。
配信の空気が死んでいた。
僕はキーボードを叩いた。
『また地蔵かよ。怖がる演技もできないなら、お遊戯会はよそでやれ』
送信ボタンを押すと同時に、コメント欄がざわついた。『言い過ぎだろ』『嫌なら見るな』と批判が飛ぶ。
アリスが息を呑む音が聞こえた。
しかし、その直後だった。ゲーム内の敵が突如窓を突き破り、大音量で叫び声を上げた。
あまりのタイミングに、アリスは「ひゃうっ!」と素っ頓狂な声を上げ、操作ミスでキャラクターを自爆させてしまったのだ。
一瞬の沈黙。
僕はすかさず打ち込んだ。
『演技以前の問題だったわ。自爆芸、100点』
その瞬間、アリスが吹き出した。
『ふ、ふふっ……! もう、ジョーカーさん酷い……! でも、本当だ……私、何やってるんだろ、あははは!』
つられるように、コメント欄に「草」が生え並んだ。『今の悲鳴は面白かった』『ジョーカーのフリが効いてたな』。
画面の向こうで、アリスが腹を抱えて笑っている。その笑い声は、いつもの控えめなものではなく、心の底から弾けるような、明るい音色だった。
その笑い声を聞いた時、僕の脳髄を強烈な快感が貫いた。
――これだ。
僕が彼女を笑わせた。僕の毒が、彼女の殻を破ったんだ。僕たちは共犯者だ。僕だけが、彼女の本当の魅力を引き出せる。
それは、恐ろしい誤解だった。
あれはただの偶然、あるいは彼女の優しさが生んだ奇跡的な一瞬に過ぎなかった。
けれど僕は、それを「成功体験」として学習してしまった。
それからの僕は、歯止めが効かなくなった。「ジョーカー」として彼女の隙を突き、揚げ足を取り、コメント欄を荒らすフリをして、彼女が反論することで場が盛り上がるよう仕向けた。
歪んだプロデューサー気取り。
彼女が困ったように笑うたび、僕は自分が特別な存在になったような錯覚に溺れていた。
しかし、その「特別」は、彼女の心を削り取る刃物でしかなかったのだ。
そして、昨夜の「ラスト配信」。
アリスの声は、最初から震えていた。いつもの透明感は失われ、枯れたように掠れていた。
画面にはゲーム画面もなく、ただ彼女の立ち絵だけが表示されている。
『みなさん、急な配信でごめんなさい。……私、もう限界みたいです』
コメント欄が騒然とする中、僕はまだ事態を飲み込めていなかった。
おいおい、まさか引退なんて言わないよな? これは「ジョーカー」に対する試練か? もっと煽って、彼女を奮い立たせるべきか?
僕は愚かにも、打ち込んでしまった。
『メンタル弱すぎ。ライバー向いてないって気付くの遅くない?』
アリスが、コメントを読み上げた。
いつもなら「もう、厳しいなあ」と返すはずの彼女が、黙り込んだ。
長い、長い沈黙。
やがて、彼女がポツリと溢した言葉は、僕の予想を遥かに超えるものだった。
『……私ね、配信を始めた時、ただ誰かに笑ってほしかったんです。学校や会社で辛いことがあって、夜一人で泣いている人が、ここに来たら少しだけホッとできるような。そんな「雨宿り」みたいな場所を作りたかった』
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
彼女が求めていたのは、数字でも、派手なリアクションでも、プロのようなトークスキルでもなかった。
ただ、純粋な「癒やし」。
それは皮肉にも、僕自身が一番最初に彼女に求めていたものだった。
『でも、私の配信は、誰かを傷つける言葉が飛び交う場所になってしまいました。ジョーカーさん……あなたの言葉を見るたび、胸が張り裂けそうでした。私が言い返せば盛り上がるのかもしれない。でも、そのたびに私の心は、血を流していたんです』
血の気が引いていくのがわかった。
違う。僕は君のために。君をもっと有名にするために。
言い訳が喉元まで出かかり、そして凍りついた。
画面の中のアリスが、泣いていたからだ。
『私が弱いから、ごめんなさい。……でも、もう怖くて、声が出ません。大好きな歌も、みなさんとのおしゃべりも、全部が恐怖に変わってしまいました』
彼女の嗚咽が、ヘッドセットを通じて僕の鼓膜を叩いた。
それは、僕が奪った音だった。
僕が愛し、すがりつき、毎晩の安らぎとしていた彼女の声を、僕自身の手で永遠に葬り去ってしまったのだ。
『今まで、ありがとうございました。……さようなら』
プツリ。
配信が途切れた。
現在の部屋に戻る。
手の中のマウスが、じっとりと汗ばんでいた。
喉の奥に、鉛のような後悔が詰まっている。吐き出そうとしても、こびりついて離れない。
僕は、自分の安らぎを自分で壊したのだ。
彼女の真面目さを「欠点」だと断じた傲慢さ。彼女の純粋な願いを踏みにじった独りよがりな正義。
あの爆笑した夜、僕たちは繋がっていたんじゃない。彼女は、僕の投げたナイフを笑顔で受け止めようと、必死に血を流しながら耐えていただけだったのだ。
「あ……ああ、あぁぁ……」
声にならない呻きが漏れた。
彼女の声が聞きたい。
「おかえりなさい」と言ってほしい。
だが、もう二度と叶わない。
アーカイブすら、すべて非公開になっていた。僕の日常を照らしていた光は、僕自身が吹き消してしまった。残されたのは、底のない暗闇と、静寂だけ。
僕は震える手で、「ジョーカー」のアカウント設定画面を開いた。
削除ボタンの上にカーソルを置く。
だが、消す前に、やらなければならないことがあった。
届くはずのないDMを開く。
『ごめんなさい。もう二度と現れません。でも、あなたの声が好きでした』
送信ボタンを押す。既読がつくことは一生ないだろう。
それが、僕の罪の告白であり、懺悔だった。
アカウント削除の確認画面で「はい」をクリックする。ジョーカーはこの世から消えた。
しかし、相馬湊という罪人は、この薄暗い部屋に残されたままだ。
PCの画面を落とし、布団に潜り込む。
目を閉じても眠気は来ない。耳の奥で、アリスの泣き声と、かつての笑い声が混じり合って響いている。
これから先、僕はどうやって夜を越えればいい?
どうやって、この罪を背負って生きればいい?
数日が過ぎた。
僕は廃人のように過ごしていたが、ある時、ふと祖母の言葉を思い出した。
『罪滅ぼしっていうのはね、湊。謝ることじゃないよ。壊した分だけ、直すことさ』
壊したものを、直す。
アリスの心はもう直せない。彼女はもう戻らない。
だが、彼女が作ろうとしていた「場所」はどうだ?
辛い夜に、誰かが雨宿りできる場所。彼女が命を削って守ろうとした、その純粋な願い。
彼女が笑えなくなった分、僕が誰かを笑わせることはできないか。
彼女が恐怖で声を失った分、僕が誰かの孤独を埋める声になれないか。
無謀な考えだった。
アリスを追い詰めた加害者が、人を癒やすなんておこがましいにも程がある。
けれど、何もしないまま腐っていくよりは、その方が幾分かマシな気がした。いや、そうすることでしか、僕は自分の存在を許せなかったのだ。
僕は起き上がり、PCの電源を入れた。
ネット通販のサイトを開き、ある機材を注文する。
高性能なボイスチェンジャーと、オーディオインターフェース。
自分の声を捨て、別の人格を作り上げるための道具たちだ。
かつて「ジョーカー」として、配信の流れを読み、人の心理を逆撫でする術を学んだ。
その鋭い刃の向きを、180度変えるのだ。
批判ではなく肯定を。
煽りではなく共感を。
冷笑ではなく、温もりを。
アリスが目指した「雨宿り」の場所を、今度は僕が作る。
それは偽善かもしれない。自己満足の贖罪かもしれない。
それでも、僕は仮面を被ることを選んだ。
新しいハンドルネームを入力する。
「ミナト」。
僕の本名であり、船が嵐を避けて停泊する場所(港)という意味を込めて。
画面の中のカーソルが点滅している。
僕は深く息を吸い込み、エンターキーを叩いた。
これは、罪人が始める、終わりのない償いの物語だ。
ストーリーはどうでしたか?このストーリまだ続きます。
少しでも楽しんでいただけて、良い暇つぶしになっていたら嬉しいです!
実は、もっとみんなと作品についてお喋りしたくて、ミクチャで配信をしてます。
感想を聞かせてもらったり、創作の裏話をしたり……そんな双方向のやりとりができるのを楽しみにしています。
**ミクチャID:18283637**
ぜひ検索して覗きにきてくださいね。
それでは、また次のストーリーでお会いしましょう!




