第八話 孤独に沈む気
街を離れる朝は、驚くほど静かだった。
見送りは、なかった。
責める声も、慰める言葉も。
それが、ユウには一番きつかった。
「……行け」
師範は、それだけ言った。
追放ではない。
だが、戻る場所も与えられていない。
ユウは、頷き、歩き出した。
山へ向かう道は、人気がなかった。
人の気が、ない。
雑音も、期待も、恐怖も。
最初は楽だった。
誰にも縛られず、誰も守らなくていい。
だが――
三日目の夜。
焚き火の前で、ユウは動けなくなった。
胸の奥に、重たいものがある。
流せない。
留めても、苦しい。
あの夜。
倒れた人々。
布をかけられた遺体。
(……俺が)
気が、歪む。
縛る者の笑い声が、耳の奥で蘇る。
ユウは、膝を抱えた。
「……怖い」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
逃げたい。
忘れたい。
全部、なかったことにしたい。
その瞬間――
何も、起きなかった。
縛りも、敵も、幻も。
ただ、静けさだけがあった。
ユウは、はっとする。
(……誰も、いない)
守る相手がいない。
縛る者もいない。
なら――
この恐怖は、誰のものだ?
自分自身だ。
ユウは、目を閉じた。
逃がさない。
抗わない。
恐怖と、後悔と、罪悪感を――
ただ、感じる。
気が、ゆっくり形を変えていく。
重たいが、澄んでいる。
初めての感覚だった。
翌朝。
山の空気は、冷たく澄んでいた。
ユウは、気づく。
自分の気が、前より小さい。
だが、乱れていない。
試しに、気を流す。
以前のように、外へ逃げない。
地面に、染み込む。
「……支える、気?」
初めての理解。
流すでも、ぶつけるでもない。
その場に留まり、崩れない気。
ユウは、立ち上がる。
足元の石が、わずかに揺れた。
攻撃ではない。
存在が、影響を与えている。
そのとき。
「……やっと、止まれたか」
背後から、声。
ユウは、振り向かなかった。
分かっていた。
気配が、縛らない。
年老いた男が、岩に腰かけていた。
気は、ほとんど感じない。
だが、消えてもいない。
「誰ですか」
「名は、いらん」
老人は笑う。
「昔はな……“受け気”と呼ばれていた」
ユウの胸が、鳴った。
「受ける……気?」
「留め、流し、ぶつける。そのどれでもない」
老人は、地面に手をついた。
「壊さず、縛らず、逃げもせん。ただ――受け止める」
山の風が、二人の間を通り抜ける。
だが、寒くない。
「お前の気は、壊れかけている」
老人の目が、静かに光る。
「だがな……壊れかけは、一番、形を変えやすい」
ユウは、深く息を吸った。
怖い。
それでも。
「……教えてください」
逃げない声だった。
老人は、ゆっくり立ち上がる。
「いいだろう。だが――」
一歩、近づく。
「この気は、一番つらい」
ユウは、頷いた。
もう、知っている。
楽な道は、
誰も守れないということを。
孤独の中で、
新しい“気”が、静かに芽吹いていた。




