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無音の気術師  作者: 波浪
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第三話 縛る者の気

人は、気で縛られるとき、自分が縛られていることに気づかない。


 それが、彼の持論だった。


 夜の森の奥。

 焚き火もなく、音もない場所で、男は静かに目を閉じていた。


 世界が、気として流れ込んでくる。


 恐怖。

 焦り。

 怒り。

 守りたいという願い。


 それらはすべて、使える。


「……まだ、未熟だな」


 男――人々が後に“縛気ばくきの使い手”と呼ぶ存在は、口元を歪めた。


 昨夜、道場を襲ったのはただの魔獣ではない。

 男が、気を流し込んだ器だった。


 恐怖を増幅し、

 気を絡ませ、

 人の意志を止める。


 攻撃はしない。

 殺しもしない。


 縛られた者は、自分で自分を止める。


「……だが」


 男の眉が、わずかに動いた。


 あの少年。

 縛りの中で、一歩踏み出した者。


 (流した、だと?)


 恐怖を抑え込むでもなく、

 気を強めるでもなく、

 そのまま外へ流す。


 あり得ない。

 普通は、恐怖は内に溜まり、気を濁らせる。


 だが、あの少年は違った。


「気を……逃がしたのか」


 男は、低く笑った。


 縛りは、相手の中に“溜まり”があるから成立する。

 流れてしまえば、絡め取れない。


「面白い」


 指先を、わずかに動かす。


 森の奥で、気が蠢いた。


 翌日。

 道場には、奇妙な緊張が漂っていた。


 模擬戦の噂は広がり、ユウを見る視線が変わっている。

 尊敬でも、敵意でもない。


 測る視線だ。


「……気持ち悪いな」


 ユウは小さく呟いた。


 感じすぎるのも、楽ではない。


「ユウ」


 ガランが声をかけてきた。

 昨日より、気が静かだ。


「昨日の戦い……」


 言いかけて、言葉を止める。


 誇り高い男にとって、認めることは簡単ではない。


「……俺は、恐怖を捨ててきた」


 ぽつりと、漏れた。


「弱さだと思ったからな。だが、お前は――」


 その先は、言わなかった。


 ユウは答えない。

 ただ、ガランの気に混じる迷いを感じ取っていた。


 そのとき。


 ――ぞわり。


 空気が、重くなる。


 昨夜と同じ。

 だが、より巧妙な気。


「来る……!」


 ユウが叫ぶより早く、道場の空間が歪んだ。


 気が、絡む。


 誰かの足が止まり、

 誰かの剣が落ちる。


 恐怖が連鎖する。


「動くな!」


 ガランが叫び、正面に立つ。


 気を一気に放ち、押し返そうとする。


 だが――


「無駄だ」


 声が、空間に直接響いた。


 姿は見えない。

 だが、いる。


「強い気ほど、縛りやすい」


 ガランの気が、絡め取られ、重く沈む。


 膝が、落ちた。


「……っ」


 ユウの胸が、締めつけられる。


 (また、縛られる……!)


 恐怖が湧く。

 逃げたい。

 目を閉じたい。


 だが、ユウは――流した。


 恐怖を拒まず、

 抗わず、

 ただ、通す。


 その瞬間、縛りの“糸”が見えた気がした。


 絡め取る気。

 集め、固め、止める気。


 ユウは、そこへ――揺れを流し込む。


「……なに?」


 初めて、敵の気が乱れた。


 縛りが、緩む。


 ユウは一歩、前に出た。


「僕は……あなたを倒せません」


 震える声で、それでも言う。


「でも、縛られるのは……嫌だ」


 気が、ぶつかる。


 強さではない。

 意志でもない。


 逃がす気。


 空間が、ほどけた。


 縛りは完全ではない。

 だが、確かに破られた。


 気配は、笑いを残して消える。


「……次は、ちゃんと縛ってやる」


 静寂。


 誰もが、動けなかった。


 ガランが、ゆっくり立ち上がる。


「……ユウ」


 その声には、もう侮りはなかった。


「お前は、剣士じゃない」


 ユウは、黙って聞く。


「気を、壊す者だ」


 その言葉に、ユウは小さく首を振った。


「壊したくは、ありません」


 拳を、胸に当てる。


「……ただ、縛られずにいたいだけです」


 それが、彼の戦い方だった。


 そして――

 それは、この世界にとって、最も厄介な力でもあった。

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