第25話 何もしないという選択
夜は、深かった。
星は見えず、
風も、ほとんど動かない。
ユウは、焚き火のそばで横になっていた。
体は動く。
致命傷もない。
それでも――
立つ気が起きなかった。
「今日は、歩かないのかい」
老婆が、静かに言う。
「……はい」
それだけ、答えた。
理由を、探さなかった。
敗北は、重かった。
力の差ではない。
覚悟の差。
カイは、迷いを捨てている。
ユウは、まだ、迷っている。
「境界を解いた時」
老婆が言う。
「あんた、少しだけ……楽そうだったよ」
ユウは、目を閉じたまま頷く。
「……はい」
「立たなくていい時間が、ありました」
焚き火が、ぱちりと鳴る。
気は、流れない。
張られない。
ただ、散っている。
「守る者はね」
老婆は、ぽつりと言う。
「いつか必ず、何もできなくなる」
「その時に、自分を憎むか……」
「それとも、許すか」
ユウは、答えない。
今は、選べなかった。
遠くで、夜鳥が鳴く。
気配が、ひとつ、揺れた。
弱い。
助けを求めるほどでもない。
危険でもない。
以前のユウなら、立ち上がっていた。
受け気を伸ばし、
境界を張り、
理由を探していた。
だが、今日は動かない。
見ない。
触れない。
何もしない。
胸が、痛む。
それでも、動かない。
それが、選択だった。
しばらくして、気配は消えた。
無事かどうかは、分からない。
だが――
世界は、崩れていない。
「……それでいい」
老婆が、言った。
「世界は、あんた一人で支えるものじゃない」
ユウは、目を開ける。
空が、少し明るくなっていた。
夜明け前。
まだ、決めなくていい時間。
「立つ時は……」
ユウは、ゆっくり言う。
「立ちたい時に、立ちます」
老婆は、笑った。
「それでいい」
「それが、“選ぶ”ってことだ」
その朝。
ユウは、受け気も、拒む気も、境界気も使わなかった。
ただ、水を飲み、
体を起こし、
空を見た。
世界の気は、ざわついている。
カイは、動いている。
縛る者も、広がっている。
だが同時に――
小さな揺れも、増えている。
選ばされない人。
選び直す人。
何もしないと、決めた人。
ユウは、立ち上がる。
今度は、自然に。
無理なく。
「行きますか」
老婆に言う。
「ええ」
「でも……次は、あたしは来ないよ」
別れは、静かだった。
約束も、なかった。
ただ、境界だけが、胸に残る。
道は、続く。
勝つためではなく、
正すためでもなく。
選び続けるために。
ユウは、歩き出す。
敗北を抱えたまま。
それでも。




