第二話 揺れる気、読まれる気
朝の道場は、いつもより静かだった。
昨夜の魔獣騒ぎのせいで、門下生たちの気は落ち着かない。強く張り詰め、些細な音にも揺れている。ユウにはそれが、ざわめく水面のように感じられた。
「……見られてる」
視線ではない。
気だ。
ユウが畳に足を踏み入れた瞬間、いくつもの気が彼に向いた。好奇、警戒、疑念――そして、わずかな恐れ。
昨夜、縛られていたはずの者たちは覚えている。
動けなかった自分たちと、
一歩踏み出したユウの姿を。
「ユウ」
師範が呼ぶ。
「前へ出なさい」
道場の中央に立つと、向かいに一人の男が進み出た。
ガランだ。
気が、重い。
昨夜よりもさらに研ぎ澄まされ、無駄がない。
「模擬戦だ」
「条件は一つ。逃げるな」
場がざわつく。
ユウの喉が、わずかに鳴った。
逃げるな、という言葉そのものが、気として刺さる。
だが――
「……分かりました」
自分でも意外なほど、声は落ち着いていた。
「始め!」
その瞬間、ガランの気が“収束”した。
強くない。
広がらない。
刃のように、一直線。
――読めない。
ユウは、初めて背筋が冷えるのを感じた。
ガランは気を誇示しない。
揺れもない。
ただ、踏み込む意思だけが、静かに近づいてくる。
ユウは一歩下がろうとして、止まった。
逃げるな。
その言葉が、頭をよぎる。
次の瞬間――
ガランが踏み込んだ。
速い。
だが、剣は振られない。
気だけが、ぶつかってくる。
圧。
重さ。
押し潰すような意志。
ユウの足が、半歩沈む。
(このままじゃ……)
剣を振っても勝てない。
気を強めても、押し負ける。
だから、ユウは――緩めた。
恐怖を隠さず、
迷いをそのまま流し、
気を“崩す”。
その瞬間、ガランの気が、わずかに跳ねた。
「……っ」
踏み込みが、遅れる。
ほんの一瞬。
だが、ユウには十分だった。
ユウは横へ流れる。
剣は触れない。
気だけが、すれ違う。
畳に、静寂が落ちた。
「……なぜだ」
ガランが低く呟く。
「俺の気を、読んだな」
ユウは首を振った。
「読んでません」
事実だった。
読んだのではない。
「あなたの気は、強すぎて……揺れが、分からない。でも」
ユウは一息つき、言葉を探す。
「揺れないものは、揺らせばいい」
どよめきが起こる。
ガランの目が、初めて見開かれた。
――恐怖。
――ではない。
未知への動揺。
それが、確かに揺れとして伝わってきた。
「そこまで」
師範の声が、場を切った。
勝敗は告げられない。
だが、誰もが分かっていた。
これは、ただの模擬戦ではない。
その夜、ユウは一人、道場の裏に立っていた。
風に混じり、微かな気配を感じる。
「……見ていたのか」
闇の中から、低い笑い声が返る。
「面白い気だな、小僧」
昨夜の魔獣とは、違う。
だが――似ている。
絡みつくような、縛る気。
「次は、逃げられんぞ」
気配は、消えた。
ユウは拳を握る。
逃げるだけでは、足りない。
感じるだけでも、足りない。
――使わなければならない。
この気を。
それが、彼の覚悟の始まりだった。




