第十九話 祈りだけが残った村
村は、音を失っていた。
正確には――
声が、使われていなかった。
ユウが足を踏み入れた瞬間、受け気がわずかに沈んだ。
濁りではない。
拒絶でもない。
ただ、長く溜め込まれた静けさ。
家々は壊れていない。
畑も、荒れていない。
それなのに、人の気配が薄い。
井戸のそばに、一人の老人がいた。
水を汲む動作は、丁寧だ。
だが、呼吸が浅い。
「……旅の方、ですかな」
声は小さく、慎重だった。
「はい」
ユウは、それ以上名乗らない。
名は、今は必要なかった。
「この村では……祈りだけが残りましてな」
「祈り?」
「ええ。気を、外に出さぬ祈りです」
老人は、井戸の水面を見つめた。
そこには、空しか映っていない。
話を聞くうちに、村の事情が見えてきた。
数年前、**“導師”**と名乗る者が現れた。
争いをなくす方法がある、と。
恐怖を感じない方法がある、と。
「気を、抑えればよいのです」
導師は、そう教えた。
怒りも、喜びも、悲しみも。
すべては誤差。
誤差は、災いを生む。
村人たちは、従った。
剣を置き、
声を落とし、
感情を、内へ押し込めた。
争いは、確かに消えた。
だが――
選択も、消えた。
ユウは、村を歩いた。
子どもたちは、遊ばない。
笑いも、泣き声もない。
ただ、整った沈黙だけが続いている。
受け気は、張り付いたまま、揺れない。
それは、安定ではなかった。
停止だった。
夜。
小さな祈りの場に、村人が集まる。
声を出さず、目を閉じ、気を内側へ畳む。
ユウも、端に立った。
何も、しない。
ただ、受け気を開いたままにする。
すると。
ほんの一瞬。
子どもの一人の呼吸が、乱れた。
胸が上下し、喉が震える。
母親が、慌てて手を伸ばす。
――抑えようとする。
ユウは、首を振った。
「……大丈夫」
声は、小さい。
だが、逃げていない。
子どもは、涙を流した。
音を立てず、
それでも、確かに。
その瞬間。
村の受け気が、わずかに波打った。
抑え込まれていた感情が、
呼吸を思い出した。
「泣いて……いいのですか」
誰かが、呟く。
問いではない。
許可を、求めている。
ユウは、答えなかった。
代わりに、受け気を流す。
正解を示さず、
命令もせず、
ただ、“余白”を置く。
沈黙の中で。
一人、また一人と、呼吸が深くなる。
祈りは、形を変えた。
願いではなく、
揺れを受け入れる場へ。
翌朝。
ユウは、村を出る。
誰も、引き止めない。
だが、見送る視線には、
かすかな熱が宿っていた。
最適ではない。
不安定だ。
それでも――
動き始めている。
道の先で、受け気がざわついた。
似た感触。
だが、どこか硬い。
模倣された受け気。
縛る者が、
“揺れ”を学び始めている。
ユウは、足を止めずに歩く。
次は、
選択を奪う“優しさ”の正体へ。




