第十六話 最初の揺れ
涙は、地面に落ちても音を立てなかった。
だが――
確かに、揺れだった。
ユウは、その女性の前に立った。
距離は、三歩。
近づきすぎない。
干渉しすぎない。
受け気を、閉じないままそこに置く。
「……理由は、ありません」
女性は、静かに言った。
管理者の言葉を、なぞるように。
それでも、声が揺れている。
ユウは、頷いた。
「うん」
否定しない。
説明しない。
ただ、一緒に立つ。
管理者が、一歩近づく。
「逸脱は、修正されます」
命令ではない。
事実の提示。
ユウは、管理者を見る。
「修正って、何だ」
「選択肢を、元に戻します」
「一つに?」
「はい」
ガランが、拳を握る。
「……それは、戻すって言わない」
管理者は、理解しない。
女性が、再び空を見る。
雲が、ゆっくり流れている。
その様子が、非効率だ。
「……綺麗」
小さな声。
その瞬間。
街の気が、わずかに乱れた。
数値で言えば、誤差以下。
だが――
連鎖の起点。
ユウは、受け気を一点に集中させた。
広げない。
流さない。
ただ、そこに在る。
「綺麗」と感じた気持ちが、
否定されずに、留まる。
管理者の視線が、揺れる。
「……感情反応、再発生」
初めて、戸惑いが出た。
ガランが、ゆっくり剣を抜いた。
だが、構えない。
置く。
地面に、剣を立てる。
威圧でも、攻撃でもない。
「……選べ」
ガランの声は、低い。
「最適か」
「それとも、人か」
管理者は、沈黙した。
その間にも、
街の中で、小さな異変が起きる。
老人が、立ち止まる。
子どもが、走る。
誰かが、笑いかける。
最適行動から、一歩だけ外れる。
受け気が、連鎖する。
人から、人へ。
否定されない“揺れ”。
「……効率が、低下しています」
管理者の声が、わずかに遅れる。
ユウは、静かに答えた。
「それでいい」
「効率は、人の目的じゃない」
管理者は、首を傾げる。
「目的は、安定です」
「安定って、何だ」
沈黙。
定義が、揺らいでいる。
そのとき。
街の上空で、視線が強まった。
縛る者の本体。
観測が、干渉に変わる。
『誤差が、拡大している』
『原因を、排除せよ』
管理者の目が、ユウを捉える。
「……あなたが、誤差です」
ユウは、否定しなかった。
「そうかもしれない」
受け気が、揺らがない。
管理者が、一歩踏み出す。
だが、足が止まる。
女性が、前に出た。
「……選びたい」
震える声。
「間違えても……いい」
街の気が、大きく揺れた。
管理者の体に、亀裂が走る。
最適化の“前提”が、崩れる。
選択肢が、戻り始める。
完全ではない。
だが、確実だ。
『……想定外』
縛る者の声に、苛立ちが混じる。
初めてだ。
ユウは、深く息を吸った。
これは、勝利ではない。
だが――
最初の揺れは、確かに生まれた。
最適化は、崩せる。
壊さずに。
人を、戻しながら。
世界は、静かに次の局面へ進む。




