第十四話 縛る者、動く
夜明け前。
世界のどこかで、何かが目を開いた。
それは音もなく、怒りもなく、ただ――
“計算”を始めた。
街の空気が、わずかに変わった。
縛りは、ない。
だが、重い。
ユウは、眠れずにいた。
受け気が、静かにざわめいている。
不安ではない。
予兆だ。
遠く。
山の向こう。
見えないはずの場所から、気が届く。
今までとは、違う。
糸ではない。
問いでもない。
存在そのものが、こちらを見ている。
「……来る」
ユウは、呟いた。
その瞬間。
街の外れで、地面が歪んだ。
空間が、折り畳まれる。
現れたのは、人ではなかった。
巨大でもない。
恐ろしくもない。
ただ――
異様に、整っている。
輪郭は、人に似ている。
だが、顔がない。
表情のない“器”。
周囲の気が、自然と整列する。
混乱が、許されない。
「縛る者の……本体?」
ガランが、息を呑む。
剣を抜こうとして、止めた。
直感が、叫んでいる。
斬れない。
その存在は、口を開かずに“語った”。
『条件が、崩れた』
『街単位での制御は、非効率』
『次の段階へ移行する』
感情は、ない。
責めてもいない。
ただの、判断。
ユウは、一歩前に出た。
怖さは、ある。
だが、気は崩れない。
「次って、何だ」
問いは、鋭くない。
ただ、知ろうとする。
『最適化』
世界が、息を止めた。
『恐怖や後悔は、不安定』
『個体差が、大きい』
『よって――』
空気が、冷える。
『選択肢を、減らす』
人々が、ざわめく。
「選択肢……?」
『迷いは、抵抗を生む』
『抵抗は、誤差』
『誤差は、排除する』
静かな宣告。
ユウは、深く息を吸った。
怒りではない。
悲しみでもない。
違和感。
「……それは、縛りじゃない」
『拘束ではない』
『整理だ』
『自由は、効率を下げる』
ユウの胸が、痛む。
この存在は、悪ではない。
善でもない。
人を、人として見ていない。
「人は……」
ユウは、言葉を探す。
「揺れる」
「間違える」
「それでも、立つ」
受け気が、広がる。
街だけでなく、
世界に触れようとする。
縛る者の本体が、初めて反応した。
『……未定義の挙動』
『受け気』
『記録に、ない』
空間が、歪む。
圧が、街を包む。
人々が、息を詰まらせる。
だが――
縛られない。
選択肢が、奪われない。
なぜなら。
差し出していないから。
『解析を、開始する』
本体の輪郭が、揺らぐ。
『次回は、条件を変更する』
存在が、薄れる。
消える直前、
初めて“感情に近いもの”が走った。
『……興味深い』
夜が、戻った。
街は、無事だ。
だが、安堵はない。
ユウは、空を見上げた。
戦いは、
力でも、術でもない。
人が人である理由そのものだ。
ガランが、静かに言った。
「……世界が、相手か」
ユウは、頷いた。
「でも――」
拳を、開く。
「縛られなければ、まだ終わらない」
遠くで、世界が軋む音がした。
最適化に抗う物語が、
静かに、動き出した。




