第十一話 縛りの使徒
夕暮れの広場に、影が落ちた。
雲ではない。
建物の影でもない。
人の形をしていた。
黒い外套。
顔は、仮面で覆われている。
その足音が、妙に遅い。
一歩ごとに、空気が固まる。
「……使徒だ」
ガランが、低く呟いた。
剣を持たぬ手が、震えている。
恐怖ではない。
縛られている。
ユウは、一歩前に出た。
「下がれ」
「だが――」
「今は、俺が立つ」
ガランは、歯を食いしばり、下がった。
使徒は、広場の中央で止まった。
気が、広がる。
糸のように細く、しかし無数。
人々の感情に、そっと触れる。
恐怖。
後悔。
不安。
それらに、結びつく。
人々が、うなだれる。
「……始まった」
ユウは、息を整えた。
受け気を、閉じない。
恐怖が、流れ込む。
胸が、痛む。
だが、受け止める。
縛りは、絡まらない。
「抵抗しない、か」
使徒が、初めて声を出した。
低く、感情のない声。
「縛る者が、興味を持つわけだ」
ユウは、答えない。
言葉は、気を尖らせる。
ただ、立つ。
使徒の気が、強まる。
糸が、太くなる。
地面に、亀裂が走る。
周囲の人々が、悲鳴を上げる。
ユウは、一歩、踏み出した。
受け気を、広げる。
縛りの糸が、彼に触れる。
――止まる。
絡めない。
結べない。
行き場を失った気が、揺らぐ。
「……妙だな」
使徒が、首を傾げる。
「縛れぬのではない。縛る必要が、見つからぬ」
ユウの胸が、熱くなる。
恐怖はある。
それでも、逃げない。
使徒が、手を上げた。
気が、一点に集中する。
今度は、人々ではない。
ユウ自身を、縛ろうとしている。
過去。
失敗。
罪。
心の奥が、えぐられる。
膝が、わずかに揺れる。
ガランが、叫ぶ。
「ユウ!」
ユウは、目を閉じた。
逃げない。
否定しない。
「その通りだ」と、心の中で呟く。
罪は、消えない。
後悔も、残る。
だが――
それでも、立つ。
気が、静かに定まった。
次の瞬間。
使徒の仮面に、亀裂が入った。
「……何?」
縛りの気が、反射する。
攻撃ではない。
跳ね返しでもない。
行き場を失った気が、使徒自身に戻る。
仮面の下で、息が詰まる音。
使徒が、膝をついた。
「ば、かな……」
ユウは、近づかない。
見下ろさない。
ただ、立つ。
それだけで、十分だった。
使徒は、苦しそうに息を吐いた。
「……縛る者に、伝えろ」
「この街に……受け止める者がいる、と」
仮面が、砕け落ちる。
中にいたのは、若い男だった。
目に、怯えが残っている。
縛りが、解けかけている。
だが、完全ではない。
「……帰れ」
ユウは、初めて口を開いた。
「もう、ここでは縛れない」
使徒は、よろめきながら立ち上がる。
振り返らず、去っていった。
広場に、息が戻る。
人々が、顔を上げる。
ガランが、ユウの隣に立った。
「……勝ったのか?」
ユウは、首を横に振った。
「始まっただけだ」
空の向こうで、
確かな視線が、冷たく光る。
縛る者は、知った。
力でねじ伏せる相手ではない、と。
だからこそ――
本気になる。
次は、街そのものが試される。




