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国王夫妻と謁見してから数日後。この日もミルスは、学園の放課後を補習を受けて過ごしていた。
「ふむ、この問いはこの公式を応用したものだな。変態前のカエルのメカニズムとよく似ている」
独特な感想を呟きながら、ミルスが答案用紙に回答を書き込んでいく。その表情は心做しか楽しそうなもの。単位の不足を補う為の補習とはいえ、彼女は勉強自体は嫌いではなかった。
「ミルス様」
名前を呼ばれ、ミルスが走らせていたペンを止める。隣の席に居るのは、秋季パーティ以降、行動を共にする機会の多いマルボーロン男爵令嬢である。
「何だい?ピアニャン」
ミルスが彼女を愛称で呼び返す。秋季パーティでは一悶着あった二人だが、今ではすっかりと仲の良い友人関係になっていた。
「聞きそびれていましたけど、この前の国王夫妻との謁見はどうだったんですか?」
ピアニシモスが興味津々な様子で尋ねる。今は自習の時間のため、教室に教師は居ない。少しくらい雑談しても問題はないだろう。
そう思ったミルスはペンを置き、一度小休止入れる事にした。
「どう、とは?」
「そのままの意味ですよ!あの国王夫妻と謁見したんですよね!? 実際に会ってみてどうでしたか?」
「ふむ...そうだな...」
ミルスが徐ろに王城での出来事を思い返す。
国王夫妻の用件は秋季パーティの一件に対する謝罪だった。こちらは全く気にしてなかった、というよりも忘れかけていたくらいなのに、彼等は誠心誠意謝罪を述べてくれた。王族が一介の令嬢に頭を下げるなど前代未聞の出来事だが、それだけ真摯な対応を示してくれたという事だ。
特に王妃に関しては、何らかの形で賠償をしないと気が済まない様子だったので、事を大きくしない方向へ丸め込むのが大変だったくらいだ。
しかし、彼女が聞きたいのはその事ではないだろう。有数の貴族でないと滅多にお目にかかれない、国王夫妻の実物を見た感想が聞きたいのだろう。
「評判に違わず、とても誠実な方々だったよ」
ミルスは即座に頭を働かせると、彼女の期待を裏切らない感想を述べる。すると、瞬く間にピアニシモスの瞳が輝いた。
「わぁ、やっぱりそうなんですね!素敵だなぁ...!」
胸元で両手を握り締めるピアニシモス。その表情はまるで、恋する乙女のようだ。
「ピアニャンは国王夫妻のファンなのかね?」
「そんな大層なものではないですけど、憧れの存在ではありますね」
「憧れ?」
首を傾げるミルスに、ピアニシモスが捕捉する。
「私の実家は織物商家を営んでいて、お父様が爵位を得るまでは市井の実家で暮らしていました。その取引先の中には貴族の方々もいらして......ミルス様の前で言うのもあれですが、貴族の方々には高圧的な態度の人が多かったんです」
苦笑しながら語るピアニシモス。彼女の実家は織物業を主体とし、平民から男爵へ上り詰めた新興貴族だが、その時の苦労が伝わってくるようだ。
「そんな時に一度だけ、王妃様がマルボーロン商家を訪ねてきた事があったんです!」
「おお、それは凄いな」
「もう、両親共々びっくりしましたよ!と言っても、側近の方の代理でしたが...」
代理といえ、王妃が貴族でもない商家に一目置くなど並大抵の事ではない。
「王妃様は平民の私達にも偏見を持たず、公平な視点から商品を評価してくださったんです。私は見かけた事がありませんが、たまにお忍びで市井に視察にも来てくださったんですよ!その際には平民の皆と分け隔たり無く接していたそうです」
「なるほど。そういう事だったのか...」
ミルスが記憶にある王妃を思い浮かべる。
大広間で謁見した際の彼女は、国を支える妃に恥じない振る舞いをしていたが、その後のお茶会での姿は和気藹々としたものだった。強かながらも明るい人間性が、きっと多くの人心を掴んでいるのだろう。
「──と、私としたことが、少し語り過ぎてしまいましたね。補習の最中なのに済みません」
「いや、いいんだ。また一つピアニャンの事を知れて嬉しかったよ」
そう言って、ミルスがピアニシモスの頭に手を乗せる。
「ミルス様...?」
「よしよし。ピアニャンは随分と頑張ってきたんだな」
瞬く間にピアニシモスの顔が赤く染まった。
「こ、子供扱いしないで下さぁい!......そ、そんな撫でられたって、別に嬉しくないんだからぁ...」
──今日も子豚ちゃんは可愛いな。
嬉しくないと言いつつ、受け入れる姿は素直になれない小動物のようだ。
暫くの間、ミルスが艷やかな毛触りを楽しんでいると、話題を変えるようにピアニシモスが口を開いた。
「そ、それより!謁見の内容はどんなものだったんですか?」
「特に面白いものではなかったよ。秋季パーティでの謝罪と、王妃様と少しお茶をしただけさ」
「えっ!王妃様とお茶をしたんですか!?」
ピアニシモスが物凄い勢いで食いつく。比較的、常識人の彼女には珍しい取り乱し具合だ。
「ああ、したよ。王城の庭園を見せて貰ったよ」
「いいなぁ〜!スコルピア王城の庭園なんて、きっと素敵な場所なんだろうなぁ」
「中々に独創的な頭だったよ」
「独創的な頭ってなんですか。庭園を見に行ったんですよね?」
「うん。長い目で見れば全然イケる兆しを垣間見たよ」
「ミルス様が何を言っているのか、さっぱり分かりませんよぉ...」
斜め上の感想にピアニシモスが戸惑う。
そんな彼女に、ミルスが捕捉を加えるように端的に言う。
「なにはともあれ、王妃様とのお茶会は楽しかったよ」
「羨ましいです。社交界の華と一緒に過ごせるなんて」
「まあ、ずっと秋季パーティの件の謝罪をしてくるものだから、居た堪れなくなったのも事実だが」
「王族の方々は責任感が強いんですよぉ。良かったじゃないですか」
「うん。お礼も兼ねて、モウドクフキヤガエルの刺繍入りのハンカチをプレゼントしたよ」
「王妃様になんてもの差し上げてるんですかぁ!?」
突飛な行動を耳に、ピアニシモスが悲鳴に似た声を上げる。
普通の令嬢ならば美しい庭園に見惚れたり、社交界で頂点に立つ淑女に想いを馳せるだろう。
しかし、ミルスは全くの例外なのだ。
ピアニシモスは改めてそれを実感すると、王家の華やかなイメージを損なわないうちに話題を切り替える。
「ところで。プレゼントといえば...私のプレゼントしたカエルの着ぐるみはどうですか?」
「よくぞ聞いてくれたね!」
今度は逆にミルスの目が輝くと、捲し立てるように語り出す。
「あの後すぐに何回か着てみたんだが、最高の着心地だったよ」
「えへへ〜そうでしょう?ミルス様の為に、特別に良質な発泡スチロールを使いましたからね!」
「被写体と色合い的にモデルはアマガエルと思われるが、アオガエルにも見えなくもないね」
「あ、いや...一般的なカエルを模倣して作っただけで、そこまでは考えてませんでしたけど...」
「どちらにせよ素晴らしい出来映えさ! ピアニャン、本当にありがとう!」
相変わらずカエルに目がない様子に苦笑しながらも、ピアニシモスが友人の喜ぶ様に安堵する。
「どういたしまして。そんなに喜んで貰えたなら、作った甲斐があったというものですよぉ」
「本当はこの前の国王夫妻の謁見の時に着て行こうと思ったのだが、執事に止められてしまってね...。残念だ」
「マーガレット家の執事に表彰状を送りたい気持ちです」
「だが、次に呼ばれた時は必ず着て行くよ」
「絶対にやめてください」
気に入って貰えた事は嬉しいが、あれは明らかに謁見の場には相応しくない格好である。万が一にも不敬になれば、本人はおろか、実家もどんな罰を受けるか分かったものではない。
──やはりこの奇特な令嬢には、誰かが傍で手綱を握ってやらなければならない。
型破りな発想を抱く友人の姿に、ピアニシモスは内心でそう思うのであった。
つづく




