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王妃イレーネと伯爵令嬢ミルス。二つの華が退室した大広間で、王太子のキースが切り出した。
「では父上、マーガレット伯爵。私は公務が残っておりますので、これで失礼致します」
「うむ、ご苦労だったな」
デュークが軽く相槌を打つが、息子の体はどちらかと言うと父ではなく、ガストの方へと向いている。
王太子が王族以外に頭を下げるなど、王家の威光を損ないかけない行為だが、先の失態を顧みての事だろう。この場は非公式な舞台の為、周りには国王直属の近衛騎士しか居ない。
「キース王太子殿下。本日はお忙しい中、誠に有難うございました」
それを理解した上で、ガストも軽く頭を下げて応える。
若き青年は穏やかな表情で大広間を後にした。
息子が退室したのを見届けると、徐ろにデュークが尋ねる。
「して、ガストよ。この後の予定は?」
「特に予定は決めておりませんが、せっかく王都に寄ったので、娘と観光をしてから帰ろうと考えています」
ガスト達が住むスズメコウノトリ区は、決して寂れた地域ではないが、文明開化の中心地である王都に比べると田舎の部類に入る。父親からすれば、娘に都会の魅力を楽しんでもらいたいと思うのは自然なことだ。
「なら、茶会が終わるまでの間。我々も久しぶりに茶の湯でもどうだ?」
温厚でも厳格でもなく。デュークが少年の様な屈託のない笑みを浮かべる。
それがきっかけになったのか。ガストも口調を崩す。
「使用人を呼びながら言う事じゃないだろう。お陰で断る口実がなくなった」
「はっはっは! 昼間から酒は出せないけど、王家の茶葉は格別だから許せ」
大笑いする友人の姿に溜息を吐きながら、ガストがやれやれと席に座る。
摘みたての上品な葉の香りと、芳ばしくも深い喉越し。
厳選された茶葉の味わいは、まさしく最高級の品質だ。
「...美味いな」
「だろう?」
デュークがしたり顔をする。もう三十年来にもなる友人の仕草は、当時と変わらず気さくなものだった。
ガストもまた、懐かしい気持ちを胸に抱く。
「しかし、子の成長とは早いものだな。十年前はあんなに小さかったというにに、今では随分と逞しく育った」
芳しい茶を啜りながら、染み染みと溢す。その様相は威厳が隠しきれていないものの、紛うことなき親の顔である。
「それはお前の子だけじゃないのか? 小生の愛娘はいつまで経っても可憐なままだ」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだが......まあ、男児と女児だとその辺は変わってくるよな」
デュークが苦笑する。彼の息子──キースは、幼い頃から帝王学を身に着けていた事もあり、王位継承者として立派に成長を遂げた。
留学先では随分と見聞を広めたようだし、今や公務の一部を任せても問題ない。まだまだ青さが抜けない部分もあるが、追々学んでいけば、きっと良き次期国王となるだろう。
そういった意味でも、今回の秋季パーティでの一件は、キースにとって良い薬となる出来事だった。
「お前は本当に娘思いの父親になったよな」
「それは三度に渡る陞爵を断った時点で知っていると思ったが?」
「違いない」
特に、息子の失態を深堀りしてこない友人に、デュークが苦笑する。
──思えば、この男も随分と丸くなったものだ。
その非凡な才能から、前国王より宰相に推薦されるも断り。
ならばと、腕っぷしを高く評価されて、騎士団からスカウトされるも悉くを断り。一人の女性と結ばれる道を選んだ友人も、今や立派に親の顔だ。
「リベット殿とは連絡を取っているのか?」
「当然だろう。つい先日も彼女から手紙が届いたばかりだ」
「何て書いてあったんだ?」
「世にも希少な”レッサーアンティルイグアナ”を発見したから、当分は帰れないそうだ」
「それは相変わらずというか、何と言うか......ブレないな」
「全くだ」
自由奔放。彼女は正しく、その言葉が似合う人物だ。それはミルスという子宝に恵まれてからも変わらず、年々愛するトカゲへの探究心を募らせるばかり。
「夫人の事が心配か?」
「心配に決まっている」
夫側からすると、もう少し慎みを持って欲しいと思わない事もないが、それを含めて彼女は最愛の妻なのだ。
「だが、問題ないだろう。彼女にはマーガレット家で最も実力のある侍女を付けている。例え新種のドラゴンが出てきても返り討ちに出来るはずだ」
「うん、お前はすぐ物理的な方向に捉えるよな。そういうところは変わってなくて安心したぞ」
「......?」
ガストが小さく首を傾げる。奇しくも、その仕草は娘のミルスとそっくりだった。
そんな愛らしい? 仕草も束の間、彼が改まった様子で切り出す。
「──それよりも」
「ん?」
「ミルスの身の安全は確かなんだろうな?」
「......絶対言うと思った」
デュークが溜息を吐く。友人の目線は窓の外へと向いており、今にも席を立ち上がらんとする勢いだ。
「イレーネとミルス嬢には、侍女と護衛をそれぞれ四人ずつ付けている。侍女はともかく、護衛は騎士団長が抜擢した実力者達だ。心配は要らない」
「たった四人で大丈夫か? 万が一、空撃でも受けたら一溜りもないだろう」
「お前は王城を何だと思ってるんだ」
「こうしてはいられん。やはり小生もミルスの元へ向かうとしよう」
席を立ち上がり、ガストが大広間を出ようとする。
「待て待て!イレーネに無粋な真似はするなと言われたばかりだろう。淑女の時間を邪魔するんじゃない」
「それとこれとは話が別だ。茶会とは安全の上で初めて成り立つ。不確定要素の中で成立するものではない」
「もっともらしい事を言ってるけど、今のお前は相当鬱陶しいからな?」
暴走するガストに、デュークが頭を抱える。
親バカ。その一言で片付けられたらどんなに楽か。幾度と交わすやり取りで十二分に伝わっていたが、彼の子を想う気持ちには拍車が掛かっている。
──仕方がない。そう思ったデュークが、近衛騎士に手を向ける。
「ガストを取り押さえよ。このままでは本当に突撃しかねない」
十名ほどの近衛騎士がガストを取り囲む。抜剣こそしていないものの、屈強な騎士達の圧迫感は相当なものだ。
「マーガレット伯爵閣下、大人しく陛下に従って下さい」
隊長格と思われる騎士が告げる。
しかし────。
「退け小僧。王家直属といえども、愛娘との憩いの時を邪魔立てすれば容赦はしないぞ」
魔王の覇気が炸裂する。それでも怯まないのは、彼等が歴戦の猛者たる証だった。
「......やれやれ。やはりリベット殿でなくては、お前の手綱を握る事は叶わないようだな」
「そう思うのなら、この騎士達を下げて欲しいのだが?」
「それは出来ん。私には王国の安寧を守る義務があるからな。臣下の暴走を防ぐのも務めだ」
「大層なお役目だな」
「国王だからな」
もはや顔の半分以上を黒くするガストと、不敵に笑う国王デューク。
やがて、掲げた手が静かに下ろされる。
「総員、掛かれッ!」
「吐いた唾、呑み込むなよ。青二才共ッ!」
今、仁義なき戦いの火蓋が切って落とされた。
つづく




