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王妃様の抱擁から解放されたのは、陛下が仲裁に入った後のことだった。
「全く...いつになれば離れるのかと、色んな意味で肝を冷やしたぞ」
「ごめんなさいね。私としたことが...つい我慢出来なくなってしまって」
バツが悪そうに、王妃様が縮こまる。仄かに香る薔薇の香りは華やかで、仙姿玉質な容姿と一致しているが、そこから威厳は感じられない。
「ミルス嬢、済まなかったな。直ぐに侍女に頼んで身なりを整えさせよう」
「いいえ。私なら大丈夫ですので、お気になさらず」
首を横に振る。王妃様が急に抱き着いてきたものだから、私の白いドレスは皺になり、髪の毛も多少の乱れを残してしまっている。
とはいえ、カエルの衣装を着ているわけでもないので別に気にならない。社交界用の衣装がどうなろうと構いはしないのだ。
「可愛いだけでなく聡いのね。これは婚約者候補の二人には悪いけど、キースが情を移してしまうのも納得だわ」
「は、母上!」
王妃様が顔を紅くする息子を誂う。非公式の場でこそと思われるが、二人の間には、王家の格式ばった振る舞いも厳粛な空気もない。
......もし、お母様がイグアナの研究で家を離れていなければ、私もあんな風になっていたのだろうか?
仲睦まじい親子の光景を眺めていると、頭に優しく手が乗せられる。
「...お父様」
見上げた先にある父の顔は、とても穏やかだった。その彫りの深すぎる顔が他人の目からどう映っているかは知らないが、娘の私にはこの短いやり取りだけで彼が何を言わんとしているかが分かった。
──そうだ。私の周りには大好きなお父様もいるし、信頼出来る使用人の皆も居る。
最近は学園でも友達が増えてきたし、大好きなカエルの研究に没頭出来る充実した日々が送れている。それだけで十分じゃないか。
大きな手の温もりに心を和ませる。
入学当初ならいざ知らず、羨望を抱くことなど無かった。
そんな私達父娘の姿を見て、陛下が穏やかに微笑んだ気がした。
「さて、イレーネよ。キースとの戯れはその辺にして、他に大事な要件があったのではないか?」
「ああ、そうだったわ...!」
王妃様が思い出したように手を叩く。
「ミルス嬢。良かったらこの後、一緒にお茶でもどうかしら?」
先触れにもあったように、王妃様が私をお茶会へと誘う。
私の今日の本題はこっちだ。本家への謝罪の件も重要ではあるが、私もお父様も個人的には特に気にしていなかった。
ただ、王妃様から個人への直々の指名。
これは婚約者候補──そして王家と関わりが深く、私の親友でもあるロザンナを除けば、四人目となるだろう。
これは大変名誉な事で、背後に王妃の庇護を受けているのだと、暗に周囲へ示すことが可能だ。
ただそうなると、今後は王家との接点を重視しなければならなくなる。そうなっては、王国を代表する他の御三家との関わりも優先的となり、多くの社交界へ出席する必要性も生まれてきてしまう。そこを懸念しての非公式の場なのだろう。
もっとも、貴族の耳はどこにあるのか分からないので、既に噂になっている可能性もある。
まあ、既にキース君から人前で告白をされてしまったし、今更な気もするが...。
「王妃殿下からのお誘い、謹んでお受けします」
「ありがとう! 実は既に庭園の方で準備をしていたのよ」
「庭園ですか?」
てっきり室内でのお茶会になると思っていたので、つい首を傾げてしまう。冬の迫ったこの時期に庭園でのお茶会など、寒いのではないだろうか。
そう考えているのが分かったのか、王妃様がくすりと微笑む。
「この王城には温室庭園が建てられているの。だから肌寒い時期でも、景色を見ながらお茶を楽しめるのよ」
「そうなのですね」
流石は王城の設備だ、実に手が込んでいる。園芸の事はよく分からないが、冬の季節にも外でお茶を楽しめるなど、淑女の嗜みにはもってこいだろう。
そういえばいつだか、バナナーナ様が似たような手法で果物を育てていると語っていた事があったような気がしなくもない。
「では、小生もご相伴に預かりましょう」
「まあガストったら。今日は私とミルス嬢の二人分のお茶菓子しか用意してなくってよ?」
「娘に付き添うだけです」
「淑女のお茶会に殿方が介入するだなんて無粋よ?」
「ぐぅ...」
お茶会に参加しようとするお父様を王妃様が諌める。私としては、お父様とも一緒にお茶を楽しみたかったが、王妃様が言うならば仕方がない。
「お父様、大丈夫です。王妃様とお話をするだけですから」
「......ミルスがそう言うのならば分かった。何かあればすぐに小生を呼びなさい。三秒で駆けつけよう」
心配するお父様にそっと頷き返す。秋季パーティの時も同じ事を思ったが、彼の言葉は凄く頼もしい。
「では国王陛下、お先に失礼致します」
「うむ、そなたと話が出来て楽しかったぞ。急拵えではあるが、王家の茶会を楽しんでいって貰えれば幸いだ」
穏やかな笑顔を向ける陛下と、不服そうな顔をするお父様。そして、羨ましそうに見つめるキース君を一瞥すると、私は王妃様の後を付いて行った。
つづく




