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人間とは不思議な生き物だ。興味の尽きない物には釘付けになるのに、逆に興味のない物には酷く無頓着だ。それは人が自我が強くて傲慢な生き物である証である。これが自然界に生きる動物──例えばカエルならば、そんな事もないのだろう。
「キース君、こんにちは」
「やあミルス嬢。こんにちは」
自らの存在感のなさを悔やんでいるのだろうか? 彼はこちらへ微笑んだのも束の間、すぐに顔を伏せてしまった。
断っておくが、何も彼の存在を完全に忘れていたわけではない。少なくともダイナミック入室直後には覚えていた。ただそれ以上に学園長の存在感が大きかっただけだ。
「済まなかったね。すっかり挨拶が遅れてしまったよ」
「いいんだよミルス嬢。君に私の存在を気が付いて貰えただけで本望さ...」
すっかり存在を忘れていた事実を伏せて言うと、彼は憂いを帯びた表情を見せた。落ち込んでいる。瞼から覗かせる睫毛は長く綺麗なものだと思うが、この表情を作り出した一因が私にあるのなら放ってはおけない。彼の友人として、ここはアフターケアに勤しむとしよう。
「キース君。立ち話もなんだ、早く座りなさい」
隣のスペースを軽く叩いて着席を促す。最初、彼は小鳥の雛のように戸惑っていたが、恐る恐る口を開いた。
「良いのかい?」
「良いに決まっているだろう?私と君は友人なのだから」
近くでリリィちゃんが「私の部屋なのだけど」と言っているが気にしない事にする。
「...では、失礼するよ」
「うん。どうぞ」
徐ろにキース君が私の隣へと座る。その顔を横目で覗いてみると、ついさっきまで末期症状の癌を宣告された病人のような顔をしていたが、今は若干頬が紅くなるくらいには血色が良さそうに見える。
掴みは成功したようだ。この場に第三者がいる以上、密接な関係を感化するわけにはいかないが、この位置なら彼も愛するリリィちゃんと向き合って会話が出来るだろう。
「キース君、安心したまえ。こう見えて私は空気を読む事に長けている。今日のことは聞かなかったことにするぞ」
「一体何の話をしているんだい?」
「いいんだ。皆まで言わずとも分かっている」
実に素晴らしいではないか。カエルも多くの個体とお見合いをしてから子孫を残す。そこに見た目や年齢云々はない。大切なのは相性と愛情さ。
「学園長。ミルス嬢は一体どうしてしまったのでしょうか?」
「うーん...どうやらミルスちゃんは盛大な勘違いをしているみたいね」
「盛大な勘違い?」
ティーカップのお茶を一口運ぶと、リリィちゃんが惚けた振りをするキース君を置き去りに声を掛けてくる。
「ミルスちゃん、私とキースちゃんは貴女が思っているような関係ではないわよ?」
「大丈夫です。カエルは口が固いので、外部に漏れる心配は御無用ですよ。この事は胸の内に留めておくと約束しましょう」
「あらら、これは完全に誤解してるわね」
あくまで、しらを切るリリィちゃん。立場上、彼女も大々的に認めるわけにはいかないのだろう。恋に障害は付き物だと小説で読んだことがあるが、現実で目にすると感慨深いものがある。
何だか放っておけなくなってしまった。本当はお母様の話を聞くつもりだったのだが、二人の恋路の行方が気になる。
──どれ。ここは一つ、私が助け舟を出すとしよう。
「キース君はどうして学園長室」に?」
会話の糸口。まずは相手に興味を持っていると印象付けるのが重要だ。これならば自然にキース君に興味を示しつつも、然りげ無く学園長室にいる理由を聞き出す事が出来る。我ながら会心の切り出しといったところだろう。
「私かい?私は学園長に復学届を提出しに来たんだよ」
思いの外、すんなりと彼が答える。そういえば、彼は隣国のサンショウウオシャンソンショウ国での留学を終えて帰国したばかりだったか。
言われてみると、彼は秋季パーティや国の式典で目にする正装ではなく、学園で指定されている一般の制服を着用している。
「キース君もビクトル学園生に戻るんだな」
「そうだね。これからは学園で見かける事もあると思うから、よろしく頼むよ」
笑顔が向けられる。最高学年である三年生にとって、残りの学園生活は長くは残されていないが、彼は母校で過ごす事を決めたようだ。
律儀な人だ。上半期をサボった身からすると、耳が痛くなってくる。是非とも彼の真摯な姿勢は見習いたい。
「こちらこそよろしく頼むよ。残り僅かな学園生活だから接する機会はそんなにないと思うけど」
「うん、面と向かって言われると堪えるものがあるね」
「事実だから仕方がないだろう?」
「君は本当にブレないよね。そんなところが人を惹きつけるんだろうな」
苦笑混じりに頷いては、彼が一人納得する。今の会話に道理があったかは不明だが、下の者の意見もきちんと聞くあたり、彼は視野を広く持っていると思う。将来は良い国王陛下となるだろう。
同じように一人納得していると、正面から小さな笑いが溢れた。
「ふふっ、ミルスちゃんってば、キースちゃんに全く興味がないのね。こんな女の子は初めて見たわ」
「はい。私はカエルにしか興味がありませんから」
「あははっ!正直ね。本当にあの子にそっくりだわ」
あの子とはお母様の事だろう。見た目は確かに似ているかも知れないが、性格は似ているだろうか?
お母様は私よりも遥かに自由奔放な性格をしているので、お父様を始めとする使用人達が大変な目に遭っていたのを覚えている。突拍子もなくイグアナを大量に取り寄せるお母様をお父様がよく止めていたものだ。その事を踏まえても、どちらかというと私はお父様に似ていると思う。常識がある方だからな。
「これはキースちゃんが振られるわけだわ」
「ちょ、学園長!余計な事を言わないで下さいよ。というより、何で《《それ》》を知っているんですか」
「あら、私は学園長なのよ?秋季パーティでの一件を知らない筈がないじゃない。というよりも、あれだけ大々的に打ち明けてしまえば、知らない人の方が少ないわよ」
「うっ...」
顔を真っ赤にしたかと思えば、キース君がガックリと肩を落とす。確かにあの場には全校生徒だけでなく、保護者までもが集まっていたのだ。リリィちゃんの姿はなかったにしろ、知らない人の方が少ないだろう。
ところで、さっきから気になっていた事がある。
勿論、まだ手を付けていないシュークリームも気になるのだが、それとは別のものだ。
「リリィちゃんはキース君を”ちゃん”付けで呼んでいるんですね」
「ええ、私は彼のお母さんとは古い付き合いだもの。キースちゃんの事は小さい頃から知っているの」
昔から親交があったのか。どうりで仲が良いわけだ。
「彼のおしめだって取り替えた事があるのよ」
「だから余計な事を言わないで下さいよ!」
「あら、ごめんなさい」
なるほど。おしめを取り替えていくうちに恋に発展したわけか。その結果、こうしてキース君は逞しい青年へと成長を遂げている。リリィちゃんの先見の目には感服せざるを得ない。
賑やかに交わされる痴話喧嘩を聞きながら、私はお茶を一口啜り、丸くて美味しそうなシュークリームへと手を伸ばす。
柔らかな感触に綺麗なフォルム。この殆ど凹凸がない生地の膨らみなんて芸術そのものだ。職人の技が顕著に表れている。
私はゆっくりと口を開けると、大きなシュークリームの捕食を試みた。
「ですから、あの日の事はもう反省しています。母上にもこっぴどく叱られましたし」
「それなら安心だわ。貴方にはちゃんと婚約者候補がいるんだから、彼女達の事を大事にしてあげないとね」
「ええ、仰るとおりです。これからは彼女とは一友人として接していきたいと思っています」
「だそうよ?良かったわね、ミルスちゃん」
先日の一件の話で盛り上がっていたキースとリリィが視線をミルスへと移す。
「んもっ、んもっ」
するとそこには、シュークリームを捕食しようと頬張るカエル令嬢の姿があった。
「あらやだ......この子、もの凄く可愛いわ」
「...ええ、本当に」
終業のチャイムが鳴るまでの間、彼女達はミルスの捕食を眺めていた。
つづく




