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「はい。これでいいわよ」
紅く染まった額に小さな絆創膏が貼られる。ぴたっと密着するテープは冷たく、熱を帯びた皮膚に心地良さを与えた。
「ありがとうございます」
「次からは気をつけなきゃ駄目よ?」
徐ろに礼を言うも、注意喚起を受けてしまう。けれど、向けられた笑顔は柔らかく、口調もこちらを慮ったものだ。
「立ち話も何だから、空いている席に掛けて頂戴」
「はい」
小さく頷くと、促されるままに本革で作られた上質な椅子に腰を下ろす。お尻に伝わる感触は柔らかく、お父様の執務室にあるソファーと同じくらい座り心地が良い。
背もたれから少し体を離しながら、正面の椅子に腰を下ろした女性を見る。
艶のあるプラチナブロンドの髪の毛に、目尻の下がった切れ長の目元。輪郭の整ったフェイスラインはたるみがなく、肌も若々しくてハリがある。
学園のパンフレットに載っていた情報から、彼女はお父様よりも年上の世代だと訊いているが、妙齢の女性と言われても全く違和感はない。
ビクトル学園第五代学長、リリィ・ベルガモット。スコルピア王国を代表する教育機関の名を世界的に広めた功績者である。
「でも驚いたわ。急にあなたが部屋に飛び込んでくるんだもの」
リリィ学園長が言う。口調はおっとりとしたものだが、遠回しに諌められている気がした。彼女の立場からすれば、一生徒がいきなりダイナミック入室を決めてくるだから当然の反応だろう。
取り敢えず、ここは謝るのが正解だと思った。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。これには諸事情がありまして...」
「それは貴女が首から下げているカエルちゃんの事かしら?」
「...はい」
核心を突いた指摘に静かに頷く。流石は学園長だ、洞察力が鋭い。瞬時にこちらの事情を理解したようだ。
こちらとしてもこんな事態になるとは思わなかった。彼女とだけは鉢合わせしてはならないと、最大限注意していたつもりだったが、肝心なところで上手くいかないものだ。
ダイナミック入室の引き金となった我が子は、素知らぬ顔でぷかぷかと喉元を膨らませている。親の心子知らずとはこの事。無邪気なものだ。
「一応聞いておくけど、どうして学園にカエルを連れてきたの?」
リリィ学園長が柔らかな口調で尋ねてくる。彼女の顔は笑っているが、地顔が綺麗なだけに妙な威圧感を覚えた。これが世界最強のモウドクフキヤガエルの迫力か。やはり今の私では勝ち目はなさそうだ。
──さて、どうする。ここは素直に事情を話すべきか?
でもそうなると、どんな処分を受けてしまうのか怖くなってくる。
ただでさえ上半期の授業をサボり続けて出席日数が足りず、補習で補っているというのに、そこに校則違反まで加われば今度こそ退学処分になりねない。
かといって、ここで嘘を吐くと後々大変な事になりそうな気がするのも確かだ。というよりも、この人に嘘は通用しないだろう。
よし、ここは包み隠さず素直に話そう。私の中の本能がそう告げている。”悪い事をしたらごめんなさい”は人としての基本だ。
「ビクトル学園第五代学長」
「ベルガモット学園長でいいわよ。それだと長くて呼びにくいでしょう?」
「じゃあリリィちゃん」
「一気に距離を詰めてきたわね。...まあいいわ。それでどうしたの?」
「実はですね...今回のダイナミック入室は全て、私の不徳が致すところなのです。本当に申し訳ありませんでした」
私は徐ろにソファーから立ち上がると、伯爵令嬢を資本とした謝罪を述べる。それを受けたリリィちゃんが怪訝そうに首を傾げた。
「不徳って、一体何があったの?」
「意外かもしれませんが、実は私はカエルが大好きでして、日頃から学園にカエルを連れてきていたんです」
「まあ!そうだったのね。意外かどうかは置いておいて、日常的にカエルを連れてきていたのは驚きだわ」
「はい。それで今回は隠し持ってきたカエルを授業中に眺めていたところ、うっかりと教室の外に逃がしてしまい、我が子を捕まえるために先生に虚偽の報告をして抜け出してきました」
「情報量が凄いわね」
リリィちゃんは口元に手を当てて目を丸くした後、予想外の展開にクスクスと笑う。こういう人をお茶目というのだろう。彼女は私よりもずっと年上の筈なのに、年頃の娘のようである。
通常であれば、この和んだ仕草で緊張感も薄れるのだろうが、不徳を働いた当人からすると、それすら演技のように見えてしまう。
この笑顔の裏に何を思っているのか。読み取る事はできない。
私はより警戒心を高めつつ、首から下げているジャックを抱え込んだ。
「本当に申し訳ありませんでした。ですが、この子に罪はないんです。どうか罰を受けるのは私だけにしてもらえないでしょうか?」
「まあ...」
静かに時が流れる。下げた視界の端では、相変わらず我が子が喉袋を膨らませている。そうして袋が十回ほど膨張収縮された頃、リリィちゃんがそっと声を掛けてきた。
「ミルスちゃん、お腹は空いていない?」
「え?」
「丁度お茶にしようと思っていたところなの。良かったら一緒にどうかしら?」
身構えていた私の耳に届いたのは、予想外の言葉だった。
つづく




