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「流石は四億年前から進化を続けている種族。この程度の弊害は物ともしないか」
数メートル先の緑の背中を眺めて私は呟いた。彼は全身のバネを上手く使っては、自身の数倍にも及ぶ段差を悠々自適に跳んでいく。まるで散歩でも楽しんでいるかのようだ。その姿には尊敬の念を抱かずにはいられない。
「うう、これは結構足腰に来るな」
階段の中間地点に差し掛かったところで、一頻り上がった息を整える。太腿に掛かる負担はかなりのものだ。やはり本家と比べるとこうも差が出てしまうのか。カエルの生態訓練は毎日積んでいるが、まだまだ甘かったのだと再認識させられる。
こうして足を休めている間にも、ジャックとの距離はどんどん開いていく。しかし、ここで二足歩行に妥協してはカエル令嬢の名折れ。将来の夢を想うのならば、どんなに辛い状況でも彼等と同じ土俵に立たなくてはならない。
「負けないぞ」
確固たる意思を持ってカエル跳びを繰り返していく。跳ねた勢いで制服のスカートが幾度と捲れ上がっているのが分かった。こんなところを家の使用人に目撃されたのならば、はしたないと注意されるに違いない。でも今は品性よりも大事なものが目の前にある。
「ふう、やっと着いた」
何とか最後の一段を跳び越えると、整然と管理された片廊下に出た。
普段上級生が使っているからだろうか、廊下の造り自体は一階と変わらないが、何処か空気が引き締まっている気がした。
「今が授業中なのが幸いだったな」
廊下に人の気配はない。最近は秋季パーティの一件もあってか、連日学園長室前には記者でごった返しだったが、今は誰もいないようだ。
万が一、こんな場面を記者にでも目撃されれば、ビクトル学園の品格を貶してしまいかねない。明日の朝刊の見出しが「ビクトル学園にて、カエルを追いかける謎の令嬢現る」にでもなったら大事だ。
こちらとしてはカエルが関連する記事で有名になるのは構わないが、身元を調べられでもすれば、お父様とお母様にも迷惑を掛けることになってしまう。それだけは駄目だ。私はあの二人にとって家族想いの娘でありたいのだ。
「──と、いけない。今は先にやるべきことがあるのだった」
講義中の教師達に悟られぬよう、カエル跳びで廊下を進んでいく。
そのままわたり廊下を渡り、多目的教室などがある中廊下まで出ると、遠くに脱走した我が子の姿を見つけた。
「ふっふっふ、見つけたぞジャック。観念しなさい」
流石に遊び疲れたのか、彼はある一室の前で大人しくしていた。手でそっと緑の胴体を包み込み、首から下げている緑の檻へと入れる。
「ヤンチャな子を持つと母は大変だな」
額の汗を拭う。一時はどうなることかと思ったが、これで一安心だ。今は別居中となっているが、自分の母親の気苦労が少しだけ解った気がした。
「さてと、もうすぐ授業が終わってしまう頃合いかな」
窓の外に目をやると、空が少し暗くなっていた。近くに時計がないので体内時計を当てにするしかないが、空腹の度合いはおよそ3割程度。ジャックの捕獲に対する運動量を加味しても、5割はいかないだろう。なので、現在の時刻は大体15時40分から45分の間だと計算できる。これもカエルの訓練で身に着けた野生の感というやつだ。
「長居は無用だな」
緑の檻の中で大人しくしているジャックに目配せする。私の体は至って健康体なのだが、先生に仮病を使った手前、医務室に向かわなければならない。
そう思って踵を返すと、すぐ傍にある部屋から話し声が聞こえてきた。
「うん?」
興味本位で扉に耳を当てる。
一人は男性の声。中低音で張りのあることから若そうな印象を受ける。同年代の生徒だろうか?
そしてもう一人は女性のものだ。けれど、若干声が低めで掠れていることから、年配の人のものだと分かる。教師の誰かだろう。
──この時間帯に一体何をしているんだ? 今は授業中だろうに。
そこまで考えてピンときた。これはまさか、密会でも開かれているのでは...?
これは参った。ビクトル学園では人知れず禁断の恋が芽生えていたようだ。先日の星屑パーリィナイトに続くスキャンダルだ。
「ここは深入りしない方が良さそうだ...」
室内の二人が誰なのかは分からないが、誰にでも知られたくない事の一つや二つくらいあるものだろう。
これ以上の盗み聞きはご法度。人の恋路を邪魔する者は、馬ならぬカエルに蹴られるものだ。部外者は颯爽と去るのみ。二人の恋路に幸あれ。
「行こうかジャック」
我が子に微笑みかけると、静かにその場を離れようとする。
するとなぜか、檻の中のジャックが急に暴れ出した。
「わっ!どうしたんだジャック。そんなに動いては私のうなじが圧迫されて...ぐえっ」
今日の緑の軍団長は一段と活発だ。私はくぐもった声を漏らすと、反動に抗えず態勢を崩してしまう。
「しまっ...!」
倒れる寸前に「学園長室」と書かれた札が見えた気がした。
「むきゅ!」
全身がぶつかって扉が開かれる。ダイナミック入室とはこの事だろう。
「痛たた...」
顔面から地面に倒れ込んだせいで顔が痛い。こんな時、カエルならもっと上手く着地するのだろうけれども、咄嗟に我が子を庇った自分を褒めてやりたい。
赤くなった顔を抑えていると、近くから声が掛かる。
「ミルス嬢?」
「あらまあ...」
徐ろに正面を向くと、目の前には秋季パーティで告白をしてきた王太子殿下と、目を丸くしてこちらを見つめる学園長の姿があった。
つづく




