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清掃の行き届いた白い校舎に、二つの足音がぺたぺたと響く。
一つは不規則なリズムを刻んでいるが、やや軽快な足音。そしてそれを追いかけるように、もう一方の足音が一定のリズムを刻んでいる。
やがて1階廊下の突き当り──非常階段の入口に差し掛かったところで、二つの足音がピタッと止まった。
「もう逃げられないぞ。ジャック」
四隅へ追い詰めた緑の軍団長を見ながら、少しだけ意地の悪い顔を見せる。
──やはりカエルの順応能力は凄まじい。入学式の時の行軍もそうだったが、最初は床の感触を確かめる覚束ない動きだったのにも関わらず、彼はこの短時間で早くも縦横無尽に駆け回っている。
それはまるで、走行中の馬車が危険なものだと学習するカラスのように、直感でこの校舎に危険はないと学習してしまっている。
「君達カエルはどこまで私を夢中にさせる気なんだ...」
人間という名の枠組み、自身の数百倍はある動物の住処でも尚、好奇心を優先するか。その雄大な意思には感服せざるを得ない。
「だけどね──君はまだ若いから分からないかも知れないが、生とは時として予期せぬ事態に見舞われるものなのさ」
それがこの私だ。
今の私はさながら、獲物を見つけた一匹の蛇といったところか。
「ジャック、君も素晴らしい才能を持っているが、もっと視野を広く持たなければならないよ」
先日耳にした父親の言葉を復唱する。一時的とはいえ、凶暴な天敵となるのは非常に不本意だが、愛する子の為なら喜んで毒牙を携えよう。
毒でも持っていない限り、蛇に睨まれたカエルは対抗する術を持たない。悲しいがこれが現実なのだ!
「とう!」
掛け声と共にジャックへ手を伸ばす。勢い良く、けれど優しくだ。
そうして緑の等身大に影が落ちた時、ニトリル手袋が空を掴み取った。
「ぷげっ」
頬に柔らかくも芯のある打撃が走る。その間、僅か1秒にも満たなかった。
「う...母の顔を足蹴にするとは...何という反骨精神...」
床に尻もちを着きながらも、我が子の逞しい一面に満更でもない感情が込み上がる。
そんな親心を見逃さなかったか、隙を見計らったジャックが横を通過していく。
「あっ!」
授業中だということも頭から抜け、思わず声を上げてしまう。彼が軽快な足取りで進むその先は、二階へと続く階段だった。
「そっちへ行ってはいけない!」
遠ざかる緑の背中を叱りつける。このビクトル学園はフロアが広く、一階の西側が一学年、東側が二学年という風に、学年ごとに教室が別けられている。
職員室や医務室なども一階にあり、幾度と改修を重ねてきた学び舎は十分なスペースを確保しているのだ。
では二階には何があるのか?答えは簡単。三学年のフロアとなっている。
もちろん他にも、音楽室や多目的広場などの様々な教室があるのだが、最も警戒しなくてはならない部屋が二階にはある。
学園長室だ。
上級生の教室に入り込むのは分かる。職員室に入りこむのも分かる。我が子の為ならばいくらでも言い訳をしてみせよう。しかし、学園長だけはどうにもならない。
彼女は王家とも親交が深く、昔は女史として幅広く活躍されていたと聞く。現王妃の教育係を務めていた経験もあるとか。
そんな聡明な彼女がビクトル学園を創設して以来、年々有望な人材が世に輩出され続けている。まさしくビクトル学園の頂点に君臨する人であり、この学園で私が唯一警戒している人物でもある。
カエル界隈には最強の毒性を持つカエルが存在する。その名もモウドクフキヤガエル──。
黄色や橙色、まるでリゾート地を彷彿とさせる鮮やかな色の体表を持っているが、その実、僅か1匹分の毒で人間10人以上を死に至らしめるほどの毒性を持つ危険なカエルである。
名にフキヤを冠しているのは、原住民がこの毒を吹き矢に塗って狩猟に用いていた為である。
まさに最強のカエル。ビクトル学園で一番の力を持つ学園長は、カエルで例えるところの、このモウドクフキヤガエルに該当するだろう。
その一方で、私は最近オタマジャクシから変態を遂げたばかりのアマガエルだ。鉢合わせたのならばまず勝ち目はない。
──ここは何としてもジャックの進行を阻止せねば...!
私は僅か数秒で思考を駆け巡らせると、急いでジャックの後を追いかけた。
つづく




