1 アップリンクの黎明
2049年、東京湾岸。
臨海工業地帯の奥深く、一棟目立たない灰色の建物が静かに佇んでいた。外壁には何の標識もなく、ただコードネーム「ECHO-IX」が刻まれているだけだ。ここは謎めいたテクノロジー企業**新脈(Neoneura)**の核心実験場であり、メディアはこれを「デジタル棺桶の試作用場」と呼んでいた。
新脈は宣言した。彼らが**「全脳マッピング・記憶アップロード」技術**を開発に成功したと。理論上、人の神経が死ぬ前に記憶、感情、意識のパターンをすべて「AnthroCloud」と呼ばれるクラウド神経網にアップロードし、デジタルな永生を実現できるという。
だが、誰も信じなかった。人々はこれを「高度なコピペ」「高性能パーソナリティアシスタント」「単なるシミュレーションであって、本物ではない」と嘲笑した。
そこで新脈は一か八かに賭けた。人体冷凍研究機関CryoBridgeと協力し、人類史上初の「アップロード→冷凍→解凍→ダウンロード」サイクル実験に挑むことにした。
アップロードされた人
彼女の名前は上田優子、65歳、元小説家、一人暮らし、早期アルツハイマー病を患っていた。
「私はいいよ。」彼女はカメラの前で静かに言った。「自分がゆっくりと腐っていくのを望まない。」
優子の脳構造は層ごとにスキャンされ、記憶の断片がデータ神経束として再編成された。その夜、彼女の意識は徐々に抜け出し、最終的に一筋の光となってAnthroCloudの核心キャビンに入った。翌日、彼女の身体は深部冷凍状態に置かれ、温度は-196°Cまで低下した。
誰も本気にはしなかった。ニュースメディアはこれを一笑に付し、「サイバ棺桶のマーケティングショー」と見なした。
四年後:解凍
2053年の春、世間がこの実験を完全に忘れた頃、新脈は厳重に管理された閉鎖会見で発表した。実験は成功したと。
優子の身体は解凍され、脳神経再接続装置に接続され、記憶ダウンロードプロセスが開始された。プロセスは13時間続いた。彼女が目覚めた時、最初に口にした言葉はこうだった。
「クラウドの中の猫、生きてる?」
彼女はAnthroCloud内で4年間の「生活」の詳細を正確に語った。仮想島の建設、数万の模擬意識との対話、そしてAI詩人との6か月間の感情的な交流まで。彼女の描写はあまりに細かく、デジタル夢の中で左足が砂地に触れた瞬間の冷たさまで、聞く者に鳥肌を立てさせた。
科学者たちは困惑し、AI哲学者たちは驚愕し、大衆は狂乱に陥った。
アップロード熱
わずか3か月で、日本全国の65歳以上の高齢者14万人以上が記憶アップロードプロジェクトに申し込んだ。主要保険会社は「アップロードリタイアメントプラン」を競って設計し始めた。
しかし、申し込み者は高齢者に限らなかった。
若者もいた——結婚を拒む者、人生に嫌気がさしたプログラマー、うつ病に苦しむ若者たち——彼らは「デジタルリスタート」を求め、現実の人生が「脚本が腐った」と感じていた。
「死にたくない。ただ、このクソ役を捨てたい。」
——22歳男性、軽度うつ病、「プレアップロード」ボランティア
「天国がコードなら、デバッグしてやる。」
——匿名ネット詩人、アップローダーNo.8273
彼らは自らを「アップリンク」と呼び、新たなサブカルチャーを形成し始めた:
現実の社交を拒否し、仮想心の中で会話する。
低温可接管服(冷凍予備外骨格)を着用する。
「アップロード宣言」を公表し、SNSに「デジタル遺書」を残す。
倫理、信仰、そして「フラグメント人」
だが、アップロードの世界は代償を伴っていた。
一部の「リターナー」(戻った者)は現実と仮想を区別できなくなり、人格の分裂を訴え、「フラグメント人」と自称した。ある者は現実に戻った後も、定期的なアップロード「パッチ」で安定した思考を維持するしかなかった。
教会は猛烈にこの技術を「魂の偽造」と非難した。アップロードセンターを焼き払う者もいれば、墓地の前で「魂はダウンロードできない」とプラカードを掲げる者もいた。
だが誰も否定できなかった。アップロードの黎明は、確かに訪れていた。
2055年、優子は現実への復帰2周年記念日に最後の文章を書いた:
「仮想世界でたくさんの桜の木を植えた。偽物だと分かっているけど、風が吹くたびに涙が溢れる。これが何を証明するのか?分からない。ただ、涙だけは本物だ。」
彼女は二度目の自発的アップロードを選んだ。今度は冷凍なしに、ただ静かに目を閉じた。
彼女の意識は二度と戻らなかった。
だが、彼女が仮想世界で植えた桜の木は、AI画家によってNFTアートに変えられた。名前は《痛む夢は生きている記憶》。