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第7話:雪狼の萌芽と迫る冬の影

第7話:雪狼の萌芽と迫る冬の影

雪華は、日に日に衰弱し、咳き込むことも多くなった、病床にある父である族長の、苦渋に満ちた、しかしどこか期待を滲ませた許しを、三日三晩にわたる説得の末にようやく得た。それは、彼女が「祖霊から授かった新たな狩りの知恵」と称し、具体的な図解や、模型を用いた説明を粘り強く行った結果だった。父は、その内容の合理性と、娘の瞳に宿る確信の光を信じ、部族の若者たちの中から、比較的頭が柔らかく、新しいことへの好奇心を持つ数名を選び出し、これまで誰も試みたことのない、全く新しい狩りの技術を教え込むという、大胆な試みを始めることを許可したのだった。それは、まるで凍てついた大地に、小さな種を蒔くような、途方もない挑戦の始まりだった。

彼女が試みている訓練方法は、彼女が前世で読んだ、様々な歴史書や戦術書、あるいはサバイバル術に関する書物からおぼろげに思い描く「組織的な行動」と「緻密な連携による集団戦術」の、ほんの初期段階、まだか細く、頼りない萌芽に過ぎなかった。それでも、従来の、個々の戦士の、時には無謀ともいえる勇猛さや、長年の経験からくる曖昧な勘だけに頼り切った、非効率で、何よりも多くの危険を伴う野蛮な狩猟方法とは、明らかに一線を画す、革新的なものだった。彼女は、天文部の部室で読んだ、古代ローマ軍団の戦術書や、日本の戦国時代の合戦図屏風の解説書にあった記述を必死に思い出し、この雪原の環境と、部族民の体力に合わせて応用しようとしていた。

彼女は、獲物の習性を利用した巧妙な誘導方法、地形を最大限に活用した包囲の陣形、そして何よりも、個々の力を一点に集中させるための役割分担の重要性――例えば、獲物を特定の方向に追い立てる「追い手」、確実に仕留めるための「止め手」、そして不測の事態に備える「遊軍」といった、明確な役割分担。獣の骨や鳥の羽根で作った笛や、目立たない手信号を用いた、声を出さずに仲間と意思疎通を図る緻密な連携方法。そして、彼女が夜な夜な図面を引き、鍛冶の心得のある数少ない職人に頼み込んで試作を繰り返している、新しい形状の、より獲物の体に深く食い込むように改良された槍先や、風の抵抗を減らし、より貫通力の高い矢じりの、最も効果的な使い方などを、言葉だけでは伝わらない部分を補うために、身振り手振りを大きく交え、時には自ら、雪を固めて作った大きな獲物に見立てた雪だるまや、木の幹に描いた的に向かって、まるで舞を舞うかのように鋭く、しなやかな槍捌きや、正確無比な弓捌きを実演しながら、根気強く、そして一人ひとりの理解度に合わせて丁寧に、若者たちに教え込もうとした。彼女の動きには、華奢な体躯からは想像もつかないほどの、不思議な気迫と、有無を言わせぬ説得力、そして何よりも、この方法が必ずや部族を救うという、揺るぎない確信が漲っていた。その槍捌きや弓捌きは、前世での体育の授業で、遊び半分で触れた弓道や薙刀の記憶が、この異世界で生きるための本能と結びついて、思いがけず研ぎ澄まされたものだったのかもしれない。

集められた若者たちの反応は、様々だった。

雪華の、一切の妥協を許さない真摯で熱心な態度と、時折、彼女の言葉の端々に見え隠れする、この原始的な部族の者には到底持ち得ないはずの、驚くべき知識の片鱗。そして何よりも、彼女の厳しい言葉の奥に隠された、部族への深い、そして偽りのない愛情に心を動かされ、最初は半信半疑ながらも、次第に興味を示し、真剣に彼女の言葉に耳を傾け、その技術を習得しようと努力する者もいれば、依然として「女の、それも一度死にかけたような、得体の知れない小娘の指図など、誇り高き雪狼の戦士が受けられるものか」と、あからさまに反発し、訓練の場に姿を見せることすら拒否する、頭の固い、頑固な者もいた。変化を恐れる心、未知なるものへの警戒心は、未来を担うはずの若者の中にも、古木のように深く、そして根強く存在していた。

特に、部族の中でも腕自慢として知られる数人の若者は、雪華が示す集団戦術を「個人の武勇を軽んじる臆病者の戦い方だ」と公然と嘲笑し、訓練をボイコットすることもあった。

しかし、雪華の厳しいながらも的確な指導と、何度も繰り返される実践的な訓練を受けたグループが、実際に以前よりも格段に効率的に、そして何よりも、無駄な怪我人を出すことなく安全に、より多くのトナカイや雪兎といった貴重な獲物を仕留めてくるようになると、その目に見える成果は、どんな言葉よりも雄弁だった。徐々にではあるが、彼女の試みを認め、その革新的な方法の有効性を正当に評価する声も、若い世代を中心に、まるで静かに広がる波紋のように、少しずつ、しかし確実に広がり始めていた。

「雪華様の言う通りにしたら、本当に今まで苦労していた大きなトナカイが、いとも簡単に獲れたぞ!」

「彼女の合図は、まるで魔法のようだ。獲物が面白いように罠にかかる」

そんな興奮と喜びに満ちた声が、彼女の耳にも、かすかにではあるが届くようになっていた。それは、彼女にとって何よりの報酬であり、次なる困難に立ち向かうための力となった。かつて嘲笑していた若者たちも、その成果を目の当たりにし、渋々ながらも訓練に参加し始める者も現れた。

父である族長――かつては雪原にその名を轟かせた勇猛な戦士だったが、今は病に侵され、その威厳ある顔にも疲労の色が濃く浮かんでいる――は、そんな雪華の、時には孤立無援に見える奮闘ぶりを、病の床から、ある時は娘に更なる試練を与えるかのように厳しい視線で、またある時は、その成長を喜ぶかのように温かく、そして誇らしげな眼差しで見守っていた。彼は、娘の中に眠る、まだ磨かれていない原石のような、しかし確かに存在する非凡な才能と、部族の未来を誰よりも深く案じる強い意志、そして何よりも、困難に怯むことなく行動を起こすその力を、他の誰よりも強く、そして正確に感じ取っており、内心では彼女の、時に大胆すぎる革新的な試みを、心から応援し、成功を願っていた。しかし、長年にわたり部族の意思決定を牛耳ってきた長老たちの、凝り固まった、そして根強い反対の声や、部族内に複雑に絡み合う微妙な力の均衡、そして何よりも、部族全体の調和と安定を第一に重んじる族長としての重い立場から、それを公に支持し、全面的に後押しすることは、まだ躊躇われた。時期が、まだ熟していない。そう、彼は判断していたのかもしれない。

集落の片隅で、雪華のささやかな、しかし着実な変革の試みを見守る氷月の姿は、変わらずそこにあった。彼女の怜悧な瞳は、雪華が若者たちに施す訓練の具体的な内容――獲物の追い込み方、合図のタイミング、改良された武具の扱い――から、それに対する若者たちの反応、そして長老たちの苦々しげな表情まで、あらゆる情報を冷静に、そして詳細に捉えていた。彼女の頭脳は、雪華の行動の背後にある論理的な合理性と、それが部族にもたらすであろう潜在的な利益を、おそらく誰よりも正確に分析していたのだろう。しかし、その分析結果を彼女がどう評価し、そして今後どう動くつもりなのかは、その氷のように静かな表情からは読み取れなかった。ただ、彼女の視線は、雪華の小さな挑戦の行方だけでなく、日増しに重く垂れ込めてくる北の空の雲行きや、肌を刺す風の冷たさにも、より一層鋭く注がれているように見えた。まるで、雪華の小さな灯火が、迫りくる大自然の猛威に対してどれほどの意味を持つのかを、冷徹に見極めようとしているかのようだった。氷月は、雪華の戦術が、単なる狩猟技術に留まらず、いずれ部族間の争いにおいても強力な武器となりうる可能性に気づき始めていたが、そのことをまだ誰にも告げてはいなかった。

そして、その氷月の予感、あるいは部族の誰もが肌で感じ始めていた不安を裏付けるかのように、北の空は日増しに、まるで不吉な予兆のように鉛色を深め、雪原には例年よりもずっと早く、そしてことさらに厳しい、容赦のない冬の到来を予感させる、骨身に染みるような冷たい風が、まるで死神の吐息のように、容赦なく吹き始めていた。それは、雪と氷だけではなく、飢えと絶望、そして静かな死の匂いを運んでくる、不吉な風だった。

部族の誰もが、これから訪れるであろう長く、そして想像を絶するほど過酷な冬と、それに伴う深刻な、命に関わる食糧不足への、言葉にできない、しかし腹の底から湧き上がってくるような言いようのない不安を、口には出さずとも、その表情や行動の端々で、心の奥底で重く、そして切実に感じていた。

雪華もまた、その肌を針で刺すような、鋭い風の中に、間もなく訪れるであろう試練の、ただならぬ厳しさをひしひしと感じながら、来るべきその日に向けて、自分にできることは何か、何を真っ先にすべきかを、寝る間も惜しんで必死に模索し続けていた。彼女の心には、日に日にその顔色を失い、咳き込む回数が増えていく父の、痛々しくも威厳を失わない姿と、この部族全体の未来を背負うという、あまりにも重い責任、そしてどんな時も、一瞬たりとも忘れることのない、遠い異郷にいるであろう大地への、変わらぬ熱い、そして切ない想いが、複雑に、そして重く絡み合い、まるで鉛のようにのしかかっていた。

「このままではいけない……何か、何かを、根本から大きく変えなければ……父上が、まだご健在で、私に力を貸してくださるうちに……間に合わせなければ……。あの新しい狩りの方法が、本当にこの部族の未来を切り開く鍵になるのか…今こそ、その真価が問われる時…」

彼女の、澄んだ湖面のように美しい瞳には、どうしようもない焦燥の色と、しかし、その困難を必ずや乗り越えてみせるという、鋼のような確固たる意志の光が、暗闇の中で一層強く、そして鮮やかに宿っていた。

雪狼の、まだ小さな萌芽は、今、まさに試練の時を迎えようとしていた。

そして、その試練の冬は、もうすぐそこまで、まるで獲物を狙う狼のように、足音も立てずに、静かに、しかし確実に迫っていた。

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