第30話:臥龍との邂逅、響き合う魂と未来への光明
第30話:臥龍との邂逅、響き合う魂と未来への光明
太陽(大地)一行は、南海の故郷を後にして数ヶ月、筆舌に尽くしがたい苦難に満ちた旅路を辿っていた。時には切り立った崖路を慎重に進み、時には急流を丸木舟で渡った。山賊の襲撃に遭遇した際は、同行していた数少ない護衛と岩牙から預かった屈強な部下たちが身を挺して戦い、太陽自身も前世で凛と学んだ護身術の知識を咄嗟に応用し、辛うじて危機を切り抜けた。またある時は悪天候に数日足止めされ、道が寸断されることもあった。慣れない土地の風土病に倒れる者も出るなど、一行は命の危険すら伴う困難に何度も直面した。
しかし、太陽の、どんな困難にも屈しない不屈の精神と、常に仲間を思いやり、励まし続ける温かい心、そして何よりもまだ見ぬ賢人への熱い想いが彼らを支え、ついに目的の地、荊州襄陽近郊、隆中の地にたどり着いた。そこは、中原の喧騒から隔絶されたかのような、静かで美しい場所だった。
諸葛亮が隠棲するという庵は、周囲の自然と調和した、質素ながらも清雅な雰囲気に包まれていた。茅葺きの屋根は丁寧に手入れされ、庭には季節の花々が控えめに咲いている。周囲には、彼が丹精込めて耕したであろう畑が、冬が近いにも関わらず美しく整然と広がっていた。その様は、彼がただ書を読むだけの隠者ではなく、大地と共に生きる実践の人であることを静かに示していた。太陽は、その風景に、どこか懐かしさと共に、この庵の主への期待感を一層強くした。
最初の訪問では、庵の門を叩くと、まだあどけなさの残る利発そうな童子が現れた。太陽の、異国の王族とも思える非凡な風格と、長旅の疲れを感じさせない澄んだ瞳に驚きつつも、深々と頭を下げ、「諸葛亮様は旧友と遠方へ学問の旅に出ており、帰期は未定でございます」と丁重に告げられ、会うことは叶わなかった。太陽は、落胆の色を隠せなかったが、供の者たちには「これも縁だ。きっと何か意味があるのだろう」と穏やかに語り、近くの村に宿を取った。
数日後、太陽は改めて身を清め、礼を尽くして庵を訪れる。今度は、童子ではなく、年配の、しかし背筋の伸びた家人が応対した。しかし二度目も、無情にも断られてしまう。「主は昨夜遅くまで書を読み耽り、夜通し天下国家の行く末を思索しておられたため、今は奥の間で昼寝の最中です。とてもお起こしできるような状態ではございません」。その言葉には、どこか太陽の器量を試すような、あるいは単なる昼寝ではない何か特別な意味合いを感じさせる響きがあった。
同行していた護衛たちは、このあまりにも無礼とも取れる態度に激しく憤慨した。「王よ、このような傲慢な男に、これ以上頭を下げる必要はございません! 我らが王は、南海に一大連合を築かれた方ですぞ! もっと誠意のある人物は、中原広しといえど、他にもいるはずです!」彼らは涙ながらに訴えたが、太陽は静かに首を振った。
「いや、真の賢人を師と仰ぐには、これくらいの辛抱は当然のことだ。彼の才が本物ならば、我々の誠意が通じれば、必ず心を開いてくれるだろう。これは、我々の覚悟と、私自身の器が試されているのかもしれない。それに、彼の言う『思索』とは、きっと我々が想像もできないほど深いものなのだろう」その穏やかな声には、揺るぎない決意と、まだ見ぬ賢人への深い敬意が込められていた。彼は、前世で読んだ歴史物語の中に、賢者を求めるために幾多の困難を乗り越えた英雄たちの姿を思い出していた。
そして、運命の三度目の訪問。
空からは雪が舞い始め、冬の厳しい寒さが骨身に染みる日だった。太陽は庵の前で、降り積もる雪に肩を濡らしながらも、微動だにせず静かに待ち続けた。供の者たちが差し出す外套も固辞し、ただひたすらに、庵の主人の目覚めを待った。彼の心の中には、焦りも怒りもなく、ただ純粋な願いだけがあった。
数時間が過ぎ、陽が西の山に大きく傾き、空が茜色に染まる頃、ついに庵の扉がゆっくりと、まるで重い歴史の扉が開くかのように音を立てて開いた。
中から現れたのは、若々しいながらもその双眸に深遠な知性と、天下を見渡すかのような深みを宿した、長身痩躯の青年だった。白い鶴氅衣を身にまとい、手には羽扇を携えている。それが、臥龍・諸葛亮孔明だった。彼の佇まいには、常人とは明らかに異なる、非凡なオーラが漂っていた。その瞳は、夜空の星々のように冷たく澄み渡り、しかし同時に、深い人間愛をも感じさせる、全てを見透かすような光をたたえていた。
諸葛亮は、若くして南海に一大勢力を築き、その王自らが三度もこの辺鄙な庵まで足を運び、雪の中で何時間も待ち続けたという太陽の異常なまでの器量と、その誠意に、内心深く心を動かされていた。そして、その瞳の奥に宿る曇りのない純粋な理想と、全身から発せられる陽光のような温かいカリスマ性を、探るような、しかし同時に期待を込めた眼差しでじっと見つめ返した。
太陽は、諸葛亮の前に進み出て、深々と頭を下げた。「南海の太陽と申します。先生の御高名はかねてより伺っておりました。どうか、この未熟な私に、天下国家の道をご教示いただきたく、参上いたしました」
諸葛亮は、太陽を庵の中に招き入れ、火鉢を挟んで向かい合った。
太陽は臆することなく語り始めた。目指すは「全ての民が人種や出自に関わらず手を取り合い、互いを尊重し、心から笑顔で暮らせる世界」。その壮大な理想と、それを共有し実現できる仲間を求めていることを、心の底から誠実に、飾らない言葉で伝えた。自分が異世界からの転生者であること、この世界で生き別れた魂を分けたも同然の大切な人・凛(彼女は、おそらく北の地で、自分と同じように困難に立ち向かっているはずだと信じていること)、そして彼女との再会を強く願っていることも、包み隠さず打ち明けた。その言葉は、彼の魂からの偽りのない叫びであり、彼の半生そのものだった。
諸葛亮は、太陽の語る途方もない話――異世界からの転生、時空を超えた絆、そしてあまりにも純粋で壮大な、しかし困難極まりない理想――に、最初は驚きの色を隠せなかったが、次第に深い感銘と、これまでにないほどの強い知的な興奮を覚えていた。彼は、太陽の言葉の中に、嘘や偽り、あるいは野心といったものを見出すことができなかった。ただ、そこには、民を想う純粋な心と、愛する人を求める切実な願い、そして途方もない困難に立ち向かおうとする、揺るぎない意志だけがあった。
この若き王こそが、腐敗しきった漢王朝に代わり、長きにわたる血塗られた乱世を終わらせ、全く新しい、真に民のための時代を築き上げるかもしれない。そんな強烈な、抗いがたいほどの可能性を感じ取っていた。この男ならば、あるいは本当に世界を変えられるかもしれない、と。そして、彼が語る「凛」という女性もまた、並々ならぬ才覚の持ち主なのではないかと、諸葛亮は直感した。
「太陽王…あなたのその熱き魂の叫び、そして汚れなき理想の輝きは、この孔明の胸を強く打ちました。これほどまでに民を思い、高潔な志を抱く方を、私は他に知りません。異世界の話、そして時を超えた絆の話も、常人には信じがたいやもしれませんが、あなたのその真摯な瞳を見れば、それが真実であると、この孔明には分かります。この乱世において、そのような理想を貫くことは、想像を絶する困難を伴うでしょう。それは、まるで茨の道を裸足で進むに等しい…しかし…」
諸葛亮はそこで一旦言葉を切り、太陽の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、深い思慮と、かすかな、しかし確かな決意の色が浮かんでいた。
「もし、王が本気でその道を歩まれるというのであれば、この孔明、微力ながら何らかの形でお力添えできるかもしれません。今すぐこの草廬を出て王にお仕えすることは、時期尚早かと存じます。しかし、今日のあなたの言葉、そしてその熱意は、確かに私の心に深く刻まれました。王が益州の民を救わんとするその志、そしてその先に見据える天下泰平への道、私なりに策を練り、いずれ必ずや、王のお役に立てる日をお約束しましょう。そして、王が探し求める『凛』という方も、その才覚をもってすれば、必ずやこの乱世で頭角を現しているはず。その情報も、集めてみましょう」
その言葉は、明確な仕官の約束ではなかった。しかし、太陽は諸葛亮の真摯な眼差しと、言葉の奥に込められた強い意志、そして未来への具体的な展望を感じ取り、彼の心に響くものがあったことを確信した。
「先生…そのお言葉だけで、私はこの遠い道のりを来た甲斐がありました。どうか、私のこの想いを、そしてこの国を、今一度お考えいただければ幸いです。先生のお力添えを、心よりお待ち申し上げております」
太陽は深々と頭を下げた。諸葛亮もまた、静かに頷き、太陽の手を取った。その手は温かく、力強かった。二人の間には、言葉を超えた魂の共鳴が確かに存在していた。
太陽は、大きな手応えと、未来への確かな光明を感じながら、隆中を後にする。彼が真に「臥龍」を得るまでには、まだいくつかの段階が必要となるかもしれない。しかし、運命の歯車は、この邂逅によって大きく、そして確実な方向へと動き出した。南海の王の情熱は、長年隠棲していた龍の心を、確かに揺り動かしたのだ。
降り続く雪は、まるで二人の未来を祝福するかのように、静かに、そして美しく舞っていた。太陽は、雪空を見上げ、遠い北の地にいるであろう凛に、心の中で語りかけた。「凛、もう少しだ。必ず、道は開ける」