第21話:楽園の影、異邦人の孤独な目覚めと岩牙との出会い
第21話:楽園の影、異邦人の孤独な目覚めと岩牙との出会い
太陽(大地)が、エメラルドグリーンの海に抱かれ、一年中色鮮やかな花々が咲き乱れる南海の、世界のどの地図にも載らないような、しかし彼にとっては運命の島で、「太陽」という、部族の者たちが彼の明るい髪の色と、まるで陽光のような温かい人柄から名付けた名で生き始めてから、既に数えきれないほどの満月が、穏やかな夜の海を照らし、そして欠けていく、そんな数年の歳月が、まるで夢の中の出来事のように、静かに、そして確実に流れていた。
彼は、血の滲むような努力の末に、部族の者たちが話す、独特の柔らかい抑揚と、複雑な自然現象を巧みに表現する豊かな言葉を, 今ではまるで生まれた時から知っていたかのように流暢に操れるようになり、その常に穏やかで、一切の裏表を感じさせない誠実な人柄、そして、誰に対しても、それが幼い子供であろうと、年老いた老人であろうと、分け隔てなく、深い敬意をもって接する謙虚な態度は、多くの部族民から、心からの親愛と、ある種の、言葉にはならない深い信頼を得るようになっていた。彼は、前世で天文部の活動を通じて培った、異なる意見を持つ人々と辛抱強く対話し、共通点を見つけ出すコミュニケーション能力を、この異文化の中でも無意識に活かしていたのかもしれない。
しかし、そんな彼の、誰にも見せることのない心の奥底、魂の最も深い場所は常に、遠い、遠い故郷の、アスファルトの焼ける匂い、騒がしい電車の音、そして四季折々の、言葉では言い尽くせないほど美しい日本の記憶と、そして何よりも、幼馴染であり、彼の半身とも言える存在であった凛の、あの凛とした、それでいてどこか儚げな面影を、片時も、一瞬たりとも忘れることなく、まるで失われた光を追い求めるかのように、必死に、そして切実に追い求めていた。
夜ごと、南の空に、まるで天空の道しるべのように鮮やかに、そして荘厳に輝く南十字星を見上げては、彼女の無事を、この胸が張り裂けるような想いが届くようにと祈り、そして、決して叶うことのない、あまりにも残酷な再会の叶わぬ現実に、胸を内側から締め付けられるような、深く、そして鋭い痛みを、毎夜のように覚えていた。
「凛、君は今、どこで、どんな空の下で、何をしているんだろう……僕の声は、この想いは、君に届いているのだろうか……。もし君が、僕と同じように星を見上げているなら、同じように僕を想ってくれているなら…それだけで、僕は…」
独り言ちる彼の、か細く、そして切ない声は、熱帯の夜の、甘く濃密な花の香りと、遠くで寄せては返す波の音に包まれた、深い静寂の中に、誰にも聞かれることなく、虚しく吸い込まれていった。
彼が暮らす部族の島は、エメラルドグリーンに輝く珊瑚礁の海に囲まれ、内陸には、手つかずの豊かな熱帯の緑がどこまでも広がり、一年を通して温暖な気候と、豊富な食料に恵まれ、一見すると、まるで神々が創り給うた地上の楽園のように、美しく、そして穏やかに見えた。
しかし、その美しい外見の裏に隠された実情は、決して楽園などではなく、むしろ厳しく、そして多くの困難に満ちていた。近隣の、より人口が多く、そして常に領土拡大の野心を抱く、好戦的で残忍な部族からの、いつ終わるとも知れない絶え間ない圧迫と、彼らが仕掛けてくる小規模ながらも執拗な略奪行為。時折、まるで神の気まぐれのように発生し、何の罪もない多くの命を、赤子から老人まで容赦なく奪っていく、原因不明の恐ろしい疫病の蔓延。そして何よりも、部族社会の隅々にまで深く根を張り、人々の思考と行動を縛り付ける、古い、時には不合理でさえある因習や、何の根拠もない、しかし絶対的な力を持つ迷信に深く縛られた、いかなる変化をも拒み、新しいものを受け入れることを恐れる、硬直した社会構造といった、深刻で、そして容易には解決できない問題を、数多く、そして複雑に抱えていた。
現族長は、既にかなりの高齢で、かつては、その勇猛果敢な戦いぶりで、部族を幾度も危機から救った偉大な戦士として、民から深く尊敬されていたというが、今はその面影も薄れ、その指導力にも、誰の目にも明らかな陰りが見え始めており、部族の、先の見えない未来を憂う、若い世代の、切実な、そして時には焦燥感を伴った声も、日増しに、そして無視できないほど大きくなっていた。部族の重要な意思決定の場である集会では、しかし、年老いた長老たちが、過去の成功体験と、先祖代々受け継がれてきたという、もはや時代遅れとなったやり方に固執し、若い世代の、新しい時代に対応しようとする斬新な意見や提案は、ほとんど聞き入れられることなく、頭ごなしに否定されるのが常だった。その光景は、太陽にとって、歯がゆく、そしてどこか悲しいものだった。
太陽は、自分が、全く異なる世界で生きてきた中で、偶然にも身につけていた前世の知識――例えば、天文部の部室にあった科学雑誌で読んだ、持続可能な農業技術の特集記事にあった、土地の力を最大限に引き出し、より多くの収穫を得るための効率的な作物の栽培方法や、文化祭の準備で「異星の神話」と関連付けて調べた古代文明の公衆衛生に関する資料にあった、病気を未然に防ぐための、ごく基本的な、しかしこの部族ではまだ知られていない衛生観念の重要性、そして何よりも、立場の異なる者たちの、多様な価値観を心から尊重し、力ではなく、粘り強い対話によって問題を解決しようとする、その平和を愛する心――が、この、多くの困難に直面する部族の人々を、ほんのささやかではあるかもしれないが、助け、導くことができるのではないかと、常々、そして真剣に考えていた。
しかし、彼は所詮、どこの誰とも知れぬ、ある日突然、嵐の後の浜辺に打ち上げられていた、素性の知れぬ異邦人であり、その、時には部族の常識とはかけ離れた発言が、すぐに部族全体に受け入れられ、信頼されるほど、この閉鎖的な社会は甘くはなかった。彼は、まず、人々の、心の奥底からの信頼を、さらに深く、そして確かなものとして勝ち取り、部族の真の一員として、彼らに心から認められることが、何よりも先決だと考え、日々の、決して楽ではない生活の中で、地道に、そして一切のてらいなく誠実に、部族の共同体に貢献しようと、黙々と努めていた。
朝早くから海に出て、他の男たちと共に危険な漁に加わり、日中は、照りつける太陽の下で、荒れた畑を黙々と耕し、その際には、前世の記憶にある作物の栽培方法を、この島の土壌や気候に合わせて試行錯誤することもあった。そして夜には、疲れも見せずに、集落の子供たちに、遠い、遠い故郷の、不思議で、そして教訓に満ちた物語(それは、彼が覚えていた日本の昔話や、凛と共に読んだ物語、あるいは天文部の部室にあった世界各地の神話集などを、この島の子供たちにも分かりやすいように、巧みにアレンジしたものだった)を、優しい声で語って聞かせた。子供たちは、彼の物語を、目を輝かせながら聞き入り、そして彼に心から懐いていた。
そんな、穏やかで、しかしどこか満たされない日々が続いていたある日のことだった。
太陽は、貴重なタンパク源である、森に棲む小動物や、薬効のある植物を求めて、一人で分け入った、これまで足を踏み入れたことのない、鬱蒼とした森の奥深くで、まるで大地から直接生えてきたかのような、人並外れた、岩のような巨躯を持ち、しかし、その大きな、どこか憂いを帯びた瞳の奥に、誰にも理解されない、深く、そして暗い孤独の影を漂わせる一人の青年に、運命的に出会う。
彼の名は、岩牙。その名の通り、彼の存在そのものが、まるで風雪に耐え抜いた孤高の岩の牙のように、荒々しく、そして近づきがたい雰囲気を放っていた。岩牙は、部族の中でも特に、その圧倒的な膂力と、獣のような鋭い戦闘感覚において、他の追随を許さないほど武勇に優れ、特に、この島に数多く生息し、時には農作物を荒らし、人々に危害を加えることもある巨大な、しかし賢い象を、まるで自分の手足のように、あるいは魂で繋がっているかのように巧みに操ることに、天賦の、そして神懸り的とさえ言える才を持っていた。
しかし、その、必要最低限の言葉すら発しない極端に無口で、他人を、まるで威嚇するかのように寄せ付けない、どこか威圧的な雰囲気と、時折、何の前触れもなく見せる、まるで嵐のような感情の起伏の激しさから、周囲の部族民たちからは、畏れられ、そして敬遠されがちな、常に輪の中から外れた、孤立した存在だった。
太陽は、しかし、そんな岩牙の、周囲からは誤解されがちな、荒々しい外見の奥に宿る、不器用なまでの、そして子供のような純粋さと、彼が、まるで我が子のように心から慈しみ、世話をする象たちに対する、言葉にはならない、深く、そして温かい愛情を、その鋭敏な感受性で感じ取り、彼という、謎に満ちた存在に、強く、そして抗いがたいほどの興味と、どこか共感にも似た感情を抱いた。岩牙の瞳の奥の孤独は、太陽自身の、誰にも打ち明けられない孤独と、どこか通じるものがあるように感じられたのだ。
二つの孤独な魂が、今、この南海の深い森の中で、静かに、しかし確実に引き寄せられようとしていた。その出会いが、やがてこの島全体の運命を大きく揺り動かすことになることを、まだ二人は知る由もなかった。




