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第20話:北平への道、袁紹の影と、微かに届く南の太陽の噂

第20話:北平への道、袁紹の影と、微かに届く南の太陽の噂


先の、絶望的とさえ思われた黒牙族との戦いで、雪狼兵がその初陣を鮮烈な、そして奇跡的な勝利で飾ったことは、まるで凍てついた大地を揺るがす春の雷鳴のように、周辺の、互いに牽制し合い、あるいは小さな争いを繰り返していた部族社会に、大きな、そして無視できないほどの衝撃と、複雑な影響を与えた。

雪華の、若く美しい容姿とは裏腹の、戦場における冷徹で、そして神業とも称される卓越した武威と、捕虜に対する(当時の、報復と略奪が当たり前であった部族間の慣習からすれば)驚くほどに寛大で、そして人道的な処置――それは、単なる温情ではなく、労働力としての戦略的な活用や、解放の際の巧みな条件提示(例えば、二度と雪華の民に刃を向けないという誓約や、定期的な貢納物の要求など)、さらには黒牙族の内部情報を得るための情報源としての懐柔といった、高度な政治的判断に基づいていた――は、多くの部族の長たちに、彼女に対する深い畏敬の念と、同時に、この若き指導者が持つ得体の知れない力への、ある種の抗いがたい興味を抱かせ、彼女との同盟や、あるいは自ら進んでその軍門に下り服属を誓うこと、さらには、これまで途絶えがちだった交易の再開を求める使者が、まるで雪解け水が川に集まるように、次々と、そして途切れることなく雪華の質素な本拠地を訪れるようになった。

北の雪原の、長らく続いた力の均衡が、今、静かに、しかし確実に崩れようとしていた。雪華の名は、「雪原の戦乙女」あるいは「氷の女帝」として、畏怖と尊敬を込めて囁かれるようになっていた。

雪華は、常に傍らで冷静沈着に状況を分析し、的確な助言を与える腹心の軍師、氷月の、まるで未来を予見するかのような鋭い助言――「今は力を蓄える時。いたずらに敵を増やすのではなく、確実に利のある相手と結び、足元を固めるべきです」といった具体的な戦略――を受けながら、持ち前の慎重さで相手の真意を見極め、しかし時には、まるで勝負師のような大胆さで同盟相手を選び、あるいは、潜在的な敵対勢力に対しては、雪狼兵の武威を背景にした巧みな外交交渉で牽制し、北方の、複雑に入り組んだ勢力図を、まるで熟練の絵師が新たな絵を描き換えるかのように、急速に、そして着実に自らに有利な形へと塗り替えていく。

彼女の統治する領域は、雪解けと共に広がる緑のように着実に拡大し、それに伴い、彼女の切り札である雪狼兵の数も、忠誠を誓う若者たちの志願によって増強され、その練度と、雪華が心血を注いで改良を続ける武具の質も、飛躍的に、そして恐ろべき速度で向上していった。彼女は、前世で読んだ歴史書にあった、優れた為政者が行った内政改革や富国強兵策の記憶を頼りに、食糧増産や技術革新にも力を注いでいた。

もはや、雪華と雪狼兵は、北の雪原において無視できない、強大な力を持つ存在となっていた。

そんな中、雪華は、南に広がる幽州ゆうしゅうを拠点とし、長年にわたり、勇猛果敢な北方異民族との、血で血を洗う激しい戦いに明け暮れ、その名を中原にまで轟かせてきた歴戦の猛将・公孫瓚こうそんさんの、不穏な動向に、特に強い、そして警戒に満ちた注意を払っていた。

公孫瓚は、その精強無比とうたわれる白銀の騎馬隊「白馬義従はくばぎじゅう」を擁し、その圧倒的な武勇は、遠く離れた中原の都でも広く知れ渡り、多くの諸侯から恐れられていた。雪華の前世の知識でも、公孫瓚は北方の覇者として名高い存在だったが、この世界の彼が、歴史通りの道を辿るかは未知数だった。

雪華の、まるで彗星すいせいの如き急速な勢力拡大と、これまで公孫瓚が影響下に置いてきた北方遊牧民への、無視できない影響力の増大は、公孫瓚にとって、自らの築き上げてきた勢力圏と、そこから得られる莫大な権益への、明確で、そして許しがたい脅威となりつつあり、両者の、北の覇権を賭けた衝突は、もはや時間の問題、避けられない、そして血塗られた運命となりつつあることを、雪華も、そして氷月も痛いほど理解していた。二つの太陽は、同じ空には存在できないのだ。

雪華は、公孫瓚の本拠地であり、北方の要衝でもある堅牢な城塞都市、北平ほくへいを手に入れることが、いずれ必ず訪れるであろう中原への本格的な進出の、絶対に必要な足掛かりとなり、そして何よりも、そこに集まるであろう、中原各地からの多くの人々と情報の中から、愛する大地との再会に繋がる、たとえ針の穴ほどの小さなものであっても、かけがえのない手がかりを得るための、極めて重要な一歩だと、固く信じていた。彼女は、大地がもし中原にいるのなら、大きな都市には何らかの痕跡が残されているかもしれないと、淡い期待を抱いていた。

彼女は、氷月と共に、昼夜を問わず、公孫瓚軍の編成、得意とする戦術、補給路、そして何よりも、公孫瓚自身の、勇猛だが時に傲慢ごうまんで、激情家として知られる性格や、その戦略上の弱点を、まるで獲物を解剖するかのように徹底的に分析し、来るべき、おそらくは部族の存亡を賭けた戦いに備え、武力だけではない、外交と調略を巧みに織り交ぜた、多角的で、そして緻密な戦略を、まるで複雑なパズルを組み立てるように、練り始めていた。その瞳には、既に北平の城壁が映っているかのようだった。

時を同じくして, 遥か南, 大陸の中央部に広がる中原の地では, 暴虐の限りを尽くした董卓 (とうたく) が, その養子であり, 天下無双の武勇を誇る呂布 (りょふ) の手によって, 劇的な, しかしどこか空しい形で暗殺されたという衝撃的な報せが, 北方の交易商人を通じて雪華の元にもたらされた。その後の都, 長安 (ちょうあん) では, 李傕 (りかく) ・郭汜 (かくし) といった, 董卓の残党たちが, まるで主を失った狂犬のように好き放題に暴政を敷き, まだ幼い献帝 (けんてい) は, 彼らの完全な傀儡 (かいらい) と化し, かつて絶対的な権威を誇った漢王朝の威光は, 完全に地に墜 (お) ち, もはや風前の灯火となっていた。

「董卓が呂布に…まるで前世の歴史書の一場面のようね。しかし、この世界の呂布は、一体何を考えているのかしら…」雪華は、氷月と地図を広げながら呟いた。

各地の、野心と実力を蓄えた群雄たちは、この未曾有みぞうの、そして終わりの見えない混乱に乗じて、一斉に、まるでせきを切ったように勢力拡大を図り、兗州えんしゅうの、後に奸雄かんゆうと評される曹操そうそう冀州きしゅうの、名門中の名門である袁紹えんしょう淮南わいなんの、袁紹の従兄弟いとこでありながら常に対立する袁術えんじゅつ、そして江東こうとうの、若き虎と称された孫堅そんけん(その壮絶な死後は、その志を継いだ若き息子の孫策そんさく)といった、綺羅星きらぼしの如き者たちが、次々と歴史の表舞台に名乗りを上げ、血で血を洗う、終わりなき覇権争いを、容赦なく繰り広げ始めていた。それは、英雄たちが躍動する時代であると同時に、無辜むこの民にとっては、地獄のような時代の始まりでもあった。

雪華は、これらの、あまりにも複雑怪奇で、そして目まぐるしく変化する中原の情勢に関する情報を、危険を顧みず中原に潜入する交易商人や、彼女が密かに組織した情報収集部隊「雪兎ゆきうさぎ」を通じて、まるでかわいた砂漠が水を吸い込むように貪欲どんよくに収集し、氷月と共に、その一つ一つの情報の真偽と重要性を見極めながら、冷静に、そして多角的に分析し、自らが、この激動の時代の中で進むべき道と、その最も適切なタイミングを、慎重に、そして虎視眈々(こしたんたん)と見定めようとしていた。

彼女の、研ぎ澄まされた視線の先には、まず、避けては通れない公孫瓚の堅城、北平。そして、その向こうに、まるで地の果てまで続くかのように広がる、豊穣ほうじょうな河北の広大な平原があった。そこには、四世三公しせいさんこうという、漢王朝においても比類なき名門の出自を誇り、圧倒的な兵力と、数多の有能な臣下を抱え、当時の中原で最大最強とも言える巨大な勢力の一つである袁紹が、まるで巨大な、そして不気味な影のように、そしていずれは必ず、己の全てを賭けて超えなければならない、高く、そして険しい壁として、傲然ごうぜんと待ち構えている。その存在は、雪華の胸に、常に重い圧迫感を与えていた。

そして、ごくまれにではあるが、遠く、遠く南方の、ほとんど伝説に近い、地図にも載らない南海の島々から、まるで旅人の夢物語のような、奇妙な、しかしどこか心の琴線きんせんに触れる、不思議な噂が、季節風に乗って、あるいは交易船の船乗りたちの口を通じて、雪華の耳に、微かに、しかし確かに運ばれてくることがあった。

「太陽王」と呼ばれる、不思議なほど若く、そしてまるで聖人のように慈愛に満ちた、しかし一度戦場に立てば比類なき勇猛さを示すという、矛盾した魅力を持つ指導者が、これまで争い続けてきた多くの部族を、その人徳と不思議な力でまとめ上げ、争いを好まず、巨大な、見たこともない象を巧みに操る強力な軍隊を持ち、その地で、誰もが驚くほどの善政を敷いて、民衆から、まるで生き神様のようにしたわれているという、まるで御伽噺おとぎばなしのようでありながら、しかし妙に、そして気になるほど具体的な話。その王の髪は太陽のように輝き、動物たちさえも彼に懐くという。

雪華は、その「太陽」という、あまりにも懐かしく、そして胸を締め付ける名を聞くたびに、心の奥深く、凍てついていたはずの一点が、微かに、しかし確かに、熱くうずくのを感じた。だが、確かな情報はあまりにも少なく、そしてあまりにも遠すぎる、現実離れした話であり、今はただの、根拠のない与太話よたばなしとして、無理やり聞き流すしかなかった。しかし、その噂は、彼女の、常に張り詰めている心の片隅に、まるで誰かがそっと置いた、小さな、しかし決して消えることのない、温かい種火のように、静かに、そして確かに残り続けた。氷月は、そんな雪華の微かな表情の変化を見逃さなかったが、何も言わずに、南方の情報を集めるよう密かに雪兎に指示を出していた。

(もし、万が一……本当に、あの、私の知る大地だったら……そんな奇跡が、あるはずがない。でも……もし……。あの優しさ、あの明るさ、そして動物に好かれるところ…あまりにも、彼に似すぎている…)

その、あり得ないはずの考えが、ふとした瞬間に頭をよぎるたび、彼女の胸は、甘い期待と、それが打ち砕かれることへの恐ろしい不安で、張り裂けそうになるのだった。

大地との、いつか必ず果たされると信じる再会という、彼女の魂の根幹を成す個人的な、しかし何よりも強く、そして切実な願いと、この、戦乱に明け暮れる乱世を平定し、全ての民に、真の安寧あんねいと、心からの笑顔をもたらすという、指導者としての公的な、そしてあまりにも壮大な使命感が、雪華の中で、もはや分かちがたく結びつき、より一層強く、そして明確な、彼女を未来へと突き動かす原動力としての形を取り始めていた。

北の、全てを凍てつかせる雪原で鍛え上げられた、美しくも獰猛どうもうな若き狼姫は、ついに、広大無辺な中原という、巨大な、そして血に飢えた獣たちが跋扈ばっこする狩場へと、その鋭く研ぎ澄まされた牙を、そしてその類まれな、誰も予測できない知略を、静かに、しかし確かな覚悟をもって向けようとしていた。

彼女の、そして彼の、壮大な物語は、まだ、ほんの始まったばかりなのだ。その先に待ち受ける運命が、どれほど過酷で、そしてどれほど輝かしいものであろうとも。

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