第15話:改革の狼煙、雪狼の胎動と旧体制の抵抗
第15話:改革の狼煙、雪狼の胎動と旧体制の抵抗
氷月という、その冷徹なまでに鋭敏な知性と、何ものにも揺るがぬ鋼の意志を持つ絶対的な信頼を置ける同志、そして何よりも、この複雑怪奇な世界を共に歩むための卓越した知恵を持つ軍師を得た雪華の、これまで不安と孤独に揺れていた瞳には、もはや以前のような迷いの色はなく、まるで闇夜を切り裂く北極星のような、確固たる決意と、未来への、そして自分自身への揺るぎない希望の光が、強く、そして鮮やかに宿っていた。二人の魂は、あの吹雪の夜の誓いによって、分かちがたく結ばれていた。
彼女たちは、まず、この閉ざされた部族の、まるで長年手入れされずに放置された古い家のような現状を、正確に、そして一切の感傷を排して客観的に把握するため、膨大な、そして地道な調査を開始した。それは、各集落の食糧の備蓄状況――どの程度の量が、どのような状態で、どれくらいの期間保存されているのか。武器の保有数と、その質――槍や弓矢は十分に足りているか、刃こぼれや破損はないか、すぐに実戦で使用できる状態にあるのか。そして、各集落の正確な人員構成や、年齢別の労働力、さらには、部族内に複雑に張り巡らされた、目には見えない派閥関係や、長年にわたる個人的な恩讐、人間関係といった、デリケートで、しかし極めて重要な情報に至るまで、まるで緻密な刺繍を施すかのように、詳細に、そして根気強く調査し、分析した。氷月はその卓越した記憶力と分析力で、雪華が提示する調査項目を瞬時に理解し、効率的な情報収集方法を考案した。
その結果、浮かび上がってきたのは、雪華が漠然と危惧していた以上に、この部族が抱える深刻で、そして根深い問題点の数々だった。それは、個人の勇猛さにのみ頼り、獲物の生態や季節の変化を無視した非効率な狩猟方法と、収穫した獲物を適切に処理・保存する技術の致命的な欠如による、毎年のように繰り返される慢性的な食糧不足。粗末で、すぐに使い物にならなくなる武器と、場当たり的で、何の戦略もない未熟な戦術による、近隣部族との争いにおける低い戦闘能力と、それに伴う無用な犠牲。そして、何よりも、目に見えない変化を病的なまでに恐れ、ただひたすらに古い慣習にしがみつき、自らの既得権益を守ることだけに汲々とする、一部の保守的な長老たちの、まるで分厚い氷壁のような頑なな気風――それらが、改めて、そして容赦なく、二人の目の前に、否定しようのない事実として突きつけられた。
雪華と氷月は、まず、民の生死に直結する、最も緊急性の高い食糧問題の解決に、全力を挙げて着手することを決断した。
雪華は、前世の、今や朧げになりつつある記憶の中から、天文部の部室にあったサバイバル技術の本や、文化祭で調べた古代文明の食生活に関する資料を思い出し、燻製や塩漬け、そして天日による乾燥といった、食糧を腐敗から守り、長期間保存するための具体的な手順と、それぞれの方法が持つ利点、そしてその絶大な効果を、氷月が用意した羊皮紙に図解なども交えながら、詳細に、そして熱意を込めて提案した。彼女は、この世界の塩の入手の困難さや、気候の違いを考慮し、例えば燻製であれば、どのような木材を使えば保存性が高まるか、乾燥であれば、どのような形状に肉を加工すれば効率が良いかなど、具体的な応用方法まで言及した。
一方、氷月は、その卓越した交渉術と人間観察眼を駆使し、部族の古老たちの中から、比較的柔軟な思考を持ち、かつ部族内で一定の発言力と影響力を持つ人物を選び出し、一人一人と粘り強く対話を重ねた。雪華の提案がいかに画期的であり、それが部族にもたらすであろう具体的な利点(例えば、厳しい冬の間の飢餓の劇的な軽減、安定した食糧供給による乳幼児死亡率の低下と、それに伴う将来的な人口増加の可能性、さらには余剰食糧による他部族との交易の可能性など)を、彼らのプライドを傷つけないように細心の注意を払いながら、根気強く、そして論理的に、時には感情にも訴えかけながら説いて回った。
最初は「祖先代々受け継がれてきた、神聖なるやり方を変えるなどとんでもない」「異邦の娘の浅知恵に惑わされるわけにはいかぬ」と、まるで聞く耳を持たないかのように頑なに拒否していた古老たちも、氷月の、相手の心理を巧みに読み解き、核心を突く巧みな説明と、何よりも、雪華が実際に、限られた材料と道具を駆使して少量試作して見せた、驚くほど風味豊かで、そして明らかに長持ちする保存食の、その圧倒的な有効性を目の当たりにし、少しずつではあるが、その重い口を開き、彼女たちの言葉に真剣に耳を傾けるようになった。特に、保存食を試食した長老の一人が「これは…確かに、これまでの干し肉とは比べ物にならぬほど日持ちしそうだ…」と呟いたことが、他の長老たちの態度を軟化させるきっかけとなった。
それは、分厚い氷が、春の陽光を受けてわずかに溶け始めるような、小さな、しかし確かな変化の兆しだった。
同時に、雪華は、部族の生活のあらゆる側面に影響を与える、鉄器の改良にも精力的に取り組んだ。部族には、古くからその技を伝承する鍛冶師が数名いたが、その技術は、残念ながら極めて原始的なものであり、作られる鉄器は不純物が多く、脆く、狩りの最中にすぐに刃こぼれしたり、農作業中に簡単に折れたりすることも決して珍しくはなかった。それは、貴重な鉄資源の浪費であると同時に、民の命を危険に晒す原因ともなっていた。
雪華は、前世の記憶――天文部の部室にあった科学技術史の本で読んだ、古代の製鉄技術の変遷や、文化祭の小道具作りの際に、大地が様々な素材の特性について熱心に語っていたこと――を頼りに、より高温で、そして効率的に鉄を精錬するための、粘土と石で作る新しい炉の構造の具体的な改善点(例えば、より多くの空気を送り込むための、足踏み式の大きなふいごの導入や、炉壁の材質の変更による耐熱性の向上)、良質な木炭を効率的に、そして無駄なく使う方法、さらに、鍛造の際の、鉄の性質を最大限に引き出すための適切な温度管理の重要性などを、時には自ら、顔や手を煤で真っ黒にしながら、炎天下で汗だくになり、試行錯誤を、まさに寝食を忘れて繰り返しながら、最初は半信半疑だった鍛冶師たちに、その情熱と知識をもって根気強く伝授した。彼女は、鍛冶師たちの長年の経験と勘を尊重しつつ、そこに前世の知識の「なぜそうなるのか」という理論を加えることで、彼らの技術を新たな段階へと引き上げようとした。
数週間後、彼らの努力は実を結び、従来のものとは比較にならないほど硬く、鋭く、そして美しい輝きを放つ、まるで生きているかのような鉄製の槍先や矢じり、そして、これまで石器や木器に頼っていた農作業の効率を格段に向上させる、頑丈な鍬や鋤といった新しい農具が、次々と完成した。
これらの、雪華の知識と鍛冶師たちの技術が融合して生み出された改良された鉄器は、狩猟の成功率を劇的に高め、農作業の負担を大幅に軽減し、民衆の日常生活に、直接的で、そして誰の目にも明らかな恩恵をもたらし始めた。その結果、雪華への信頼と、彼女がもたらすであろう未来への期待は、まるで静かに燃え広がる野火のように、徐々に、しかし確実に高まっていった。
これらの小さな、しかし部族の未来にとっては極めて大きな意味を持つ確実な成功は、しかし、皮肉なことに、叔父のガルダをはじめとする、雪華の革新的な改革に真っ向から反対する保守勢力の、彼女に対する警戒心と、剥き出しの反感を、さらに、そして危険なほどに強める結果となった。
彼らは、雪華の、常識にとらわれない行動や、彼女がもたらす変化を「祖先の偉大な知恵をないがしろにし、神々の怒りを買い、部族に計り知れない災いをもたらす、危険極まりない魔女の試み」「あの娘は、異界から来た悪しき魂の持ち主で、我らの清浄なる部族を、その邪悪な知識で惑わし、破滅させようとしているのだ!」と、集会の度に、あるいは人々の間で、声高に、そして執拗に非難し、雪華と、彼女の右腕として働く氷月を、部族の中で孤立させ、その影響力を徹底的に削ごうと、様々な卑劣な妨害工作や、根も葉もない悪質な噂を、まるで毒を撒き散らすかのように流し始めた。ガルダは、雪華の成功が自身の権力基盤を脅かすことを恐れ、長老たちに「あの娘の知恵は、我々の理解を超える。それは、我々を操るための罠かもしれん」と囁き、不信感を煽った。
雪華は、彼ら、変化を拒む古い勢力との、血を流すような正面からの衝突は、もはや避けられないと、心の奥底では覚悟しつつも、今はただ、民の生活を少しでも良くするという、具体的で、そして誰もが実感できる実績を、一つ一つ、焦らずに着実に積み重ね、民衆からの、より広範で、そして揺るぎない信頼と支持を勝ち取っていくしかないのだと、その固い決意を、胸の奥で新たにした。焦りは禁物だ、と彼女は自分に言い聞かせた。
氷月もまた、その怜悧な瞳で、常に冷静に状況を分析し、ガルダたちの動きを正確に予測しながら、次なる一手として、雪華の指導力を、最も効果的かつ劇的に部族内外に示すことができる、そして何よりも、彼女自身の身を守るための盾となる、彼女直属の、少数精鋭で、しかし圧倒的な戦闘能力を持つ私兵集団の創設――それは、後に、その勇猛さと規律によって、雪原にその名を轟かせることになる「雪狼兵」となるものの、その最初の、まだか弱い、しかし力強い胎動――を、まるで機が熟したのを見計らったかのように、満を持して、雪華に提言するのだった。
「雪華様、今こそ、我ら自身の牙を研ぐ時です。言葉だけでは理解できぬ者たちには、力をもって我らの意志を示す必要がありましょう。それは、守るための力です」と、氷月は静かに、しかしその瞳には確かな闘志を宿らせて言った。
北の、どこまでも続く凍てついた雪原に、長年続いてきた古い体制を打ち破り、新たな、そして希望に満ちた時代を告げる変革の狼煙が、今、静かに、しかし確実に、そして力強く上がろうとしていた。その、まだ小さく、そして頼りない炎は、しかし、やがて中原全土を覆い尽くし、世界の歴史を大きく塗り替えることになる、巨大な燎原の火の、ほんの始まりに過ぎなかったのかもしれない。雪華と氷月、二人の孤独な魂が灯した変革の炎は、今、まさに燃え上がろうとしていた。