ダジャレ成分摂取用小話 〜尾塚一駿のお使い編〜
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ダジャレを重視した文章となっています。
1.尾塚一駿、お使いする。
「さあ、今日も安全に帰宅を遂行しよう!」
とある中学校の校門付近にて、正当だがあまり耳にしない宣言がなされた。声の主は尾塚一駿という名の男子生徒である。
よく言えば品行方正、悪く言えば度が過ぎたマイペースとも言える彼であるが、更に大きな特徴を備えている。それは、両親との関係が非常に良好であること。解釈は文字の通りで、彼は親愛恩愛敬愛といった良心を、両親に対し深く抱いているのだ。
さて、そんな尾塚が先の宣言の通りに帰宅しているところ、突如彼の携帯電話が震え出した。
「何用だろうか?いや何用であろうと、携帯からの伝達事項は確認せざるを得ない……」
尾塚は手際よく携帯電話を取り出し、不手際なく応対を開始する。
「もしもし、尾塚です!」
「一駿ね?母さんよ?」
「母上!?一駿です!何事でしょうか?」
「あのね、一駿にお願いしたいことがあるのよ」
「自分にできることであれば、何事であっても尽力いたします!」
「よかった。それじゃあ、お使いを頼まれてもらえないかしら?」
「お使い?」
「……今日が父さんの誕生日なのは知っているでしょう?」
「もちろんですとも」
「だから、あの人が大好きなトマト・ファルシを作ってお祝いしようと思ったのだけれど、材料が足りなくて……」
「なるほど、それで自分にお使いが任される運びとなったわけですね」
尾塚には、母からの依頼を断る理由も発想も根底より無い。ましてや、今回のように両親ともに関わる要請とあらば尚更である。
「確かに承りましたよ母上!この尾塚一駿、必ずやこのお使いを果たしてみせましょう!」
「ありがとう。買うべきものは、まとめてメールで送るから、それを見て買ってきてね」
「はい!それでは失礼いたします」
尾塚が電話を切ると同時に、母からのメールが届く。内容は先刻の話の通り、買うべき商品名の一覧である。トマトやひき肉といった主役食材から、副菜になるであろう缶詰やジャガイモなど、8種程の品々の購入を要求されているようだ。
依頼承諾、目的物&目的地の提示も済めば、後はそれをこなすのみである。両親のからの命を受け、尾塚の決意も昂ぶり高まる。
「これらを購入すれば良いのですね母上!お祝いを楽しみにお待ちくださいね父上!」
上を向き両親への今再びの宣言を終えた彼は、スーパーマーケットの方向へと駆けていった。尾塚は果たして、お使いを果たすことができるのか……。
2.のどかな店で、喉から手が出て。
「『スーパーマーケット・ノドカ』……とうとう到着したようだ」
駆け出してから約10分ほど経過したあたりで、尾塚は目的地たるスーパーマーケットにたどり着いたようだ。その店名は『ノドカ』、”喉から手が出るほど欲しい商品が並ぶ店・『ノドカ』”という、小憎らしいキャッチコピーで知られている小売店である。
「よし、ここからが任と決闘の場……、心して取りかからなければ……」
尾塚は外側の自動ドアを通過し、積まれた買い物カゴに手を伸ばす。店内から漏れ出る薄い果実の香りと、淡い橙色の照明が、彼の意識を前に向ける。ここは真にスーパーマーケットなのだ。
息を整え、姿勢を整え、買い物カゴを持つ手を整え、買い物メモを表示する携帯電話を持つ手も整えと、実に4箇所を整え、万全の体勢でお使いに臨む。
「たのもう!スーパーマーケット・ノドカさん!」
いよいよ尾塚の入店である。
決意みなぎる彼とは対極的に、店内はリラックスしてお買い物を楽しんでいただくための心使いであふれている。目玉商品を示したポップや、軽快な背景音楽の前には、警戒心など吹き飛んでしまうだろう。それを体現するかのように、利用者は来店目的やつまらぬことなど、様々なことを呟きながら、各々の買い物にいそしんでいる。
「ハムを買えと言われたら、歯向かえないな。ハム買うのに、歯向かえない……」
「あら、ハーブ類の品揃えが良くなってるわ。香辛料も更新してるのね」
「肝臓をいたわるためとはいえ、キュウリ料理だけだと飽きが来るな。休肝ばかりじゃ逆に疲れちまう」
「切り身パックでこの量なら、消費するカツオの分割を考えないと……」
……実に賑やかな店内である。
さて、尾塚はというと……、
「店内の各コーナーの配置と、買うべきもの達を照らし合わせると……、まずは玉ねぎの入手に尽力せねば!」
メモに従い商品をカゴに入れるべく、店内を右へ左へとせわしなく動き回っていた。平日の夕方ということもあり、そこそこの来客数と人口密度であることを鑑みると、今日は器用に動けているのではないだろうか。お目当てのものは何処かとカートを動かす者や、こいつじゃダメだと品定めしている者、キョロキョロとした挙動の者などとの接触に注意しつつ、野菜コーナーは玉ねぎの棚へとたどり着いた。位置と速度を鑑みると、労われてもおかしくはない。
「よし、玉ねぎだ。まずは1つ達成しましたよ母上!」
尾塚の買い物カゴに、玉ねぎが追加された。自分は新鮮で良質なものであると、銅のように鮮やかな茶色の皮がアピールしている。
「この調子で確保してみせよう!さぁ次はチーズ&バターを探し出さなければ!」
1つの目的商品に手が届いたことで、彼の精神は勢いづいた。このまま次なる商品を、更に次なる商品をと、メモに従い獲物を求め、狩人の如き目つきで乳製品コーナーへと移動する。
もちろんと言うべきか、この乳製品コーナーもそこそこの賑わいを見せているようだ。
「えらく遠いわね、乳製品コーナー……」
「豆乳をカゴへ投入しないと!」
「このチーズは新しいやつか……NEW製品だな。」
若干の洒落を感じさせる呟きは、嫌という間もなく尾塚の耳にもしっかり突入する。
「むむ……?先ほどの利用者さんから”チーズ”という声が……。つまり付近に目的のチーズ&バターがあるということ!」
バタバタとしながらも、尾塚は呟きを頼りに商品を探し出す。目を凝らし、更に皿のようにして陳列棚を確認すると、それらはいともた易く見つけることができた。賞味期限等の細かな確認を素早く終え、玉ねぎが待機するカゴに手早く放り込む。
「やりましたよ。チーズ&バターを入手しましたよ母上!次なる商品も必ずや!」
……簡単に発見したにしては、いささか大げさな感嘆の声である。
しかしそれでも、お使いが進展したということは、紛れもない事実。重みの増した買い物カゴを揺らしつつ、尾塚は次の次の更に次の商品を目指す。
「残る5種の商品が自分を待っている!そして母上と父上も自分を待っている!」
今再び買い物メモを確認し、脇目も振らず任を果たさんと歩むのだ。商品の1つ目も2つ目も3つ目も、メモに基づき手に入れた。旨い魚の缶詰も、トマトという肝心要も、きっと絶対に間違いなく、達成できるに違いない……。
3.店舗の中で、テンポも良くて。
そんなこんなでお使いを遂行する尾塚の勢いは衰えず、止まろうとする素振りは徹底して感じさせない。その熱い勢いは凄まじく、じつに迅速でそしてアグレッシブであった。
彼の快速的な行動及び言動は、ノドカの利用者やら店員やらとの声と混じりあい、店舗にて小憎らしいテンポを刻んでいたのだ。事実、ここより以下4点続く商品の確保は、矢継ぎ早と表現してしかるべきだろう。
まずはイワシの缶詰の入手から。
「みなさーん、缶詰コーナーはこちらになりまーす」
「店員さんがいるとは、なんとこれはわかりやすい!あそこからイワシの缶詰を入手だ!I can get it!!」
次いでジャガイモの入手を。
「良いなァ。この店のイモは、良いものばかりだなァ」
「このお客さんの言う通りだ。良いものかつ、欲しいものであるジャガイモを入手!」
その次はオリーブオイル。
「知ってる?オリーブオイルって、アンチエイジングに効果抜群なのよ」
「老いる老いるのに対抗できるのね!」
「なんと!オリーブオイルと同時に、耳よりな情報まで入手できた!」
そしてオリーブオイルの隣、……即ち調味料コーナーにあった胡椒を。
「先輩!倉庫からの連絡っス。ソイソースの入荷が遅いそうっス!」
「ソイソースじゃない、醤油だ!小洒落た呼称は嫌いなんだ!」
「店員さんが嫌う呼称もある一方、母上が求める胡椒もあると。よし、入手完了だ!」
……というように、騒がしくもハイテンポに商品を集めているうちに、残すものはあと2点となった。
「あとはトマトとひき肉の2つ、どちらも最重要食材だ。よし、まずはひき肉をば!精肉コーナーへ急げ自分よ!」
言うが早いか、滑るように素早く、しかし安全面も第一に考えながら尾塚は進む。少し移動したあたりで、赤く鮮やかなパック入りの肉と、試食台が彼を出迎えた。
「……おや、あれは試食コーナーと担当店員……?」
「今日のおすすめ総菜は、店内調理の特性チョリソー!お口とお肉、新たな出会いをミート・ユー!」
元気が良く朗らかな店員におすすめされては、誰しも断ることはできまい。もちろん尾塚もそうである。
「それでは1つ、いただきます。……これは!」
「いかがですか?」
「……良い肉とは、言いにくい……」
正直ゆえに少々ばつの悪い表情を浮かべつつ、そしてカゴにそっとひき肉を加えつつ、尾塚は精肉コーナーを後にした。
「……憎たらしい発言は申し訳なかったな……」
我が身を顧みつつ一言呟く。その一瞬だけ、彼の歩みは僅かに減速するも、すぐさま元の速度を取り戻す。
「いや反省し過ぎている暇は無い。次が最後の食材・トマトだ。これが無くては母上は料理を作れず、父上の誕生日も祝えない。思い思いの重い想いを背負っているのだ。気を引き締めて入手に臨もう!」
この言葉の通り、トマトという存在は尾塚の母特製のトマト・ファルシの主格食材である。また家族愛の強い尾塚にとっても、母の任と父の祝いのためと、どうしても動詞ても助動詞ても必要な、mustで have toな入手対象なのだ。
トマトという最終目標に対峙するべく、尾塚はジャガイモ入手時以来今再びとなる、野菜コーナーの方向に強い眼差しを向けていた……。
4.トマトのセール、皆競る、焦る。
「いざ、最後の決戦だ……!」
尾塚の見つめる先には、野菜コーナー特有の棚が、そして棚に積まれた大量のトマトの山がある。いやそれだけではない。そのトマト山をしきりに確認するノドカ店員2名に加え、棚にはポップが取り付けられている。その内容は実にシンプルで、【在庫一掃!トマトはお1人様につき3つ限りとなります!】というものだ。これらは何を意味するのか、大方予想が付くとは思うが、答えは店員の口から発せられた。
「只今より、本日の目玉商品・大玉トマトの割引販売を、THE・セールを実施いたします!」
「お1人様3つまで!甘い・大きい・味も良い!と、3拍子揃ったこの見事なトマトを、ぜひ皆さま、奮ってお買い求めください!」
誰しもが頭によぎった通り、これからトマトのセールが行われるのだ。このことは尾塚もしっかりと把握していた。母からのメールに、きちんと記されていたゆえだ。
良く通る店員の声のおかげか、はたまた事前の宣伝広告の効果か、トマトの周りには大勢の客が集まり始めた。事態に対応すべく更なる店員が追加されたことからも、ノドカ側の想定よりも多いであろうことが伺える。
野菜コーナー付近を歩いていた者も、わりかし遠くの調味料コーナーから押しかけた者も、入店直後の者も、皆が皆一様にトマト目当てに押し掛ける。むろん、その人の波の構成要素には、尾塚も含まれている。腕と脚を取られながら進むも、トマトまではまだ遠い。
「これ程の人数だ。個数制限があるとはいえ、トマトの山は消え失せてしまうだろう。そうとあってはもたついている暇は無い。人海の奥地へと自分も続かねば、南無三っ!」
尾塚は今一度自身を奮い立たせ、トマトめがけて人の波をかき分ける。押し合いへし合いせめぎ合い、物理的に息苦しく重苦しい深部へと突入したのだ。直立姿勢を維持することさえ難しい。
人海の深海から、海面越しに見える赤い山に、数分前よりも低くなったその山に、尾塚は思い切り手を伸ばす。他の客よりも一回り細く短く小さい腕ではあるが、確実に狙いを定め、最短距離たる直線でトマトの山へと突っ込んだ。その様はまるで、光の弓矢・ボウガン・クロスボウの如し。弓矢はトマトを貫き……、いやいくまで比喩表現なので本当のところはトマトをしっかりと掴み、買い物カゴに放り込んだ。1回でも大変であるのに、これを3回も繰り返す。トマトを3つ入手したころには、彼の腕には少しばかりのアザができていた。しかし、痛みなどどうでもよいものだ。
「やった、やったぞ、やったんだ!トマトを入手したんだ!」
尾塚は喜びの声を上げた。
そのまま体の向きを変え、トマト山及び人の波から離れる。どうやら棚から完全に無くなってしまったようで、トマトの品切れに戸惑う声も背中から聞こえてくる。人々の声はまだ届くものの、野菜コーナーの端なら少しばかりは安全であろう。
買い物カゴを床に置き、その隣に正座する。そして中身を今一度ゆっくりと確認しつつ、尾塚は歓喜に震えていた。それも当然のことであろう。彼にとって何を置いても最重要の、お使いの達成が目前なのだから。
「これで買うべき商品が全てカゴの中に揃った!母上、任は果たせそうです!父上、お誕生日をお祝いできます!」
さらに尾塚は両親への感極まる報告を思わず叫んだ。それも天井に。
息を整え、それらを含めて感情を十分に噛みしめたとあらば、残す工程は商品の購入のみである。
「いざお使いに決着を!……!?あれは一体……?」
お会計のために立ち上がろうとした時、尾塚は何かがこちらに迫っていることに気が付いた。しゃがみかけのような姿勢で気配の方向を向くと、走る男性客と彼を追う店員数名の姿があり、彼らの怒号が鼓膜に突き刺さる。
「待て!」
「待つんだ!」
「止まれ万引き犯!」
「警察を呼んだぞ!諦めろ!」
「俺は万引き犯だが、絶対に退かないぞ!割らずに駆けて逃げてやる!」
聞こえてくる言葉の内容から、尾塚は何が起きたのかを一瞬で理解した。同時に、騒動に気づいた他の利用者らも騒ぎ始める。
しかし尾塚にとって最も危惧すべき事柄は、万引き犯の接近である。なぜなら奴の動線の先に、尾塚と買い物カゴが位置しているためだ。最悪の事態を想定した尾塚の額に、冷や汗が滴る。
「万引き犯が、こちらに向かってきている!?衝突は避けてく……」
「そこの中坊め、邪魔だ!」
万引き犯は尾塚を押しのけ、大きく両脚を動かす。
逃げる事に必死な者は、足元を気にはしない。早く走るために振り上げられた右脚は、無情にも尾塚の買い物カゴの中に落とされる。
グシュッ!グシャリ!
「ああっ!!」
一瞬の出来事であった。
酷い音を立て、トマトが潰されたのだ。事態を理解した尾塚は、膝から崩れ落ちた。
「……なんてことだ……。母上、父上、申し訳ありません……」
彼の口からこぼれた言葉は、悲劇への嘆きでもなく、暴漢への罵詈雑言でもなく、両親への謝罪であった。
トマトが欠けてはお使いを果たすことができない、即ち、母からの信頼と、父への親愛に応えることができないということである。今日の尾塚にとっての全てを失ったのだ。言い知れぬ絶念と絶望、憫然で忸怩たる思いが、彼の目から涙を流させる。
「……」
尾塚は呆然とする他なかった。周りではノドカ店員や利用客が騒いでいるがどうでもよい。立ち上がる気力も失われていたのだ。
唯一できることというならば、空もとい天井に両親の顔を思い浮かべることくらいだ。
「母上、父上……」
「……一駿、よく聞いて」
「!?」
あまりにも鮮明に思い浮かべられたためか、尾塚の両親への思いが強いのか、彼にしか見えない空中の両親が優しく語り始めた。
「母さんはね、あなたが私たちのために頑張ってくれた、というだけでも十分に嬉しいのよ」
「父さんも同意見だ。お使いが上手くいかないことくらい、なんてこともない」
「しかし、それでは……」
優しい言葉を受け取ろうとも、尾塚の中には割り切れずやり切れぬ気持ちが残る。
「お使い一つで、こんなに真摯になってくれるなんて、とっても一駿らしいわね」
「いや、真摯だからこそ、何か決着をつけたいんだろ、一駿?」
「そ、その通りです、母上、父上!……自分の考えなど、とうにお見通しという訳でしたか」
尾塚は目を見開いた。
「それなら、あなたが望むように、お使いを果たせばいいと思うわ」
「一駿、思うようにやるんだ。ただし怪我のないようにな」
優しさから温かさにグラデーションした言葉を残し、空中の空想両親は消えた。
そして尾塚は涙を拭い、決意の一言を宣言する。
「これより、トマトの敵討ちに臨む!万引き犯よ、覚悟したまえ!」
悪名高き不届き者には、一言言ってやらねば気が済まないのだ。そんな事をしても、お使い自体の結果が良くならないというのは、尾塚が最も理解している。しかし、己がしたいようにする事への許可は得た。しかも両親からのお墨付きである。
必須食材を潰され、両親への愛も潰された少年の瞳には、炎が宿っていた。
5.決戦再開、トマトに再会。
尾塚は従来の調子を取り戻したようだ。呆然と涙を流していた時が信じられない程である。
「文句を言ってやるためには、奴を見つけなければなるまい」
頭を捻って考える。上下左右と動かして、再びの下を向いた際に、ひとつの閃きが産まれた。
「そうだ、奴はトマトを踏んだのだ。逃走途中ならば靴を拭く間も無い、……つまり真っ赤な足跡が残っているはず!それを追えば……!」
尾塚の考えの通り、床には真っ赤な靴の跡がしっかりと残されていた。ご丁寧に出入り口方向に続いており、万引き犯のものであることを強く主張している。
彼はそれを頼りに走り出した。無論、買い物カゴはしっかりと持っている。
店内はまだ騒がしく、万引き犯逃走事件は終了していない。店員の慌てる声、子供利用客の泣く声などが、走る尾塚の内耳にしばしば侵入し、その度に彼の精神に憎悪的な刺激を蓄積させる。そしてその刺激は、尾塚に更なる加速を与えた。
「自分のみならず、ノドカさんのみならず、利用者さんのみならず、多大なる迷惑をかけ続けるとは、なんという奴なんだ!」
トマトが残した足跡は、ちょうど出入り口で消えてしまっていた。
しかし、尾塚が見失う事はなかった。慌て騒ぐ両者たちの波を掻き分け、いち早く外に出ようとする者が明確に存在していたためだ。いやに黒い服装にマスク姿の男、そいつが万引き犯に違いない。
そう踏んだ尾塚は、一つ賭けに出た。大きく息を吸い込む。
「見つけたぞ万引き犯!店舗からは逃がさない!」
「もう追いつかれたのか?それとも、もう警察が来たのか?」
ハッタリに近い発見報告型絶叫が響くことにより、一際に驚いた人物が1人。そいつはやはり、先程に尾塚が目をつけたあの黒服マスク姿の男であった。
文句を言ってやる対象が確定したのだ。尾塚は奴に狙いを定め、人の波を器用に避けつつ迫る。
「貴様だな?止まれ万引き犯!今度こそ最終決戦だ!」
「くそぅ!」
追う者と追われる者、共に自動ドアを抜け外へと飛び出す。
しかしここで、尾塚の脚はピタリと止まる。これ以上店舗から離れる事ができないためだ。彼の手に持つは買い物カゴ、その中身は会計を済ませていない多数の商品、つまりはこのまま万引き犯を追うと、尾塚もまた万引き窃盗犯となってしまうのだ。これでは本末転倒である。
(決着すらも、果たせないというのか……?)
尾塚は歯軋りをしながら佇ずむ。奴を追う目線は次第に下降し、買い物カゴのあたりで止まった。
涙をのんで会計に戻ろうという考えもよぎったその時、彼の脳神経回路が燦然と輝いた。買い物カゴの中で、何よりも敵討ちを求むる必須食材が、潰されようとも真っ赤に存在を示していたのだ。
「……せめて一矢は報いよう!奴を追う他の誰かしらの、僅かでも助力になれば!」
改めて前を向き直り、視界を確保する。万引き犯の後ろ姿はすぐにわかった。奴はノドカ店舗敷地の境界線付近を走っているが、ここより絶望的に離れている訳ではない。
尾塚はカゴから、赤い液体滴る小ぶりで不恰好な球体を取り出す。無論それは、先程は潰されたトマトだ。
もう彼の考えはお分かりだろう。この潰れトマトをカラーボールとして万引き犯にぶつけてやろうという寸法なのだ。
トマトを構え、万引き犯に近づく。これは真の最終決戦である。
「母上、父上……、もはや食べられぬとはいえ、食材をぞんざいに扱う無礼をお許しください!」
「なっ!?あの中坊、まだ追ってやがったのか!?」
「しかと耳に入れよ、この万引き犯め!人の愛を踏み潰しておきながら、逃げおおせるとは思うまいな!」
「何だ!?」
「くらえっ!」
尾塚は渾身の力を込めて腕を振るった。
世のメジャーリーガーですら裸足で逃げ出してしまうような投擲だ。驚くべき速度と重みを含んだ、覚悟と信念の一撃である。
「うっ!」
ベチャリと大きな音を立て、その付近には赤い液体が飛散する。
そう、潰れトマトは万引き犯の脇腹に見事命中したのだ。
「これは!?」
「貴様が潰したトマトだ!」
奴の黒ずくめの衣服には、リコピン由来の真っ赤な果汁がよく目立つ。玉こそ違えど、カラーボールをぶち当てられた姿そのもの。何処へ行き何をしようと、犯人ではないと言い逃れはできないであろう。
それは万引き犯も理解したようだ。
破れかぶれとなった奴は、直上的に尾塚に襲いかかる。
しかし尾塚は、逃げず避けず騒がす泣かず、毅然とした態度でい続けた。
「この中坊め、なんて事しやがる!逃げられなくなったじゃねぇか!」
「人様に迷惑をかけ、愛を潰したのだ!貴様は当然に贖わなければなるまい!」
「このっ!」
万引き犯が拳を構えた、その時である。
「止めろ!」
「止まれ!」
「腕をおろせ!」
「捕まえたぞ!」
「お前ら、放せ!」
ノドカの店員らが、奴の身体を押さえた。数人がかりで押さえつけられたとあらば、どんな暴漢でも身動きは取れない。
とっさの出来事を前に、尾塚は数歩下がって安全を確保し、息を整える。
万引き犯の暴れる音と唸り声、そして店員たちの少しの怒号が響く中で、また別の声に彼は気がついた。
「万引き犯の確保に協力してくださり、心よりの感謝を申し上げます!」
「あなたは……?」
「私はノドカの店長です。あなたの勇気ある行動で、この店も利用者も救われました!」
尾塚の前に現れた人物は、このノドカの店長その人であった。胸のネームプレートにも、その事はしっかりと明記されている。
「店長さん、それは大袈裟です。自分は私怨私欲で、奴を追っただけです。感謝など……」
「しかし、あなたのお陰で、救われた人がいるのは事実です。現に、私もその1人ですから」
「そう言って頂けると……」
「そうだ、大きな恩義には、態度で示さなければなりません!このノドカにできる事であれば、何でもご協力させてください!」
「それならば、1つお願いがあります」
尾塚の願いは決まっていた。
(これで、お使いを果たす事ができます。母上、父上、待っていてください!)
***
そして時刻は午後8時、場所は尾塚の自宅へと移る。この場にいるのは、尾塚と彼の両親の3名だ。
尾塚の父の誕生日とあって、食卓は食器まで小洒落ている程に豪華だ。しかし何より注目すべきは、そこにトマト・ファルシが並んでいることだろう。
トマトは失われた筈なのに、一体全体どういうことか、答えは実に単純である。
そう、尾塚はノドカの店長に、新たなトマトの入手をお願いしたのだ。これにより、母から頼まれた全ての物を入手し、無事お使いを果たせたというわけである。
さて、尾塚家の3名も皆着席した模様だ。
「父上、お誕生日、おめでとうございます!」
「おめでとう、あなた」
「母さん、一駿、ありがとう。物凄く嬉しいよ。誕生日を、好物のトマト・ファルシでお祝いしてもらえて」
食卓が、いや空間が、笑顔で溢れている。
「喜んでもらえて、私も嬉しいわ。そうだ、もう一回トマト・ファルシを作るのもいいわね」
「妙案ですね、母上」
「一駿にはまた、お使いを頼んでも良いかしら?」
「しかし母上、ノドカさんでは、今日でトマトの在庫が無くなったようなのです」
「そうなの?」
「はい、ですから次のトマトのお使いは、ちょっと待とうと思います!」
〜おしまい〜
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
楽しんでいただけたのならば幸いです。