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あの事故から、間もなく一年が経とうとしている。


もうすぐ、音弥の命日がやってくるのだ。



「この一年、本当にいろんなことがあったね」



父が淡々と言う。



「そうだね。いろいろあったね」



事故に、音弥との別れ、それから私があんなことをしでかして、入院して、記憶を失くして、引っ越しして………


私個人的でいうと、そこに大学入学、彼ら(・・)との出会い、音弥との再会、誘拐事件、音弥との二度めの別れ、ピアノ、大学中退、受験へと、忙しなく続く。


音弥がいなくなってからの一年は、目まぐるしく彩りを変える毎日の連続だった。

”いろいろ” なんて言葉では収まりきらないほどのたくさんのことが、私達家族の前に現れては、大小さまざまな影響を残していった。

その度にそれぞれが感情を揺らし、傷付いたり、傷付けたりしながら、所々に涙の痕を刻み付け、家族で時間を進めてきたのだ。

音弥のいない毎日を、積み重ねてきたのだ。



「芽衣」


ふと、父が呼んだ。



「なに?」


私は父に向きながら返事した。



「生きていてくれて、ありがとう」


父の柔らかな笑みが、まるで私を抱きしめるようにそこにあった。



「……………うん」


なんて答えたらいいのかわからず、私は静かに視線を窓越しの景色に戻してしまう。

それから


「…………雪、積もるかなあ………」


沈黙の訪れを拒むように、ぼんやりと会話の種を落とした。



「さあ………どうだろうね………」


父もぼんやりと呟いて、庭に次から次へと落ちてくる雪を追う。


そして沈黙が生まれる前に、「芽衣」ともう一度私を呼んだ。



「……なに?」


「僕はね、悲しみは、水のようなものだと思うんだ」


「水……?」


「そうだよ。水だ。いろいろ形を変えて、僕達に付き纏ってくるんだ。氷になって心を凍てつかせることもあれば、何かの拍子に解けて消えてしまったり。けれど目に見えないからといって、決してその存在が無くなってしまったわけじゃなくて、僕達を取り囲む空気の中に潜んでいるんだ。だからまた条件が揃えば今みたいに雪になるかもしれないし、水蒸気となって心の窓を曇らせるかもしれない。それが結露することだってあるだろう。いくら拭いても拭いても水滴が垂れ続けるかもしれない。でも、あっという間に乾いてしまうかもしれない。それはそのとき次第だ。けれど、決して無くなりはしない。だから、人は水と上手く付き合っていかなくちゃいけないんだろうね」



作家の父らしい、独特な言いまわしだったけれど、私は胸の奥でス―――ッと染み渡っていくのを感じた。



「じゃあ…………もし、その水滴であふれかえってしまったときは、どうしたらいいのかな………」


「そうだな…………そのときは、心に花を植えて、その花にかけてやればいいんじゃないかな。そうしたら、大きな花に育つかもしれない。今よりももっと大きくて、きれいな花にね」



そう言うと、父はまた私を見て、それこそ大輪の花のように朗らかな笑顔を見せた。


するとその直後、私達の目の前、庭の雪舞う景色の中に、小さな侵入者が現れたのだった。


学校帰りの文哉が、雪に興奮した様子で裏庭にやって来たのである。

薄っすらと、部分的に淡く積もりかけている雪を探してるうちに庭にまわっ

てきたようだ。



「おや、文哉が帰ってきたんだね」

「文哉、毎年雪が降るのを楽しみにしてるから」

「そうだね。雪だけでなく、月や花や木といった自然が好きな子だからね」


父がそう言うと、まるでこちらの話が聞こえていたかのように、文哉があの大きな木の前で立ち止まり、見上げる。

その木の下には雪が降ってこないので、気になったのだろう。


「前住んでたところはあまり自然が多くなかったから、文哉にとってはこの家に越してきてよかったんだろうね。どれ、僕も文哉を見習って初雪を味わうとしようか」



父はカーディガンのボタンをしっかりとめて、縁側の窓を開いた。


ふわりと、外気が流れ込んでくるけれど、ストーブで温まっていたおかげか、さっきほどは冷たく感じなかった。


すると、こちらに気付いた文哉がパッと顔を戻し、笑って手を振ってくる。


私と父も手を振り返し、「おかえり」「おかえり、文哉」と声をかけた。


「芽衣ちゃん、お父さん、ただいま!雪だよ!」

「そうだね。文哉の好きな雪だね」


父は答えながら庭用のサンダルを履き、縁側から庭に下りていく。


「二人とも、風邪ひかないでね」


お決まりの注意をすると「はーい!」「少しくらいなら平気だよ」と二人が返してきたので、私はそろそろと窓を閉めた。


そしてそれが合図だったように、彼ら(・・)が居間に戻ってくる。

どこからなんて言うまでもないけど、もちろん壁の中からだ。



『”悲しみは水のようなもの”、ね………素敵な言葉ね』

『ホンマやホンマや。さすが小説家やなあ。上手いこと言いはるわ』

『I think so too です。ウォーターは、always チェンジしますからね』

『悲しみも形を変えるということね。そして付き合い方次第では、お嬢ちゃん自身で変えることもできるのね、きっと。お父様、本当に素敵な言葉をくださったわね』

『ユアファーザーのノベルをサムデイ、リーディングしてみたいですね』

『そういえば、お嬢ちゃんのお父さんって、どんなお話書いてはるん?』


袴三つ編みが好奇心を爛爛とさせて訊いてくる。

確かに、小説家としか説明してなかった気もする。

別に意図して話さなかったわけでもないし、私は「ああ、それは…」とすんなり教えようとした。

けれど


『ねえ、ちょっと!』


突然、軍服マントが叫んだのだ。


「なに?」


私が軍服マントの見つめる先を見やったとき、


『あ―――――っ!!』

『オーマイガ―――――ッシュ!!』


袴三つ編みと烏帽子男も大声をあげる。


そして私は、絶句した。


なぜなら、父は、文哉の前で、あの大きな木に何かを話しかけていたのだ。


文哉は ”あっ!!” と口を開けたまま固まっており、止める間もなかったのだとわかる。



『…………あれ、ちょっとやばいわよね?』

『うん、やばいやろ』

『Oh、やばやばですね』


「でも、まだ私や文哉みたいに見える(・・・)と決まったわけじゃないわよね?」


あの大きな木に話しかけることが、見える(・・・)ようになる引き金だとしても、父がまだそうと確定したわけではない。

私が一縷の望みを口にしてみると、


『I see………。ならば、one time、トライしてみましょう』


烏帽子男が意気揚々と宣言し、窓を通り抜けて庭に出て行ってしまったのだ。


私は縁側から軍服マント、袴三つ編みとともに成り行きを見守るしかなかった。


けれど間もなく、審判が下されたのだった。




「―――――――?―――――――っっ??!!☆●$◇◎※℃@&£〒★△!!!!!!」




文哉の隣に並んだ烏帽子男に、父が腰を抜かしてしまったのだ。


そしてそれに驚いた烏帽子男が、例によって烏帽子を落とす。


烏帽子はころんと父の真横に転がって、烏帽子男はひょいっと肩をすくめて拾い上げる。


「!!!!!!!!!!!!!!!」


接近してきた烏帽子男に、父は全身を震わせて無音の雄叫びをあげた。


きっと烏帽子男は、私のときみたいに『Oh、sorry』とでも言ったのだろう。

そのあと、こちらも例によって壁の中に入って退場したものだから、父は慌てて文哉のもとに這っていき、ガバッと抱きしめた。

きょろきょろと辺りを見まわす父。

私の陰にいる軍服マントと袴三つ編みは見えてないようだけど、二人からは大きなため息が聞こえてきた。



『あの様子じゃ、だめね。あそこまで怖がる人には、アタシたちのことは教えない方がいいわ』

『怖がらせたらアカンって言われてるからなあ』

『ザッツライトです。ユアファーザーにはその方がベターでしょう』


烏帽子男がヌッと壁から戻ってくる。


「まあ、父は家族で一番の怖がりだからね………」

『あらまあ、そうだったのね。それは残念』

『 That's too badです』

『でも、しゃーないな。せやったら、うちらもお嬢ちゃんのお父さんの前には出ていかんように気をつけなあかんな。ほんで、お嬢ちゃんのお父さんは何の小説書いてるんやっけ?』


切り替えの早い袴三つ編みが再度興味津々で尋ねてきたけれど、今度は若干の言いにくさを覚えてしまう。


「ええと、それは………」

『それは?何なん?』

「それは………………ホラー、かな?」


一瞬、流れる無の時間。


そののち、


『ええええええええええっ??!!ホラーなん??!!』

『ホワイ?!ホラーの作者が、ホワイ、ゴーストを怖がるのですか?!ホワイ?!』

『おかしなこともあるものねえ。そう、ホラー作家さんなの』


一気に各々が感想を爆発させるものだから、庭にいる文哉と父にも聞こえてしまったようで。


くるっと振り返る父は顔面蒼白で、その父の脇から抜け出た音弥が、こっそり人差し指を唇に当ててこちらに訴えてくる。


し―――――――っ!!と。



どうやら聡い弟も、父には彼ら(・・)の存在は隠しておくべきと判断したようだ。


私は、これからまたより一層賑やかな毎日がはじまる予感がして、頭が痛くなるばかりだった。



でも、ふと、音弥がどこかで笑っているような気もした。


あまり感情を表に出さない音弥が、果たしてこの展開で笑うのか定かではないけれど。


そのあたりのことは、あとでピアノ室の音弥に話しかけたときに訊いてみよう。

返事は、きっとないけれど。



とにかく今は、雪が降り続く庭で腰を抜かしたままの父を立ち上がらせなければ。


私は閉めたばかりの窓をもう一度開いて、外に出たのだった。


自分の意志で、


自分の足で。



そうして踏み込んだ一歩は、しっかりと雪の上に足跡を印した。


いつか雪が解けて跡形がなくなったとしても、私が今印した自分の足跡は、私が覚えている。


たとえ見えなくなっても、私は覚えている。


ずっと。


永遠に。













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