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音弥が写真立ての後ろに隠したのは、私達が事故に遭う直前、一緒に買いに行った父の万年筆だった。


あの日、横断歩道の途中で私が落としてしまったものだ。


そのときの音は、事故の記憶を失くしていた間でさえも、私の頭の片隅にこびり付いていた気がする。


そして同じく音弥も、それが気がかりだったのだろう。

亡くなったあとも、ゴーストになってからも。



事故のあと、意識が戻った私は警察から事情を尋ねられた際、その万年筆のことを答えていた。

けれど警察の捜査では、その破片や残骸すらも発見に至らなかったのだという。

私が横断歩道の真ん中で立ち止まる原因になった万年筆だったけど、事故の直接のきっかけは運転手の不注意だと認定され、その後万年筆がどこへいったのか、誰も調べることはしなかった。

そして私も記憶を失くすことになり、その間、完全に万年筆の存在はなかったことになってしまった。


けれど、実は音弥がずっと持っていたのだ。

音弥の最後の言葉から察するに、おそらく、音弥はそれを私に渡したくてタイミングを見計らっていたのだろう。


私は写真立ての後ろにそれを見つけたとき、意外だったものの、ものすごく驚いたわけでもなかった。

なんだか、納得のできる贈り物のように感じたのだ。


ただ、音弥がその万年筆に込めた想いを読み解くのは、少し難しかった。


生きていたときの最後の思い出の品として、私に持っていてほしいのか、それとも、自分に代わって父に渡してほしいのか………


けれど、唯一その正解を導き出せる音弥はもうこの世界にはいなくて。


私は何日も何日も悩み続けた。


音弥の形見として一生大事に持っていたい。

でも、音弥と二人で一緒に選んだ贈り物なんだから、当初の予定通り父にちゃんと渡したい。


迷いに迷ったけれど、やがて、事情を知る彼ら(・・)からの言葉が背中を押してくれたのだった。



『やだお嬢ちゃん。弟さんの形見なら、他にもたくさんあるじゃない』

『せやせや。なんぼでもあるで』

『ザッツライト!So、そのペンはユアファーザーにプレゼントしましょう!』

『万年筆1本でがたがた騒ぐんじゃねえよ!』

『我はどちらでも良いと思う。其方の弟御は、どちらでも喜ぶのではないか?其方の選んだ方が、正しい答えだ。だが皆も言うように、其方の弟御は、其方に素晴らしいものを他に残していったと思う』


「それは何なんですか?」


『あら、お嬢ちゃん本当に心当たりないの?』

『お嬢ちゃん、ホンマにわからへんの?』

『Really? 』

『とんでもねえ鈍さだな』

『数多くありすぎて気付かぬというのは、ままあることだ。だが、もしひとつだけ述べるのならば、それは――――――』


『ピアノよ』

『ピアノやんか!』

『Pianoです!』

『ピアノしかねえだろうがよ』

『―――――其方のピアノだろう』



彼ら(・・)5人の総意は揺るぎなく、私は、自分の中に蘇ってきた ”弾きたい” という想いこそが何よりの音弥からの贈り物だったのだと、ようやく悟ったのだった。




「…………ああ、本当だ。本当にその通りよね。私がもう一度ピアノを弾くようになるなんて………本当、音弥のおかげよね」


みるみる私の心は満たされて、やっと、その万年筆を父に渡す決心がついた。



善は急げと、その日の夕食時に裸の状態のまま渡すと、父は少し驚きつつも「ありがとう」と喜んでくれた。


どうやら父は、事故や音弥の記憶を取り戻した私が、あの日購入したのと同じ万年筆を再度購入したと思っているようだった。

もちろん、そうではないのだけど、いくら父でも、真相を戸惑わずに受け入れるのは難しいと思う。

亡くなったはずの音弥から託されただなんて、普通は信じられないだろうし、余計な混乱を招いてしまうかもしれない。

だから私は、父の誤解をあえてそのままにしたのだ。

なんだか音弥の手柄を横取りしてしまった感はあるけれど、そこは音弥も理解してくれると信じたい。




「………きっと、音弥も喜んでると思うよ。あの万年筆を選ぶとき、真剣だったから」


記憶が戻った今、あの日の音弥も鮮やかに私の脳裏に映し出される。


事故がなければ、夜、一家団欒の時間に私と音弥と文哉の三人で父に渡していたはずだった万年筆。


もしもの世界を思い描くのは不毛だとわかっていても、ときどきは、やっぱり考えてしまう。

でもその世界では、私は今もピアノには触れることないままだったに違いなくて。


だからやっぱり、私がピアノに戻ってこられたのは、音弥が私に残した最後の贈り物だったのだ。



「うん、そうだね。間違いなく、音弥は僕があの万年筆を使ってるのを確かめに来て、顔には出さずに喜んでるだろうね」


あまり感情を表に出さない息子を、父は心から愛おしそうに思い返した。


そして



「………もうすぐ、一年だね」



庭に視線を向けたままで、まるで降り続く雪のように物静かに、静寂に、そう告げた。


何が、なんて問い返すまでもない。


私も父の隣で雪をながめながら返事する。



「うん………一年、だね」














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