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「音弥?お願いって、何を……」


本当は気付いているのに、私はわかっていない素振りで恐々と問いかける。


音弥は少し困ったように眉を下げ、薄っすらと笑みを浮かべて。


「その人に、祓ってもらうんだよ」

「何言い出すの?!まだ時間切れじゃないじゃない!」

「うん。でも今なら、姉さんの気持ち的にも落ち着いて俺を見送ってくれるかなと思って。時間ギリギリまで待ってたら、また心が揺れ出してしまうかもしれない。……俺だって、できることなら、姉さんの泣き顔じゃなく笑顔に見送ってもらいたいから」


俺の我儘だけど、聞いてくれる?


苦笑のまま、私を窺ってくる音弥。


それが音弥の最後の(・・・)我儘であることは、痛いほどに理解している。

大切な弟の最後の我儘なら、何が何でも叶えてやりたい。

それを拒否するなんてあり得ない。

でも、とてつもなく寂しくて淋しくて。

だけど身をちぎられるほどの強烈な哀絶の中にいても、音弥のためには、今涙をこぼしたりはできなくて。



「…………かった」

「え?」

「わかった……音弥の願い通りにする」


私は瀬戸際のところで姉としての矜持をどうにか手繰り寄せ、音弥に了承の返事を送った。

けれど、どうしても、このまま永遠の別れを迎えてしまえばきっと後悔するであろう、思い残しがひとつだけあるのだ。


「でも………」

「でも?」

「私の我儘も、聞いてくれない?」


私は音弥と、音弥越しのピアノを見つめてそう言った。

せめてもの、我儘だ。


そんな返しをされるとは思ってなかったのか、音弥は「姉さんの我儘?」とビクリと強張らせた様子だったけれど、すぐに表情を戻し、「……いいよ」と答えてくれた。


「それで、姉さんの我儘って?」



気を抜いたら容易くこぼれだしそうな涙をぐっと飲み込んでから、私は告げた。



「ピアノよ。もう一度音弥のピアノが聴きたい。なんでもいいから、弾いてほしい」



事故の前も、音弥が実家でピアノを弾く機会は激減していた。

それは私のせいであることはほぼ間違いなくて、だからこれは私の自業自得だ。

でも、それでも、もうこれ以上一緒にいることが叶わないというのなら、せめて、私はどうしても音弥のピアノを耳に焼き付けておきたかった。



一生、永遠に、忘れないように。



ところが、私がピアノを持ち出したとたん、音弥は「ピアノか……」と、困ったように呟いたのだ。


私はとっさに食い下がった。


「もう音弥のピアノに嫉妬したりしないから。もちろん、体調だって崩したりなんかしない。どうしても、音弥のピアノを聴きたいの。事故の前からずっと、避けてしまってたから………お願い。もう一度、音弥の音を聴かせて?」


すると音弥は私越しのピアノを見つめ、切なげに目を細めて。



「……ごめん、姉さん。それはできないんだ」

「どうして?やっぱり、私にピアノを聴かせるのは心配?それとも他に何か理由があるの?」


音弥が実家でピアノを弾かなくなったのは、私に気を遣っていたせいだ。

でも今はもうそんなことする必要ないのに。


こうしてる間にも刻一刻と音弥との時間は残り少なくなっていく。

何か問題があるのならすぐさまそれを排除しなくては。

そんな焦りがとてつもない勢いで私に襲いかかってくるけれど、音弥は静かに首を振った。


「違うよ、そうじゃない。今の姉さんになら、俺だってピアノを聴いてもらいたいくらいだ。だけど………」


そう言って、音弥は私の横に腕を伸ばし、ピアノに向けた。


すると……



ス…ッと、音弥の長くて綺麗な指がピアノを通り抜けてしまったのだ。




「あ……」



それは、彼ら(・・)がテレビのリモコンに触れられなかったときと同じだった。



「………でも、でも音弥は力が強いから、私には触れられるじゃない」


アリーナで私を抱きかかえてくれたとき、音弥は直接私に触れていたのだ。

烏帽子男は直接は触れずに、何らかの力(・・・・・)で私を抱えていたのに。

けれどその疑問に躊躇なく答えたのは軍服マントだった。


『あら、アタシだってお嬢ちゃんの体には、触れるわよ?だけど、他の物には触れない。それはテレビのリモコンの件でお嬢ちゃんもよくわかってるんじゃないかしら?』

「それは……」


確かにそうだった。

軍服マントと万葉集女王はリモコンを握ることはできなくても、私の体には触れることができたのだ。

それはおそらく、二人の力が強かったから。

でも二人とも、私が手渡さない限り自力でリモコンに触れることはできなかった。

リモコン以外でも、私が手渡すと彼ら(・・)もそれに触ることはできる。

けれど、まさかピアノを音弥に手渡すなんてできるわけもない。



私の音弥への最後の願いは、叶えられない………



諦めかけたそのとき、音弥が「でも、ひとつだけ方法があるかもしれない」と言ったのだ。












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