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音弥が事故で亡くなったことを思い出したときよりも、私の心は悲鳴を上げていた。
だって残り一時間なんて、そんなの急すぎる。
やっと、抱えていた思いを伝え合うことができたばかりなのに。
『お嬢ちゃん……』
『せ、せや、お嬢ちゃんの言う通りや!どないかできひんの?』
『ザッツディフィカルト………』
三人が三者三様に言葉を放つ。
「西島さん、気持ちはわかるけど………」
天乃くんは心底同情するような表情で。
だけど南先生と万葉集女王は、何も言わなかった。
たぶん、二人とも、わかっていたのだ。
音弥が次に告げることを。
「姉さん、それはだめだよ。本当ならあのとき、姉さんは助かってなかった。でも俺がこの人に頼み込んで、どうにか助けてもらことができた。もうそれだけで、特例なんだよ。そのうえ、姉さんの事情を考慮して、俺は今日まで姉さんのそばにいることもできた。姉さんが助かったときに、俺は祓われていてもしょうがなかったのに。なのに今日まで一緒にいられて、ちゃんと話もできた。だから、これ以上は望んだりできないよ」
それはいかにも、音弥が言いそうな決断だった。
「音弥………」
本人がそう決めたのに、私はまだ二度目の別れを受け入れられなくて。
すると黙っていた南先生がフゥ、と小さな息をこぼした。
「芽衣ちゃん、きっと弟さんは、二度目の別れを芽衣ちゃんに与えないために、芽衣ちゃんと再会することをずっと拒否していたんだろうね」
違うかい?
その問いかけには音弥は答えなかった。
でも、それが正解だということは、きっと誰もが感じ取っていた。
その証拠に、音弥は返事の代わりに「姉さん、二度も辛い思いをさせてごめん」さっきと同じセリフで謝ったのだ。
私はゆっくり首を振る。
「謝らないで。音弥…………」
私は、年上なのに。
お姉ちゃんなのに、弟にこんな風に謝らせてしまうなんて…………しっかりしなくちゃ。
私は二度目の別れを受け入れられないまま、音弥の決断を受け入れることにした。
受け入れなくちゃいけないと思った。
「音弥………」
「なに?姉さん」
「私の命を二度も助けてくれて、ありがとう」
「そんなの当り前だよ。家族なんだから。きっと姉さんが逆の立場でも同じことをしていた、それだけだ」
事もなげに即答した音弥。
それがどんなに辛い選択だったかなんて、あまりにもわかり過ぎる。
「辛い思いを一人で抱え込ませてしまって、ごめんね」
「辛いのは俺じゃなくて、姉さんだろ?」
「そんなことない、音弥の方が、」
「いいや、姉さんの方だよ。いつだって、さよならを言うより言われる方が辛いんだ。だって明日からも、姉さんは俺がいなくなった世界で生きていかなくちゃいけないんだから」
「―――っ!」
音弥がいなくなった世界で、生きていく………
「……姉さん、もう、大丈夫だよね?」
「え……?」
「俺がいなくなっても、ちゃんと生きてくれるよね?人の心は常に変化する。今日は平気でも、明日は悲しみのどん底になるかもしれない。でも…………そんな不安定な心なんかに、未来を明け渡したりしないよね?」
私は何度も何度も頷いた。
何度も何度も涙があふれそうになってきたけど、そのたびに何度も何度もこらえた。
泣いたりしたら、きっと音弥を心配させるから。
「よかった。それを聞けて安心したよ」
音弥は言葉の通り、ホッと息をついた。
「でも…そうだよね、あのときとは、姉さんの周りは…もちろん姉さん自身もだけど、あのときとは全然違ってるんだから、もう心配はいらないんだろうね。この人達もいるし、文哉だって、この数か月でずいぶんしっかりしてきたし……」
「文哉に会ったの?」
「うん。実はさっき姉さんが眠ってる間に、文哉の様子を見てきたんだ。一方的にだけど。文哉の近くにはあの小学生の男の子がちゃんと見守ってくれてたし、心配はなさそうだったよ」
「じゃあ、文哉とは話してないの?」
「二度目のさよならは、文哉にはまだ酷すぎると思うから」
「そんな……」
文哉にも最後の別れを…そう言いかけるも、音弥の判断が正しいことは、私自身が立証していた。
だって私は、一度目よりも二度目の別れを知らされたときの方が心を痛めつけられたから。
もう二度と会えない。
受け入れなくてはと決心した今も、それは到底納得できそうにもなくて。
事情をすべて把握している私でさえこんな状態なんだから、何も知らない幼い文哉だったら、きっと、もっともっと傷付いてしまう。
大切な弟に会わないということは、音弥の中で最大の愛情なのだ。
実際音弥は、私の前にも姿を現わすつもりはなかったという。
音弥は二度目のさよならの苦しみを、たった一人で味わうつもりだったのだ。
そうならなくて、本当によかった。
音弥を独りにしないですんで、本当によかった。
すると音弥が、「でも……」と何かを思い出したように口を開いた。
「姉さん、文哉は勘がいいから、もしかしたら俺のことを何か訊いてくるかもしれない。そうなったら申し訳ないけど、姉さんは何も知らないと答えておいてくれる?」
「………わかった」
「姉さんにばかり辛い役目をさせてしまって、ごめん」
「もう謝らないで」
「わかった。じゃあ姉さんも、もう泣かないで」
「泣いてなんかないわよ」
「そう?じゃあ俺の気のせいかな」
ぎりぎりのところで堰き止めているつもりだった私は、慌てて目尻に指をやる。
あふれ落ちる寸前だった雫がいくつか指の腹に乗ったけれど、これくらいは大目に見てほしい。
そんな思いで、音弥にはニコッと微笑んでみせた。
なのに、やっぱりあの二人がズズズッと鼻をすする音が響いて、私の意志を台無しにしようとしてくるのだ。
けれどクレームを言うつもりでそちらを見た私は、感情を吐露しているのが烏帽子男と袴三つ編みだけでないことを知る。
軍服マントが唇を噛み、天乃くんはあからさまに私から目を逸らした。
万葉集女王も神妙な面持ちで私と音弥を見つめ、目が合うと、柄の長い団扇で口元を隠してしまう。
唯一南先生だけが一切の表情を変えずに、じっと私と音弥を見据えていた。
それはまるで、私達の向こうにある何かを見透かしているかのようにも感じられて、少しだけ私達を囲む空気が張った気がした。
そしてその空気に呼応したかのように、音弥が南先生に告げたのだ。
「そろそろ、お願いできますか」
誤字をお知らせいただき、ありがとうございました。
訂正いたしました。




