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「でもそれなら、なんで今さらルール違反なんて言い出すの?だって音弥はずっと私のそばにいてくれたんでしょ?」
音弥が答えるのも待たず、詰問を続ける。
そしてくるりと後ろを振り返って。
「南先生だって!音弥に、私に会うように勧めたのは南先生なんですよね?!なのになんで今になってそんなこと言うんですか!」
そんなの卑怯じゃないですか!
まるで南先生の方こそルール破りだと責め立てるような追及だった。
「姉さん、仕方ないんだよ」
『お嬢ちゃん、落ち着いて?』
音弥と軍服マントが私を宥める。
けれど二人がそれぞれに言葉を探る中、誰よりも芯の通った声遣がピアノ越しに届いた。
「芽衣ちゃんは特別だったんだ。今日までは」
「特別って……」
今日まで、それが何を意味するのかは、想像に難くない。
「まさか記憶がなかったからですか?今日までは私の記憶がなかったから、音弥が私のそばにいてもルール違反にはならなかったって言うんですか?」
「その通りだよ。弟さんが亡くなっていると思いもしない芽衣ちゃんにとったら、例え弟さんがそばにいても普通の、生きてる人間と何ら変わりのない存在だからね。だから僕は、特例で弟さんが芽衣ちゃんやご家族のそばで過ごすことを許可したんだ」
許可した、なんて、祓い屋とゴーストの力関係が浮かび上がってくるようで、心にピシリと傷が走った。
「そんな………じゃあ、私は記憶を思い出さない方がよかったんじゃないですか!そんなのって……」
「でも思い出さなければ、弟さんとの溝は埋まらないままだった。違うかい?」
「それは……」
確かに、それはあるかもしれない。………いや、間違いなくそうだろう。
もしあの事故がなかったら、音弥がゴーストとして私のそばにいてくれてなかったら、きっと、今日みたいな話はできなかった。
お互いがお互いを気遣って、遠慮して、腫れ物に触るように神経を尖らせて、本音なんか表に出すこともなかっただろう。
おそらく留学した音弥は数年後には世界で活躍するピアニストになって、それを心から祝福できない私とは徐々に関係が薄まっていくばかりで………
私は音弥を掠め見る。
音弥は黙ったままで、その表情は読み解けない。
もどかしさが、私の一方通行のように思えてしまって、余計にもどかしくなる。
すると南先生が音弥を見やりながら言ったのだ。
「それに弟さんは、この時が来るのを覚悟した上で、それでも僕にきみを助けてくれと頼んだんだよ」
「え……?」
「つまり、弟さんは兄に助けを求めなければ、ずっとこの世に残ることも不可能ではなかったんだ」
天乃くんが南先生の説明を補足してくれるけれど、私は意味がわからない。
「……それ、どういうこと?」
「実際、俺達祓い屋の目を掻い潜ってこの世界に存在し続けている者も少なくはない。たぶん、弟さんは亡くなった後に出会った仲間の誰かから、そういったことも教えられたはずだ。祓い屋の存在を知っている連中なら、俺達から要領よく逃れる方法もいくつか心得ているだろうから。でも弟さんは、自分がここに存在し続けることよりも、西島さんの命の方が大事だったんだ」
私は音弥に眼差しだけで ”本当なの?” と問いかけた。
音弥は、穏やかに答えた。
「そんなの当り前」
「音弥……」
「俺はもうとっくに死んでるんだから、今さら消えようと成仏しようと大差はない。でも姉さんは違う。姉さんは生きてるんだから。どちらを優先させるかなんて、一瞬でも考える方がおかしいんだ」
潔く断言する音弥に、また泣き虫ゴーストが二人、グズグズ言いはじめた。
『ウウッ、ヴヴヴ…………』
『ヒッ、ヒッ…弟さん、めっちゃくちゃええ子やん………』
『アナタたち、それはもういいから。これでよくわかったでしょ?お嬢ちゃんと弟さんに残された時間は限りがあるの。だからアタシたちが邪魔なんかしちゃいけないわ。わかったら早くその涙を引っ込めなさい』
軍服マントが二人を叱るけれど、私はそれを聞いてハッとした。
「………ねえ、音弥はあとどれくらい、ここにいられるの?そんなすぐにいなくなったりしないよね?」
自分はいつかこの世界から消えてしまう、その日が来ることを覚悟していたという音弥。
でも私にはまだそんな覚悟も準備もできていないのだ。
もうこの決定事項を覆せないのなら、せめて……せめて心の整理ができるほどの時間の余裕は欲しい。
せめて………
なのに、懇願にも似た問いかけに返された答えは、希望がガラガラと崩れ落ちる音が添えられていたのだった。
「あと一時間ほどだよ」
その回答に、私はまたもやバッと体を捻った。
「一時間?それ、本気で言ってるんですか?南先生」
攻撃的に詰め寄った私にも、南先生はまったく動じず首肯した。
「ああ、そうだよ。厳密には夜明けまでだけど、何か問題が起こらないとも限らないからね。少し時間に幅を持たせて逆算すると、あと一時間弱といったところだね」
「そんな……」
南先生はまるでちょっとした外出のスケジュール調整をするかのような気軽さで説明してくる。
でも私には到底受け入れられるわけもなかった。
「そんなのってないわ!ねえ音弥、音弥だって覚悟してるって言っても本当はここに残りたいんでしょ?だったらどうにかして……」
驚きと怒りで混乱するばかりだ。
でもそんな私に音弥が「姉さん」とそっと呼ぶのだった。
そして
「姉さん………ごめん」
囁くようなかすれ声で、そう謝ったのである。
「なんで音弥が謝るのよ?」
「二度も……結果的に一日に二度も、姉さんに別れを植え付けてしまうことになるから」
よけいに辛い思いをさせてしまって、ごめん。
一日に、二度………
確かに、私は音弥が事故で亡くなったという事実を、つい今さっき知ったことになる。
そして立て続けに、今目の前にいる音弥との別れも差し迫っていると知らされて。
辛いどころの話じゃない。
でも私は、それよりも………
「辛いなんて、そんなのっ!そんなの、それこそ当たり前じゃない!でも私なんかより、音弥の方が辛いに決まってるじゃない!」
「……俺はいいんだよ」
「よくない!ねえ先生、どうにかならないんですか?だって今までも音弥は私のそばにいたけど何も問題なかったじゃないですか!音弥は優秀だから、きっと先生のどちらの仕事にも役に立つはずです!もちろん私だって、お手伝いできることがあるなら何だってしますから!だからどうか、どうか音弥を消さないでください!天乃くんからもお願い!従兄弟の天乃くんが祓い屋の仕事をできなくなるなら、人手が必要でしょ?音弥は普通の祓い屋よりも力があるって言ってたじゃない!ねえ、あなた達だってそう思うでしょ?音弥がどんなに力があるのかわかってるんでしょ?だったら、南先生に一緒にお願いしてよ!お願いだから!お願いだから、音弥を消さないで………」




