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「え………文哉?」

然様(さよう)。其方らがここに住まいを移したその日、下の弟御がしばし庭に出ておっただろう?其方はしきりに弟御を探しておったが、それは我らと話をしておったせいなのだ』

「文哉が………?」


確かに引っ越し当日、文哉が庭で遊びたいと言って、しばらく私の前から姿を消したことはあった。

言われてみれば、その直前に、あの木(・・・)に二人で話しかけたのだ。

そしてそのせいで私と文哉は、彼ら(・・)が見えるようになってしまった。

でもそれじゃ、文哉は見える(・・・)ようになってすぐに彼ら(・・)に私と音弥のことを打ち明けていたの……?



「何て……文哉は何て言ったんですか?」

『弟御は人懐こく好奇心も盛んだった。我らが見えるようになると、すぐに親しく話をしたがったのだ。そして我らが人ならざる存在だと聞くと、怖がりもせず即座に兄御にも会えるのかと問うてきたのだ』

「兄……音弥のことよね?」


短く音弥を見やると、音弥も短く頷いた。



『然様。その問で、我らは其方には弟御がもう一人おり、その者はすでに亡くなっておることを知った。だが下の弟御の問に答えることは困難だった。この世を去った者皆が皆、我らのようになるとは限らぬからな。ゆえに、そのように下の弟御にも伝えた。弟御は残念がっておったが、次に申してきたのは、其方にも我らが見えるのかということだった。我が是と認めると、続けて、其方が今も弟御の死を受け入れておらぬという事実を知らせてきた。其方の記憶の中では弟御はまだ生きており、ゆえに我らにもそのように振る舞ってほしいと申したのだ。其方が亡くなった弟御を生きてるように告げたとしても、話を合わせてほしいと』


「文哉……」


今度は音弥がかすれ声で文哉の名前を呼んだ。

音弥はまだ直に文哉には会ってないようだし、小さな弟が自分に会いたがったことも、私を思い遣って彼ら(・・)にお願いしたことも、全部が感情を揺さぶってきたのだろう。

もちろんそれは私だって同じだ。

だって私は、10歳にも満たない弟に、気付かないところで守られていたのだから。

自分だって、大好きなお兄ちゃんを失って辛いだろうに………


私は、こんなにも家族に恵まれていたんだと思い知る。

音弥のことを誰よりも家族想いだと思っていたけれど、文哉も音弥にそっくりだ。

私を包んでくれていた大きな優しさに触れ、どうしても胸がこみ上げてくるけれど、私は目尻を拭ってキュッと心を引き締めた。

もう、家族に心配かけたくないから。



「………教えてくれて、ありがとうございます。たぶん、自分が音弥や私のことを話したのを黙っておいてほしい……それが、文哉との約束だったんですよね?」

『然様。其方の下の弟御は利口で真に優しい子だ』

「私もそう思います」

『そして其方は、強うなったな。先ほどまでとは顔つきがまるで違う』

「え……強く?」


尋ね返した私に、南先生も「ああ、そうだね」と認めてきた。


「僕が話をはじめる前と今じゃ、雲泥の差だ」

「確かに、西島さんから感じる気も全然違ってるよ」


天乃くんまでそんなことを言い出して。


「そんなに……?」


自分ではわからない変化を指摘されても、戸惑ってしまう。

すると音弥までもが3人に同意した。


「それは間違いないけど、姉さんはもともと強い人だから、強くなったというよりも元に戻ったというのが正しいと思います」


けれど私は、音弥のセリフには違和感を抱いてしまったのだ。


「もともと強い?私が?それはないよ。だって私、散々音弥の才能を羨んでた心の狭い人間だよ?留学が決まったときも、心からなんて祝えてなかったし。弱い人間なんだよ……」


自分で言ってても情けなくなってくる。

だけど音弥は瞬きも許さないくらいのスピードで否定してきたのだ。


「それは違うよ、姉さん。確かに姉さんはピアノのことでコンプレックスを感じていたのかもしれないし、俺のピアノを褒める母さんにも複雑な思いがあったのだろうけど、一度だって、俺や母さんを責めるようなことは言わなかった。悪く言うようなこともなかったし、それどころかどうにか受け入れようと頑張ってくれてたじゃないか。本当に弱い人間なら、絶対に周りのせいにしていたはずだ。姉さんはね、傷付きやすくて繊細な人だけど、同時に、人を傷付けることを嫌う、心の強い人でもあるんだよ」



揺るぎなく断言した音弥の目には、どうしてだか、とても清々しい晴れやかな彩りが宿っていた。



だって、そんなの当り前だと思う。

音弥のピアノがどんなに素晴らしいのか、子供の頃からずっとぞばで聴いてきた私がきっと一番わかってるから。

だから、私がいくらレッスンしたところで敵わないのもわかってたし、自分の夢を音弥に託したお母さんが音弥のピアノを褒め称えるのも当然だと思うし、それなら、音弥やお母さんを責めるなんて考えが過ること自体あり得ない。

ただそれだけなのだ。


だから………やっぱり私は、別に強いわけじゃないと思う。

本心ではそう思いながらも、音弥がくれた言葉を拒否したくない私もいて。

強くなったというみんなからの評価も、実感はないながらも嬉しくて。

そうやって、少しずつ自分への価値を拾って受け入れて集めていけば、私はもっともっと強くなれるのだろうか?

いつか音弥の姉として胸を張れる日が来るのだろうか?

そんな期待感を抱きつつ、”ありがとう” と返そうとした、そのとき。



『ヴヴッ………やっぱ、めっちゃええ姉弟やん………アカン、うち、感動し過ぎて涙止まらへんわ』

『ズズズズッ………I……I think so too……ズズッ、ウズズズッ』



やはりというか、お決まりというか、袴三つ編みと烏帽子男のすすり泣きが割って入ってきたのだった。



『もうアナタたちったら。そんなに泣いてたら、お嬢ちゃんと弟さんがおしゃべりできないじゃない。アタシたちは同席してるだけで、二人の時間のお邪魔になっちゃいけないの。わかるかしら?今は二人でじっくり話すことが何よりも大切なのよ?わかったら、ほら早く、涙をお拭きなさいな』


二人を諭すのも、いつも通りの軍服マントだ。


『Oh、イッツソーハードです………グズンッ。ズズッッ………』

『ヒック、ヒック………アカン、無理や。涙全然止まらへん………』


繰り返し涙腺を崩壊させていた二人は、ちょっとやそっとじゃ宥められないようだ。

けれどこれに激しく叱りつけたのが、万葉集女王だった。



『止めよ。それ以上泣くのであればよそでやるといい。此の者の邪魔をするのならばここから()ね』



腹の底から繰り出されたような低い窘めに、烏帽子男と袴三つ編みはギョッと顔を強張らせた。


いつもならさり気なくフォローにまわりそうな軍服マントも、かすかに首を振って短い息を吐くだけだった。

その姿がなんだか含みを持ってるような気がしたのは、私の考えすぎだろうか。



『せ、せやかて……』

『アイキャントです……』


万葉集女王にビクつきながらも涙の止めようがわからない二人が、なんだか可哀想にも思えてきた私は、「いいわよ、別に」と仲裁に入った。



「全然眠たくもないし、南先生からのお話も、音弥との話だってもうほとんど済んでるから」

『でもね、お嬢ちゃん……』


軍服マントがここで心配そうに口を挟んでくる。

私は ”大丈夫だから気にしないで” の意を込めてゆっくり笑ってみせた。


「泣くのを我慢するのはよくないのよ?」


さっき自分が言われたことをそのまま真似て、雰囲気を和らげたかったのだけど、


『ならぬ』


万葉集女王がピシャリと跳ね返してきた。

さすがにここまで強く言われるとびっくりだ。

だけどはたと、こうも態度を硬化させる万葉集女王に違和感を覚えた。



「……どうして?どうしてそこまで言うんですか?そりゃ、私と音弥のことを思って言ってくれてるのは有難いけど、当の本人がいいって言ってるんだから、別にいいじゃないですか?」


すると万葉集女王ははらりと長い袖を揺らして柄の長い団扇を持ち替えた。

その僅かな間に答えを探しているようにも感じた。



『其方と弟御の邪魔をしたくはないのだ』

「邪魔だなんて、そんなことないです。だってみんなのおかげで私はこうして音弥とまた会えたんだもの。そうでしょ?それに、これからもずっと音弥も一緒なんだから、また二人で話す機会も時間もたっぷりありますよ」


だから大丈夫。


心配性な万葉集女王と軍服マントに明るく答えた。


ところが、視界の端にいた天乃くんまでもが、なぜか気遣わし気に表情を曇らせていたのだ。


そして、


「芽衣ちゃん、実は最後にもう一つ、知らせておくべきことが残ってるんだ。

おそらく彼らは、それについて気にかけてるのだと思うよ」


南先生が穏やかに告げてくる。


「そうなんですか?」

「姉さん」


ふいに、音弥が呼んだ。

何?と振り返るよりも前に、音弥はいつもの感情を隠した、いかにも音弥らしいフラットな口調で言ったのだった。



「俺はもう、姉さんとは一緒にいられないんだ」













誤字をお知らせいただき、ありがとうございました。

訂正させていただきました。

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