17
「わかってると思うけど、あの人達を許す許さないは姉さんが口を出すことじゃないよ。その人達に任せておけばいい」
「わかってるわよ……」
『いいえ、わかってないわ。お嬢ちゃんは優しい性格だからつい同情しちゃうんでしょうけど、あの男はダメよ。お嬢ちゃんだけじゃなくて、無関係な大学のお友達まで巻き込んだんだから。きっちり罰を受けてもらわないと、アタシたちが安心してゴースト暮らしできないじゃない』
『ホンマその通りやで!』
『アイアグリーです!』
軍服マントの訴えに、それぞれ三つ編みと烏帽子を揺らして大きく頷いた。
「本当にわかってる?姉さん。ここで姉さんが自己犠牲の精神なんか発動したら、俺がこれまでしてきたことも全部無意味になるんだからね。いったい何のためにその人に色々教わったと思ってるのさ」
「南先生に教わったことが、他にもあるの?」
そう訊いてから、私にも心当たりが見つかった。
「……ねえもしかして、この家に来た原屋敷さんがいつの間にかいなくなってたのって……」
「俺が排除したよ」
「排除って…」
『送り返したのよ。まあつまり、飛ばしたわけ。彼女が元いた場所までね』
「そんなことができるの?」
『ユアブラザー、ソークールでしたよ』
『せやで?むっちゃかっこよかったし、むっちゃ強いと思たわ。あんな二人、簡単にやっつけられたんとちゃう?』
『違いないわね。でもそうしなかったということは、弟さんもお嬢ちゃんと似て、優しいってことなんじゃないのかしら?』
からかいながら横目で音弥を見た軍服マント。
『家に来たのがあの従兄弟の方だったら、そうしてたかもしれませんね』
音弥は至って冷静に答えた。
すると、突然、天乃くんが私に深々と頭を下げたのだ。
「西島さん、改めて謝らせてほしい。流星と百々子が…俺の従兄弟と幼馴染みが、本当に申し訳なかった。俺が不用意にに西島さんに近付いたせいで、事態をややこしくさせたのかもしれない。本当に済まなかった。怖い思いもさせて、今となっては謝るしかできないけど、どうか流星と百々子のことはこちらに任せてほしい」
今までにない真剣な謝罪に、私は慌てて両手を振った。
「そんな、天乃くん、顔をあげて?もう何度も謝ってもらってるし、その……二人のことなら、天乃くんや南先生に全部任せ…」
「ということですので、この件に関して姉はそちらに一任しますので、きっちり罰を与え、償わせてください」
私の語尾を奪って、音弥が厳しく念押しする。
「もちろんそのつもりだ。今後、流星が芽衣ちゃんの前に姿を見せることはないだろう」
音弥の上を行くほどに、南先生は心まで凍てつくような冷たさで言い放った。
仕方ないことだと理解していても、もう二度と天乃 流星に会うことはないのだと思い知ると、いくらか心が軋んでしまう。
でも私はそれを飲み込むことにした。
ちょうどそのとき、仏壇の方からピッ、という小さな電子音が聞こえてきて、全員がそちらに向いた。
「……俺の腕時計です。いつも正時に鳴っていたので」
音弥が言う。
ほんの少し、懐かしそうに。
「ああ、もうこんな時間か……」
南先生が自分の腕時計を見やると、しばらく黙っていた万葉集女王がまた急かすような指摘をした。
『悠長なことをしておると、あっという間に時間は過ぎ去る。其方、此の者への説明は、もう終えたのか?』
「そうだね。弟さんが芽衣ちゃんに会いに来てからのことは、もうだいたい芽衣ちゃんもわかってるだろうから。芽衣ちゃんは、何か聞いておきたいことはあるかい?」
そう尋ねられて、私は今一度、頭の中の整理をしていった。
事故のあと、私は音弥の死を自分のせいだと強く感じ、才能のある音弥じゃなくて自分の方が死ねばよかったんだと、自分自身を見失った。
その頃は当然音弥が亡きあとも私のそばで見守ってくれてたなんて知らず、現実をどうしても受け入れられないあまりに、私は自分で自分の命を終わらせようとした。
その一部始終をただ見てるだけしかできなかった音弥は、それでもどうにか私を救おうと、南先生に助けを求めた。
おかげで一命を取り留めた私は、南先生の治療を受けることになり、南先生から記憶を操作され、事故のことも、音弥が亡くなったことも一時的に忘れることになった。
その際、慎重を期すために私にはさらに暗示がかけられて、その暗示を持続させるために毎晩薬を服用することになった。
さらには、事故が蘇るトリガーになる恐れがあるため、父とは極力顔を合わせない、事故現場近くの自宅から引っ越すなどの手段がとられた。
その結果、私の家族はこの家に引っ越すことになったのだけど、この家を両親に紹介したのは他ならぬ南先生で、ここには5人のゴースト達がいることを承知した上でのことだった。
南先生は、私が見えるようになればいいと、そう考えていたのだ。
なぜなら、見えるようになれば、ゴーストとなった音弥の姿も普通の人と変わらずに見えるようになるから。
音弥と実際に会えば、まさか音弥が実は亡くなってるなんて疑うはずもなく、私の記憶がぶり返す恐れもなくなる。
そう考えた南先生は、音弥に、私に会いに行くように促した。
音弥は、最初はそれを拒否したものの、私に移った音弥の気配や気に勘付いた天乃 北斗、流星が接触を図ってきたことで、警戒を強め、私の前に姿を見せることにした。
私を守るために。
音弥の警戒はこの家にいる5人にも向かっていて、彼ら経由で自分の死を私の耳に入れないため、仏壇のあるこのピアノ室に彼らが入ってこられないよう細工した。
その方法は南先生に教わったらしく、南先生からは他にもいろいろ力の使い方を指南されたという。
片や、天乃 流星は、祓い屋の総帥である南先生に反する意見を持っていた。
ゴースト達との共存を選択する南先生に対し、以前から苦々しく思っていたようだ。
そこで天乃 流星は音弥を利用することを思いついた。
本人に直接確かめたわけではないけれど、おそらく、私を攫い、駆け付けた音弥を挑発して騒ぎを起こし、ゴーストとの共存がいかに問題であるかを訴えて糾弾するつもりだったのではないだろうか。
けれどその計画は音弥や彼ら、そして祓い屋の天乃くんと南先生によって阻止された。
そうして無事に助け出された私だったけれど、ただでさえ、数日前不注意で薬を飲み忘れていたせいで記憶の片鱗がぽろぽろ夢の中に降ってきてたこともあり、いろいろな出来事が刺激となったのだろう、一気に、記憶が蘇ったのである。
音弥の死も、事故も、全部思い出したのだ。
それは果てしない絶望のはじまりにも思えた。
けれど、音弥がずっと私を見守ってくれていたことを知り、どんな思いでそばにいてくれてたのかも教えられると、ただ絶望に浸っていることはできなかった。
私を悲しみに染めるために音弥は犠牲になったんじゃないと、自分を責めるだけの愚かさに気付けたのだ。
そして、今に至る。
真実を知ってからの時間はまだ短いのに、こうして頭の整理をしたことで、心の波も、穏やかになりつつあった。
すると、これまであまりに大きな真実の陰に隠れて、そこまで大ごととは捉えてなかったものが、にわかに存在感を訴えてきたのである。
「あの……」
「何だい?芽衣ちゃん」
「さっき、先生が後まわしにしたことなんですけど………」
私は浮かび上がってきた疑問を南先生に差し出した。
もうすっかり一件落着した気分で、ほんの些細な引っ掛かりを解かすような感覚で。
だから、自信のある耳でも聞き取ることができなかったのだ。
確実に近付いていた、深くて痛い、悲しみの足音を。




