15
音弥は、とうとう見つかってしまったか…という態度で私から目を逸らした。
私は恐る恐る立ち上がり、ピアノの縁をまわって南先生の隣に立った。
「音弥……?」
我が家には、仏壇なんてなかったはずなのに。
でも目の前には、小ぶりでシンプルな、装飾の施されていない仏壇が置かれているのだ。
それは折れ戸の中、上段に設置され、そのまわりには音弥の好んで飲んでいたペットボトル飲料や、デパ地下で売られている洋菓子が所狭しと並んでいる。
そして下段には、音弥の楽譜が。
「こんなところに………。どうりで、引っ越しの時も楽譜がほとんど見当たらなかったはずよね」
いくら音弥が暗譜は完璧だといっても、すべてを軽々しく処分していたとは思えなかった。
棚の中には、私の見覚えのある背表紙もあって、懐旧に胸が締め付けられる。
幼い頃、音弥と一緒に習った曲だ。
私はとっくに捨ててしまったその楽譜を、音弥はちゃんと残していたのだ……
「どうして………」
私はその場にしゃがみ込んでしまう。
とても、正視できなかった。
音弥の ”死” が、とたんに目の前で証を成したのだから。
いくら記憶を取り戻したとしても、それは形のない曖昧なもの。
けれど今のこの目の前の状況は、形のある ”音弥の死” だった。
「芽衣ちゃん、今は無理しない方がいい」
南先生がすぐに膝をつき、私の肩を抱えると主治医らしく宥めてくれる。
「少し休憩しようか。夜はまだ長い。あとでもう一度ちゃんと説明するから」
「―――いえ、平気です」
私は即答した。
『でもお嬢ちゃん、顔色真っ青よ?』
『せやで?まだ夜明けまでは時間たーっぷりあるねんから、急がんでええよ』
『Take it easy ですよ』
心配性な彼らにも、首を振って答える。
「早く聞かなくちゃいけない気がするから。真実を………ねえ音弥、これがあるから、この部屋に誰も入れたくなかったの?それで、南先生にその方法を教わったの?」
私は南先生の腕を借りながら立ち上がり、椅子の横で佇んだままの音弥に問いかける。
音弥はそっと私に向いて、「そうだよ」と認めた。
「引っ越しはまだ理解できたけど、姉さん達が引っ越す前にどんなとこかと様子を見に来たら、とんでもない曰く付き物件だったからね。その時点ではまだ姉さんは俺のことを見えてなかったとはいえ、記憶を操作して治療中である状態で、この人達に俺のことは知られたくないと思った。だから、ちょうど防音工事でこの人達の注意が逸れてるときに、その人から教わった方法でここの部屋の壁は通り抜けができないようにしたんだ」
「そんなに前から……」
体の奥からせり上がってくる熱いものは、名前をはっきり付けられなかった。
やがてそれは私の目頭を潤ませるけれど、悲しみなのか、感動なのか、嬉しさなのか、それとも切なさなのか。
音弥が、誰よりも家族思いなのは知っている。
クールなようで、実はとても感情深いということも。
だから今聞いた話は、音弥にとってはごく自然で当たり前の行いだったのだろう。
でも………
私は仏壇をもう一度見て、それから音弥に振り返って。
「ごめんね、音弥。ずっと、こんな風に隠されることになって、ごめんなさい」
死んでもなお、家族のために自分を犠牲にすることも厭わない音弥。
そんな音弥に守れらていただけの私が、自分の感情を優先させて泣き崩れるなんてしちゃいけない気がした。
必死で、心を奮い立たせる。
すると音弥は「またすぐ謝る。もういいから、はやくこっち戻って座りなよ」と、私を手招きした。
そして私が自分の足でゆっくり椅子に戻ると、「父さんも母さんも毎日話しかけに来てくれてたから、姉さんが気に病むことはないよ」と言った。
それは嘘じゃないのだろう。
だって、ここは音弥の好きなもので溢れかえっているから。
「二人とも仏壇を用意するかどうかずっと悩んでたんだ。引っ越しを機に注文したみたいだけど、文哉には話してなかったんだろうね、文哉がここに来たことは一度もないよ。だから、知らなかったのは姉さんだけじゃない。それに、俺はずっとこの部屋にいるわけじゃない。それは姉さんだってよくわかってるだろう?まあ何にせよ、結果的にこの人達は俺のことを知ったにもかかわらず姉さんには黙っててくれたわけだから、俺の杞憂に終わったわけだけど。でも、今もあの時の選択としては正解だったと思ってる。だってまさか、姉さんが見えるようになるとは思わなかったし」
音弥がそこで区切ると、南先生も「それは間違いないね」と同意した。
『けど、うちらがこの部屋の壁だけ通り抜けできひんかったわけがわかって、なんやスッキリしたわ』
『ミートゥーです。ベリーベリーミステリーでしたからね』
『だけど、アタシたち全員が壁抜けできなかったなんて、やっぱり弟さんはもとからかなりの素質だったのね。お嬢ちゃんにも直接触ることができるみたいだし。ねえ、同じくお嬢ちゃんに触れるアタシもそうだったんだけど、もしかして弟さんも、もともと見えるタイプだったのかしら?』
「だろうね。うちの一族でもかなりの上位じゃないと彼と張り合えなかったんじゃないかな」
「ああ、それで…」
天乃くんが、ぽつりと呟いた。
「それで……?」
『それで…って、何のことなん?』
『What?』
特に話すつもりはなかったのだろうけど、私たち三人から詰められて、天乃くんは「いや、実は…」と事情を打ち明けてくれた。
「俺が西島さんに大学で声をかけたのは、西島さんから強い気を感じたせいなんだけど………確か、5月の連休明けだっただろう?入学して一か月も経って急にそんな強い気を感じたものだから、反射的に警戒してしまったんだ。入学直後は祓い屋として気に留めておくべき人物がいないか大学内で意識して見ていたのに、それまで西島さんのことは一度も引っ掛かったことがなかったからね。だから、西島さんのことを要注意人物だと思ってたんだけど…」
「それは、時期的にも、引っ越ししてこの人達が見えるようになったりしたことと関係あるんじゃ……」
「いや、それは違う」
キッパリと首を振る天乃くんを、音弥は唇を真一文字に閉じて見返していた。




