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「否定はしないよ。だが、必ずしも芽衣ちゃんが見えるようになるという確信はなかった。それでもこの家を勧めたのは、芽衣ちゃんの記憶により現実性を持たせるためだ。きみは生きている。そう記憶を操作された芽衣ちゃんが、その記憶を万が一にも疑わないようにするためにね。もしきみが見えるようになったら、例え事故現場を通りかかろうと、ピアノに触れようと、芽衣ちゃんはきみの死や事故を連想したりはしないだろう。実際、お父様と顔を合わせても大丈夫だったと聞いてるよ」
「でもそのせいで姉や弟は怖い思いをしてたかもしれないじゃないですか!今はまだこの人達くらいしか出会ってないみたいだけど、この人達みたいに人間に好意的な者ばかりじゃないですよね?この先、姉と弟が危ない目に遭うかもしれない。そのときはどう責任取るつもりですか?」
「弟さんの言う通りだよ。兄さんの言い分も理解できるけど、西島さんの立場になったら…」
「私は見えるようになってよかったと思ってる。本当に」
天乃くんのセリフを遮っても、私はどうしても今すぐに伝えたかった。
「……姉さん?」
音弥を見上げて、不安に青白くなっている頬に指先で触れる。
相変わらず冷たくはないけれど、温かみがあるとも言えない感覚に、はじめて気付く。
無理もない。
だって音弥は………
「だってもしこの力がなかったら、こうして音弥にもう一度会うことはできなかったんでしょう?」
「姉さん……」
音弥は私の肩から手を離し、力が抜けたように下に垂らす。
けれどしんみりした雰囲気は、いつものごとく彼らのおしゃべりによってかき消されてしまう。
『うっ、ううっ…………姉弟って、ホンマにええなあ……』
『ザッツライ………ビューティフォーファミリーです……グズッ、ズズッ』
『………アナタたち、本当によく泣くわね』
軍服マントは呆れ口調で言ったけれど、おかげで深刻になり過ぎずに済んでよかったとも思う。
『せやかて出てくるもんはしょうがないやんか……』
『アイキャントストップです……ズズズッ』
烏帽子男の鼻をすする音が盛大に聞こえたかと思えば、万葉集女王が一気に空気を断ち切った。
『其方ら、控えよ』
とたんに、ぴたりと消える、すすり泣く声。
『其方らがそうやって口を挟んでおっては話が進まぬ。時間は無限ではないのだ。我らにとってもな』
万葉集女王は袴三つ編みと烏帽子男に告げると、南先生にも言い放った。
『其方もわかっておるのだろう?早う続きを話さぬか。時間切れなどあってはならぬ』
すると南先生は少し長めの瞬きをして
「……そうだな」
これまでよりも深く頷いた。
「話を戻そうか。芽衣ちゃんのご両親が引っ越しを決断されてからも、僕は念のため、記憶操作以外にも芽衣ちゃんに暗示をかけることにした。さっきも説明したように、記憶操作はあくまでも特定の記憶を奥に隠すようなものだ。大抵の場合はこれでほとんど思い出すことはないけれど、その人の心に深く刻まれてるようなショッキングだったり大きな出来事だった場合は、記憶操作だけでは完璧にはいかないこともあるからね。だから僕は、芽衣ちゃんが毎晩ある行為をするたびに、事故はなかった、弟さんは生きている、そう信じて疑わないという暗示をかけたんだ」
「暗示……でもその行為って、いったい何なんですか?」
ひとつも心当たりが浮かばない私に、南先生はポケットから何かを取り出した。
そして
「これだよ。毎晩寝る前に飲むように処方した、この薬だよ。これは、プラセボ。つまり偽薬なんだ」
南先生が私に見せたのは、確かに私が毎晩飲んでいる薬だ。
でも処方箋だって出してもらってたし、睡眠導入剤だと聞いていたのに……
耳を疑う気持ちでとっさに薬に纏わる出来事を思い返した私は、ふいに、合点がいく記憶にぶつかった。
………そうだ、この薬を飲み忘れたあたりから、失くしていた記憶の一部分が、少しずつ蘇ってきたんだ。
「私、薬を飲み忘れたことがあったんですけど……」
「そうみたいだね」
「ご存じだったんですか?」
「芽衣ちゃんのまわりには、心配性な連中が揃ってるからね。誰とは言わないけど、僕に注進があったんだよ」
私は横目で彼らを回し見たけど、全員がそれらしくも見えてしまう。
心配性なのは、みんな同じだから。
「そうだったんですか…」
「それとは別に、クリニックの受付スタッフからも聞いたよ。学校に忘れてきたんだって?それを聞いて、もし自宅にも常備分がないのならと思って新しい薬を持ってきたんだよ。記憶が戻りつつあるときは、現実との境で混乱する場合があるから。でも、芽衣ちゃんにはもう必要なかったみたいだけどね」
南先生は薬をしまうと、「それで、引っ越ししてからの芽衣ちゃんについてだけど」と、話を戻した。
「引っ越し初日に下の弟さんとともに芽衣ちゃんが見えるようになったと報告を受けて、僕は、タイミングを見て芽衣ちゃんに会いに行ったらどうかと弟さんに提案した。だけど弟さんはなかなか首を縦に振らなくてね。芽衣ちゃんやご家族をすぐそばで見守っていながら、自分は絶対に姿を見せようとはしなかった。それでも、ある意味芽衣ちゃんの同居相手となってしまった5人に対しての警戒心は相当でね、特に、自分がもうこの世の人間ではないということを絶対に芽衣ちゃんには悟られないようにと、5人が余計なことを言わないかずっと目を光らせていた。だから、このピアノ室にも5人が立ち入らないようにしたんだろう。結界とかバリアみたいなものが張れるならそのやり方を教えて欲しい、弟さんはある日僕にそう頼んできたんだ」
『ああ!それでなんや!うちらがこの部屋の壁は通り抜けられへんかったん』
『I see!I see!』
『だけど、経験のほとんどない弟さんが、本当にそんなことまでできちゃったんですか?』
口々に反応をしてくる彼らの合間を縫って、私は、南先生がおそらくあえて触れていなかった核について尋ねた。
「どうして、このピアノ室にこの人達が入っちゃいけなかったんですか?」
その質問をした瞬間、私以外はまるで察しがついているように、複雑そうに顔色を変えたのだ。
「先生?………音弥?」
二人を交互に見まわした。
すると、南先生は観念したように「もう、いいかい?」音弥にそう伺い立てたのだ。
訊かれた音弥は細いため息のあと、「その奥の折れ戸を開いてください」と南先生に答える。
そして言われるままに南先生がピアノの向こうにあるクローゼットと思しき折れ戸を開くと、そこには……………
「………これ……音、弥………?」
私が一度も見たことのない仏壇が、隠されていたのだった。




