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引っ越しによって自宅から大学までの距離は遠くなってしまったけれど、交通手段も大きく変わった結果、前の家よりも通学にかかる時間は大幅に短縮されることになった。
私が今の大学に進学決定してから引っ越し先を検討したようなので、ひょっとしたら両親はそのあたりのことも気にしてくれたのかもしれない。
何しろ私は、西島家全体を回していかなくてはならないのだから、通学に余計な時間は割けないのだ。
今日も講義が14時過ぎには終わるので、そのあと予約してるクリニックに寄って、帰りに食材の買い物して……18時半には夕食を用意できるかな。
簡単に段取りを浮かべながら正門をくぐったときだった。
前方で、大きな人だかりができているのに気付いた。
ほとんどが女子の集団だ。
通りがかった他の学生も、まるで磁石で引き寄せられるようにするするとその人だかりに加わっていってる。
そしてそれもまた、女子ばかりだった。
「………?」
何だろう?とは思ったけれど、基本的に人と群れるのが苦手なところがある私は、チラ見程度の興味にとどめた。
すると、その人だかりの横を通り過ぎる瞬間、ちょうど女子達の隙間から中心にいる人物が見えたのだ。
そこにいたのは、私と同じ一年生でありながら、5月の現段階ですでに大学一の有名人と言っても過言ではない、人間離れした美貌の男子学生達だった。
天乃 北斗 と 天乃 流星。
彼らは従兄弟同士だった。
それぞれがとんでもなく整った容姿をしており、共に180cmはありそうなほど長身でスタイルも良い……といった一人でもじゅうぶん目立つだけの条件を備えているものだから、二人が並んだときの威力ときたら、そこらへんにいるアイドルだって比較にならないほどだった。
私みたいに交友関係が広くないタイプの人間でも、彼らにまつわる噂はしょっちゅう耳にしていた。
他の学部の先輩が入学式の翌日に告白して振られたとか、事務の職員が色仕掛けで迫ったらしいとか、モデルをしてる女子学生がご執心で事務所のマネージャーから釘を刺されたとか、講師と車の中でキスをしていたとか、同じ一年の学生と夜な夜な構内でいかがわしい行為にふけっているとか………
真偽も出どころも不明の半ば都市伝説のような話まで、彼らの登場する噂は後を絶たなかったのだから。
だけど、平々凡々の私とは住む世界の違う人達だからと、私は特に意識にとどめることもなく、入学以来平和に大学生活を送っていたのだった。
だって、彼らと私に共通点があるとしたら、同じ学部に在籍しているということくらいだから。
今日だって、おそらく二人揃って通学してきたところを女子達に囲まれてしまったのだろう。
大変だなとか、気の毒にとか、そんな感情は持ったものの、私とはまったく無関係の出来事だと思い、彼らを取り囲む集団から離れようとした刹那だった。
かすかに、彼と目が合った………ような気がした。
曖昧な表現になったのは、目が合いそうだと察した私が咄嗟に顔を背けたからだ。
ほんの一瞬彼が視線をこちらに流しただけで、周りの女子達の目も一斉にこっちに向きそうな予感がしたのだ。
そんなの、恐怖でしかない。
ただでさえ親の職業のせいで悪目立ちしてしまうのだから、大学生活くらいは穏便に和やかに、静かに過ごしたい。
切実にそう願っていた私だったが、午前の講義を終え数名の友達と学食で寛いでいるところへ、わざわざ彼がやって来たのだ。
そして、
「俺は天乃 北斗。きみの名前を教えて欲しいんだけど」
私の平和を乱す爆弾を投下してきたのである。
「えっと………」
戸惑う私にお構いなく、背後では女子の「キャーッ」といった悲鳴が沸き立った。
すると天乃 北斗は冷静に「ここじゃ落ち着かないな」と呟いた。かと思えば、すぐさま
「ちょっとだけ、時間、いい?」
さも私と二人だけで話したいことがある風な、周りのギャラリーをさらに刺激するような誘い文句を口にしたのだ。
ただ、その口調や態度は決して甘いものではなかった。
「ええと……何の」
”何の用ですか?” そう質問するつもりが、私よりも盛り上がってる友達が先に答えてしまう。
「どうぞどうぞ、連れていっちゃって。私達には構わなくていいわよ」
「そうそう、食器は私達が片付けておくから、どうぞごゆっくり」
「あ、ちなみにこの子の名前は西島 芽衣だよ」
「西島……」
「ほら、芽衣。立って立って」
「え、わ、ちょっと……」
「じゃあね、芽衣。またあとでね」
「いってらっしゃーい」
ほぼほぼ強制的に起立させられ、ひらひらと手を振られてしまった。
まだ友達歴一か月なので、私が目立つことを好まないというのも彼女達は知らないだろうし、この展開は仕方ないのかもしれない。
大学一の有名人に声をかけられて、浮足立たない女子は少数派だろうから。
ただ問題なのは、私はその少数派だったということだ。
まだ大学ではそこまで私の両親のことは知られていないようだし、うまくいけばこのままバレずに悪目立ちせずに卒業できるかもしれないと淡い期待を持ちはじめていたところだったのに。
立ち上がってはみたものの、一歩として動こうとしない私に、天乃 北斗はふいっと踵を返した。
”ついてこい” というような眼差しとともに。
そこでまた、甲高い悲鳴が響いた。
騒ぐ彼女達には申し訳ないけれど、たぶん、いや、きっと間違いなく、天乃 北斗は私にそっち方面での用事があるわけではない。
天乃 北斗の様子からもそれは察することができるし、私は自分がモテるタイプでないことは十二分に自覚しているのだから。
それに私は、”いや、でももしかしたら朝目が合ったときに……” なんて少女漫画展開を夢見るタイプでもない。
だいたい、同じ学部には在籍しているものの、入学してから今朝まで私は彼の視界に入ったこともなかったはずだ。
正直このまま彼についていったところで厄介な予感しかしないのだけど、かといってここでこの興奮収まらない悲鳴の渦に巻き込まれるのも面倒だ。
短い思案ののち、私は消去法で仕方なく、天乃 北斗を選ぶことにしたのだった。
天乃 北斗は私が合流すると、黙って歩き出した。
彼はギャラリーの声や悲鳴は一切耳に入ってこないかのように涼しい横顔で、そしてまったく感情の読めない表情だった。
長身なのではっきりとは確認できないけれど。
でも、どことなく、雰囲気が弟の音弥に似てる気もした。
クール&ドライで、口数は多くなく、何を考えているのか読みにくい表情。
大きく違っていることといえば、身長くらいだろうか。
音弥は170そこそこだったはずだ。
最後に会ったのが今年のお正月休みだったから、そこからもしかしたら伸びているかもしれないけれど。
音弥が天乃 北斗ほど長身になったら、きっとさらにモテてしまうんだろうな………
なんてぼんやり考えていると、天乃 北斗の足がぴたりと止まった。
そこは、この時間帯は使用されていないはずの小教室だった。
「入って」
慣れた手つきで扉を開く彼に、私はふと、真偽不明の噂話が思い浮かんだ。
”夜な夜な構内で―――――”
真相は別に知りたくはないけれど、あながち、火のない所に煙は立たぬ、なのかもしれない。
私は促されるままに部屋に入りながら彼の表情を窺ったけれど、やはり、まったく読めなかった。