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「芽衣ちゃんからしてみれば、弟さんがずっとそばにいたことは、決して美談じゃないのかもしれない。自分一人だと思っていた時間が実は違った、自分には姿が見えないのに相手からはずっと見られていた、それはある意味不快なことだろうからね。僕の祓い屋の経験上では、そういう当事者が多かったの事実だ。芽衣ちゃんが弟さんのことを知ってどういう感情になるのかはわからない。でも、弟さんがそばにいてくれたおかげで、芽衣ちゃんは命が助かったんだよ」
「音弥が、助けてくれたんですね……」
胸に、温かいものが流れ込んでくる。
「そうだよ。その説明の前に、話を少し遡ることにしようか。僕は祓い屋と心療内科医、どちらも本職だという認識でいる。というのも、祓い屋としての依頼人も心療内科のクライアントも、心情や状況的に重なる部分が大きいんだ。それは生きてる人間もそうでない人間にも言えることだと思っている。だから、昔のようにただ祓って祓って祓いまくって排除するだけでは、真の意味で世界の安寧は訪れないと考えている。中にはその考えに反論する者もいるし、流星なんかはその筆頭だったわけだけど、俺の信念はゆずれない。大前提として悪事を働く者には容赦はしないよ?だけど誰かを傷付けたり迷惑かけるのでなかったら、べつに共存したって構わない。逆に早くこの世界から去りたいのに去ることができない者には、去れるようにしてやる、そんなことを続けていると、向こうでも噂が立ったようでね、芽衣ちゃんの弟さんも、誰かから僕の存在を聞いたらしい。もともと祓い屋のトップというだけでも連中の間では目立つ存在だったとは思うけど、実は芽衣ちゃんが前に住んでいたのは僕の自宅の隣町で生活圏内でもあってね。だから、とりわけ弟さんの周りにいる仲間達の間では僕は有名人だったらしいんだ」
どんな噂だったかまでは調べてないけど。
そう言って南先生はひょいっと肩をすくめてみせた。
「話を戻すけど、芽衣ちゃんが日に日に弱まっていくのをそばで見るだけしかできなかった弟さんは、自分達と共存しようとする祓い屋の僕になら、芽衣ちゃんのためにも何かができるかもしれないと考えた。現に僕のところにはそうやって突然の別れで残された人間をフォローしてほしいという者も相談に来たことがあったからね。でも残念なことに、弟さんが僕に会いに来るよりも前に、芽衣ちゃんの心が壊れてしまった」
『お嬢ちゃん……』
『NO………』
『シッ。今はお話を聞きましょう』
私は一瞬おしゃべりの片鱗をのぞかせた彼らにそっと視線を送る。
大丈夫だというメッセージを込めながら。
「それは、自宅に芽衣ちゃん一人きりのときの出来事だった。でも厳密にはそばには弟さんも一緒にいて、一部始終を目撃していた弟さんはすぐに僕のところに飛んで来た。姉を助けてくださいと。おかしな言い方になるけど、その様はまさに死に物狂いだったよ。幸い休診日で家にいた僕は、力を使って芽衣ちゃんの部屋に直接移動した。弟さんも一緒だ。芽衣ちゃんは意識がほとんどない状態で、僕は応急処置をしつつ救急と芽衣ちゃんが入院していた病院へ連絡した。芽衣ちゃんが入院してた病院は弟さんが教えてくれたからね。傍から見れば僕は芽衣ちゃんとは面識のない赤の他人だったけど、病院関係は祓い屋として貸しがいくつもあったから、僕が芽衣ちゃんの家に上がり込んだ理由も含めて、ご両親に納得いただける設定を用意するのは容易かった。その後、救急搬送された芽衣ちゃんはどうにか一命を取り留めることができた。だからといってそのまま退院させるわけにはいかないというのが医師とご両親の考えだった。そこで僕は芽衣ちゃんのカウンセリングを申し出た。ご両親に不審がられないよう、病院側からの推薦という立場でね。芽衣ちゃんは睡眠も食事もろくにとれず、事故を思い出しては過呼吸を繰り返して体力を消耗していく一方だった。だから診察でも事故の詳細を芽衣ちゃんから聞くことはできなかった。ただその間も弟さんは芽衣ちゃんのそばにいてずっと心配していたから、僕は事故の詳細を弟さんに尋ねることにした。はじめは語りたがらなかった弟さんも、芽衣ちゃんの治療に不可欠だと告げると、ようやく教えてくれた。自分が芽衣ちゃんを庇うような形になったと。それで事情を把握できたんだ。芽衣ちゃんが弟さんのことをどう思ってるのかは、それまでの診察である程度理解していたからね。だから、芽衣ちゃんが、自分よりも才能のある弟さんを自分のせいで死なせてしまった、その罪悪感で自分を傷付けたのだと結論付けた」
私は南先生の話をしっかり耳に入れながらも、きゅっと膝上で拳を握りしめていた。
自分のせいで音弥を死なせてしまったと自分を責める私。
けれどそんな私をずっとそばで見ていたのなら、音弥の方こそ、自分のせいで私を苦しませている、自分のせいで私にあんなことをさせてしまった、そう自分を責めたのではないだろうか。
膝の上で、拳が小さく震えだす。
私は、本当に、なんてことをしてしまったんだろう。
音弥をどれだけ傷付けたことか。
あのときの自分の最悪の選択を、私は猛烈に悔いた。
これで ”私は年上なんだから、姉なんだから” なんて、よく言えたものだ。
ずっと何も言わず、ただ私や家族を見守り続けていた音弥の方がよっぽど大人で、その音弥に対して私は傷付けることしかしてなかったなんて、情けなくて、情けなくて………
スッと拳に視線を落とした私だったけれど、となりから柔らかく叱られてしまう。
「姉さん?言ってるそばから、また自分を責めてるんじゃない?」
私はおずおずと音弥を見上げた。
音弥は、今の状況でどうしてそんな顔ができるのか不思議なくらい、澄んだ微笑みを浮かべて、首を振った。
「何度も言うけど、俺のことは、姉さんのせいじゃない。責任を感じたり申し訳ないと思わないで。もし思ってしまったときは、俺がそれを許さないと言ったことも一緒に思い出して。姉さんの真面目で思慮深いところは長所だけど、短所だよ」
しょうがないな、そんな呆れを表情に加え、音弥は私の肩にとん、と手のひらを乗せた。
間違いなく、右肩にその感覚があった。
だけど、果たしてそこに重さがあるのか、それはわからなかった。
触れることはできるのに、確かに以前とは違っている。
残酷な事実に胸が潰れそうになったそのとき、南先生も少しだけ笑みをこぼした。
「きみたちは本当に似た者姉弟だね。二人とも繊細で、自分よりも相手を思いやる。優しい姉弟だ。僕たち兄弟とは大違いだね。そう思わないか?北斗」
「まあ……」
『あら、アナタたちも素敵な兄弟だと思うわよ?』
『せやなあ……あんま知らんけど』
『イグザクトリーです。ヒズブラザーとはファーストミーティングですからね』
彼らはいつでもおしゃべり再開できるのだと言わんばかりだけど、それに混じらなかった万葉集女王は、私の背後からまっすぐに告げてきた。
『其方は良い姉だ。下の弟御が家に戻らぬとき、其方の態度は申し分のない姉のそれであった。我に対する言葉も、面差しも、すべてが良い姉だということを示しておる。ゆえにそんな其方を救いたいと願った上の弟御の思いもまた、想像に難くない。彼の出来事はまことに不幸な結果をもたらしたが、誰のせいでもない。そしてそんな其方が彼の選択をとったこともまた、誰のせいでもない。それはゆめゆめ忘れるでない。その上でこの先の話を聞くといい。さあ、其方。続きを聞かせよ』
万葉集女王は柄の長い団扇をピシッと南先生に指したのだった。




