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烏帽子男の雄叫びが爆発し、アリーナじゅうに響き渡ると、次の瞬間、観客席で私と音弥に襲いかかっていた学生達が一斉に宙に飛ばされた。
空気が弾ける感覚があって、その一瞬だけはピシッと波動のような刺激が走った。
けれどそのあとはまるでスローモーションみたいにゆっくり、ゆっくりと、彼らの体は四方の空中に浮かんでいったのだ。
それは、映画のような光景だった。
重力を完全無視で、彼らはゆらゆらと空間を浮遊していく。
でもその緩慢な動きは彼らだけで、私や音弥には何も影響を及ぼしていない。
「どうなってるんだ……?」
殺気を緩めた音弥は普通に声を出せたし、私も顔を右、左に動かすのになんの遮りもなかった。
どうやら一階でも同様のシーンが広がっているらしく、一階で天乃くんや万葉集女王が相手していた学生達もみな同じ状況のようだ。
天乃 流星と原屋敷さんはそれぞれ天乃くん、万葉集女王に拘束されていたけれど、軍服マント、袴三つ編みは、私や音弥とさほど変わらぬ驚きの表情を浮かべていた。
これは、本当にあの烏帽子男の仕業なのだろうか。
あの烏帽子男に、こんな力が?
でも確かに彼だってゴーストなのだから、どんな能力を持ってたとしても不思議はないだろう。
なのに当の本人は学生達にもみくちゃにされていた烏帽子いそいそと拾い上げると、
「Oh、無事でしたね。Good!」
まったく場違いな暢気声を放ったのだ。
「人の烏帽子を何だと思ってるんでしょうね。まったく、Bad guy です!」
飛ばされた学生達のことなんか微塵も見向きもしない烏帽子男。
大切な烏帽子を奪われたのだからしょうがないのかもしれないけど、私はそんな彼とは違い、飛ばされた学生達の行方を気にせずにはいられない。
すると彼ら一人一人の顔がはっきりと見えてきて、意志を持っていないはずなのにそれは苦痛に歪んでいるような気がした。
まるで彼らだけが時空の歪みにいるような極遅速度だけど、決して停止してるわけじゃない。
彼らのうち、私の視界にいた一人は、このままだと壁に頭を打ち付けそうだ。
そう気付くや否や、
「ぶつかるっ!」
私は衝動的に口走っていた。
「姉さん?」
「What?」
音弥と烏帽子男が素早く反応してくれたけど、二人が学生に振り返った時、私の鼓膜の奥でキ―――――ンッと、ものすごい耳鳴りが鳴ったのだった。
あまりの大きさに、耳を塞がずにはいられない。
「姉さん?どうかした?」
音弥の声も、耳鳴りでかき消されそうなほどだ。
こんなに大きな音なのに、音弥には聞こえてないの?
やがてその音は数秒ほどで鳴り止んだものの、耳から手を離した私はふと違和感を覚えた。
「え…………?」
もう少しで壁にぶつかりそうだった学生が、その体を宙に浮かせたまま、そこに貼り付けられたように止まっていたのだ。
彼一人だけじゃない、他の観客席の学生達も一階も、さっきまでスローモーションのようにゆっくりゆっくり飛ばされていた彼らがみんなその場で一時停止していたのである。
「どういう、こと……?」
私は、また烏帽子男がやったのかと彼を見た。
おそらく音弥も同じことを考えただろう。
けれど烏帽子男は烏帽子を被り直しながら「Oh……」とあたりを見まわし、なぜか会得したように軽く頷いたのだ。
「ナイスタイミングですね」
「あなたが、やったんじゃないの?」
「NO WAY!こんなことができるのはジャストワンパーソンです」
烏帽子男だけじゃなく、一階からも同意の声が上がった。
「めっちゃタイミングばっちりやな。さすがやわ」
「本当にね。アタシたちのボスは、仕事が正確だわ」
彼らのボスといえば、
「ハラさん……」
つまり、南先生のことだ。
さっきも音弥が南先生の関与を匂わせていたけど、このアリーナにその姿は見当たらない。
じゃあ南先生は、この場にいないにもかかわらず、こんな風に学生達の動きを封じることができたっていうの?
「まったく余計なことをしてくれる!」
空中で止まってしまった学生達を憎々しげに見上げ、天乃 流星が怒鳴った。
「大人しくしておけ」
天乃くんが一層強く従兄弟を拘束する。
一時停止したのは学生達だけで、天乃 流星と原屋敷さんは拘束されているものの、会話はできる状態のようだった。
「ねえ、待ってよ。私は北斗のためを思って…」
「俺は何も頼んではいない」
原屋敷さんの縋るような哀訴にも、天乃くんは揺るがない。
「でも北斗言ってたじゃない!自分が当主になったらもっと世界を良くできるって!」
「違う。もっと世界のために役立てると言ったんだ。それに、俺が自ら当主になったらなんてもしもの話はしてない。なりたいと言ったこともない。よく思い出せ。その話を最初に持ち出したのは誰だ?」
即否定した天乃くんは、原屋敷さんを見下ろしつつ、自分が押さえつけている天乃 流星にも一瞥を落とした。
「思い出せって………あのときは、私と北斗と流星がいて……………まさか、流星?」
原屋敷さんは思い当たったように天乃 流星を睨みつけた。
「ねえ、あのとき、流星が言い出したんだよね?北斗の方があの人より祓い屋のトップに相応しいって!」
拘束されている自身の体を激しく左右に振り、天乃 流星を責める原屋敷さん。
けれど天乃 流星は「人のせいにするなよ」と自分は関知してないと聞き流した。
「白を切るつもり?!北斗は本当は当主になりたがってるって、そう言ってたじゃない!」
「俺はそんなこと言った覚えはない。お前が勝手に勘違いしたんだろう?」
「ふざけないでよ!じゃあ、じゃあ………あの人を当主の座から引きずり下ろしたあと北斗を当主にさせるって話は嘘だったの?私を騙したの?!」
原屋敷さんが徐々にエキサイトしていくと、私を抱えていた音弥が「もういい」と低く唸った。
そしてタッ、と観客席の手すりからジャンプして。
――――落ちる!
心臓がひやっとしたけれど、音弥の着地はふわりと、1mmも振動の感じない丁寧なものだった。
音弥は天乃 流星と原屋敷さんの間に降り立ったけど、私のことは下ろさないままで吐き捨てたのである。
「内輪揉めはよそでやってくれ」
それは、とても血が通ってるとは思えないほど、冷え冷えとした物言いだった。




