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このどう見ても社交的ではない音弥に向かって ”おしゃべり” とは、まったくもって意外な表現だ。
音弥本人も全然しっくりきてないようで、黙ったまま軍服マントを見据えている。
「え…でも音弥は、どちらかというと口数の少ないタイプだと思うけど……?」
私が合の手を入れると、それでも軍服マントは『あら、口数が少なくても彼はとってもおしゃべりよ?』と一歩も退かないのだ。
口数が少ないのにおしゃべり……まるで謎かけのような言いまわしだ。
私と同じく頭の中に?マークが浮かんでいるだろう音弥の後ろでは、烏帽子男と袴三つ編みが見守るように微笑んでいる。
二人は謎かけの答えを知っているのだろうか?
音弥はハァと小さく息吐くと、じろりと軍服マントを見上げた。
「俺のどこがおしゃべりだっていうんですか?」
『目よ』
即答だった。
軍服マントはずいっと顔を音弥に近寄せて、角度によってはキスでもしてるように見えそうなほどの距離で、その双眸を捕らえた。
「目……?」
いきなりの超至近距離に、さすがに音弥もたじろぎを見せる。
けれど軍服マントの方は飄々と、この場面を楽しんで演じていた。
『そうよ?そのまっすぐな目は、一昨日も、今も、明確に訴えているもの。”俺の大切な姉さんを少しでも傷付けたりしたら、絶対に許さないからな” ってね』
「―――っ!」
ピクリと、音弥の肩が揺れる。
図星、だったのだろうか?
『あらやだ、ひょっとして自分では気付いてないのかしら?あんなに雄弁に語っておいて?』
『せやせや、そんな感じやな』
『アイ アグリーです。ミスターブラザーは、シスターのことをベリーベリーウォーリーしてますね。ユア アイズはベリーベリーおしゃべりです』
袴三つ編みと烏帽子男も加わって、音弥ににじり寄っていく。
三人からじっくり見つめられ、音弥は居心地悪そうに顔を逸らした。
「………そりゃ、姉が傷付くところなんて見たくはありませんよ。家族なんですから、大切に思って当然でしょう?」
音弥はわずかばかりに照れたような横顔をしていた。
弟から ”大切” と言われるなんてはじめてで、私こそ照れてしまいそうだ。
でも今照れていたりしたら、何か大事なことを見逃してしまいそうな気もして、私は音弥から目を離したくなかった。
『あなた達は本当に仲のいい姉弟なのね』
「皮肉ですか?」
『まさか。感心してるのよ。アタシも生きてるときにちゃんと家族に大切だって伝えておけばよかったわ。……ま、もう手遅れなんだけどね』
『そんなん言うたら、うちらなんて手遅れすぎるわ』
『イグザクトリーです。もうサウザンドイヤーズアゴーですからね』
「……1000年?」
音弥が私にちらりと視線を寄越す。
どういうこと?本当に?そんな確認を求める目だ。
こうしてみると確かに、音弥の目はおしゃべりなのかもしれない。
ただ、私も烏帽子男の過去は詳しく知らないので、曖昧に頷くしかできなかったけれど。
すると音弥はこの話に先はないと判断したのか、私から彼らに顔を戻すと、きりりとした口調で話題を変えた。
「ところで、一昨日はあなた方の他にもいらっしゃいましたよね?今日はご一緒じゃないんですか?」
『あら、あの二人のことを言ってるのかしら?あの人達なら、今は見回りに行ってるわよ?』
「見回り……?」
軍服マントに訊き返したのは私だ。
『そうよ?このご近所の見回りよ』
「見回りって、あの見回り?こんな雨の中?」
果たして彼らに雨という概念が作用するのか定かではないけど、彼らから ”見回り” なんて単語をはじめて聞いた。
『ちょっと警戒するように言われてん』
『イッツベリーインポータントですからね』
「警戒するようにって、誰に言われたの?」
そう尋ねながらも、内心ではたった一人の名前が思い浮かんでいた。
『誰って、ハラさんやで?』
袴三つ編みの返事は、私の予想通りの人物だった。
「ハラさん?」
「ええと、ハラさんっていうのは、この人達のまとめ役というか、管理人?みたいな人らしいの」
疑問の声をこぼした音弥にかいつまんで説明すると、「へえ…」と一応は理解してくれた。
「でも、どうして警戒する必要があるの?というか、あなた達が今朝いなかったのは、ハラさんに会いに行ってたの?」
『せやで?昨日呼び出されてん』
『ミーティングにアテンドしましたね』
「ミーティング?」
『そうなのよ。これまでも時々ハラさんがここに来て色々話をすることはあったのだけどね、ほら、今はお嬢ちゃん達家族が住んでるでしょう?だから今回はハラさんのお家に呼び出されたのよ』
「え、でもあなたは昨日ここにいたわよね?」
うなされてる私のそばに寄り添ってくれていた。
姿は見なかったけれど、確かに扉一枚挟んだ廊下からは軍服マントの声と気配があったもの。
『そうね、お嬢ちゃんがちゃんと眠るまでは、お嬢ちゃんのそばにいたわ。でもそのあとはみんなと合流したのよ』
「そうだったんだ……」
するとここで音弥が「ちょっと待って」と入ってきた。
「姉さん、昨日何かあったの?」
勘の鋭い弟は、何気ない軍服マントのセリフからも色々察してしまったようだ。
「まあ……ちょっとね。でも大丈夫。体調に波があるのは仕方ないことだもの。風邪だってそうじゃない?元気になったなと思っても、しばらくしてぶり返すことだってあるでしょ?それと同じよ」
我ながら、いい例えだと思う。
音弥も「まあ、そうだけど……」と深くは追及してこなかった。
私はその隙に彼らに話題を戻した。
「それで、警戒ってどういうこと?ハラさんが、みんなに警戒しろって命令したわけ?」
『ザッツライトです!』
「警戒って、何を警戒するの?」
『まあ、ざっくり言うたら、お嬢ちゃん達家族を守ったって、みたいな感じやな』
「俺達家族を?」
『そうよ?もちろんその中にはあなたのことも含まれてるのよ?弟さん』
軍服マントににっこり微笑まれて、音弥は口を噤む。
反応に窮した雰囲気だった。
それより、ハラさんとやらの命令は不穏の予感しかない。
私は過呼吸とは違う種類の胸苦しさを覚えていた。
「ねえ、まさかとは思うけど……みんなが警戒しなきゃいけないほどの何かが、ものすごく悪いこととかが、これから私達家族に起こったりするの?っていうか、ハラさんっていったい何者なの?祓い屋っていうのは聞いたけど、どこの誰?私の知ってる人?」
自分でも切羽詰まった訊き方だったと思う。
そんな私に三人はパッと顔を見合わせた。
そして一斉に笑い出したのだ。
『No wayですよ!』
『せやせや、そんな未来を予言するなんて、いくらハラさんでも無理やって』
『そうよ?ハラさんはお嬢ちゃんがアタシ達のことを見えてるってご存じだから、それならアタシ達が見えるせいで面倒かけないよう、ちゃんと守ってあげなさいねって仰ったのよ。もちろん、弟さんも一緒にね』
軍服マントはまた音弥にウインクを投げる。
どうやら音弥のことを相当気に入ったようだ。
音弥はちょっと居心地悪そうにしていたけれど。
でも、私の不安は急速に軽減していった。
祓い屋という存在から、てっきりハラさんなる人物は未来を見抜いてしまうんじゃないか、それで私達家族に良くないことが起こると予見したんじゃないか、そう思ったからだ。
でも三人の返答からはそんな漫画みたいな展開はなさそうで、ホッとした。
いや、三人の存在こそが、すでに漫画みたいな展開なんだけど。
私は黙って自分自身に突っ込みつつ、もう一つの疑問を三人に投げかけようとしたその時だった。
ヴ――――ッ ヴ―――――ッ ヴ―――――ッ
スマホがけたたましく震え出したのだ。
反射的にビクリとしたけれど、着信画面に文哉の小学校が表示されていたので、大急ぎで通話に切り替える。
「はい、もしもし。……………はい、そうです。姉の西島 芽衣であってます。……………え?川が?………はい、わかります。…………そう、ですか………いえ、両親も今日は仕事で帰らないことになっていまして。………そうですね、その方がいいかもしれませんね。それは先生にお任せします。…………はい、わかりました。それでお願いいたします。……はい。それではよろしくお願いいたします」
私の通話中、音弥も他の三人も、息を詰めて聞き耳を立てているのがよくわかった。
通話を終えて真っ先に訊いてきたのは袴三つ編みだ。
『なんやったん?弟くんの学校の先生からやんな?』
『Why?何があったのですか?』
『弟さんに何かあったのかしら?』
「姉さん?川って何?文哉は大丈夫なの?」
結局は全員から矢継ぎ早に質問されてしまう。
それだけみんなが文哉を気にかけてくれてる証拠なのだろうけど、緊急事態発生の一報を聞いたばかりの私は、まず自分を落ち着かせようと思った。
ごく短い呼吸を数回、そして二度ほど唾を飲みこむ。
それから、今知らされた情報を順に追って説明した。
「それが……小学校近くの川がこの大雨で氾濫しかけてるみたいなの」
『え?それはえらいこっちゃ!』
『イマージェンシーですね!』
『それで弟ちゃんは?』
「車で大まわりしたらここまで帰って来られるかもしれないけど、私はまだ免許持ってないし、どっちにしろ途中で地盤が緩んでる場所もあるみたいで、土砂崩れが起こらないとも限らないから、こっち方面に家のある児童は警報が出てるけど学校で待機させますって」
『賢明ね。無理に帰ってきて事故に巻き込まれたりしたら大変だもの』
『イグザクトリーです。このヘヴィーレインはストッピングしませんからね』
『でも夜になっても雨あがらんかったら、弟くんはどうすんの?学校に泊るん?』
「その時はまた先生が連絡をくださるって………音弥?どうかした?」
途中から黙り込んでいた音弥に話を振ると、思案を解き、おもむろに頭を上げた。
「俺はこのあたりの土地勘はまだないけど、確か地図で見た記憶では、ここは小学校や駅方面の北側と、反対に山方面の南側、両方に大きめの川が流れていなかった?」
「そう……だね。あんまり山方面は行かないからちゃんとは見てないけど、確か、小学校近くの川と同じくらいの大きさの川があったはず」
うっすらと記憶に残していた情報を告げると、袴三つ編みが『っちゅーことは!』と、なにやらテンション高めに声を弾ませた。
「なに?急に大きな声出したりして」
『え、お嬢ちゃんは気が付かへんの?』
「だから、なに?」
『小学校近くの川が氾濫しかけてるっちゅーことは、もう一個の川かて同じちゃうん?』
「そりゃそうでしょうけど……」
いまいちピンと来てない私を横目に、軍服マントと烏帽子男はなにやら閃いたようだった。
『ああ、そういうこと?』
『Oh、イッツミステリーですね』
「は?ミステリー?」
ちんぷんかんぷんだ。
そんな私に焦れたのか、袴三つ編みは『陸の孤島やんか!』と叫んだ。
『ええか?北側も南側も川が溢れて通行止めになったんやったら、ここは陸の孤島になるやん!』
『推理小説によく出てくるパターンよね。古びた洋館とか、豪華客船ってパターンもるけど、嵐で交通手段が分断されるのが一番ドラマチックだと思うわ』
『クローズド・サークルですね!』
「いやいやいやいや、西にも東にも道路はあるし、ここはうち以外にもご近所さんいっぱいいるし!」
大いに突っ込んでいると、音弥が「いや……」と渋い表情で言った。
「西側は下っていってアンダーパスになってたはずだし、東側には田んぼが広がってたはず。どちらもここまでの大雨では通行は難しいいかもしれない。無理したら絶対に通れないということもないかもしれないけど、おおまかに言ってしまえば、あながち陸の孤島というのも嘘ではないと思う」
「そんなばかな……」
思わず苦笑いがこぼれそうになったとたん、
ガッシャ―――――ンッッッ!!!
地響きとともに雷の爆音がすぐそばで破裂したのだ。
『ヒィィィィィッ!!』
『オーマイガ――――――ッシュ!!』
『あらまあ大変!落ちたわね』
三人に負けじと、私も身を竦ませる。
けれどその直後、
ピーンポーン、ピーンポーン………
この大雨の中、陸の孤島と化した我が家に、来訪を報せる音が鳴り響いたのだった。




