5
音弥の言ってることが、すぐにはわからなかった。
でも、私の身のまわりで奇妙と形容されるものは、たったひとつしか思い浮かばなくて………
「――――っ!?」
一気に理解が駆け上ってくる。
「音弥……?まさか………」
驚愕に言葉が続けられない私をよそに、音弥は平然と「ああ、やっぱり」と頷いたのだ。
「姉さんにも見えるんだ?」
「見えるって……」
「だから、あの奇妙な連中だよ。平安時代の貴族みたいな男とか、袴姿の女とか、漫画のキャラみたいな服の男とか……他にもいるみたいだけど」
音弥が言ってるのは、間違いなく彼らのことだ。
つまり、音弥にも、私や文哉のように彼らが、ゴーストが見えているのだ。
「………姉さん?」
「まさか、音弥も裏庭の木に話しかけたの?」
「は?」
「だって音弥にも見えてるんでしょ?ゴーストが!」
「ゴーストって……幽霊ってこと?」
「幽霊じゃなくてゴーストよ!って、今はそんなのどうでもよくて、………裏庭の木に、話しかけたわけじゃ、ないの………?」
きょとんと見つめ返してくる音弥に、私の言葉の勢いは萎んでいく。
裏庭の木は、関係ないの?
「裏庭の木って、あそこにある大きな木のこと?それがどうしたの?」
音弥は縁側越しの裏庭を指差した。
「どうしたって……音弥、一昨日ここに来たとき、あの木に何か話しかけたりしたんじゃないの?」
それ以外、考えられなかった。
なのに音弥は本気で訳がわからないといった様子で。
「何それ。一昨日は庭なんて一度も行ってないけど。姉さんとほとんど一緒にいたし」
確かにそうだ。
一昨日、音弥はここに立ち寄った程度で、時間にしたら大した長さではなかった。
二階の自分の部屋に一人で上がった時間もあったけど、その隙に私の目を盗んで裏庭まで行くなんて不可能だっただろうし、その必要性も見当たらない。
「でもじゃあ、なんで………」
見えるの?
「見えるのかって?」
私の心の声と音弥の声が見事に重なった。
私は無言でこくんと首を縦に振った。
すると音弥は若干視線を彷徨わせ、躊躇いを覗かせつつも、「実は、」と教えてくれた。
「昔から、その類のものが見えるタイプだったんだよ」
「ええっ?そうなの?」
「ほら、姉さんに言うとそうやってびっくりさせると思ったから、ずっと言わなかったんだよ」
「あ……ごめん」
「別に謝らなくていいよ。怖がらせたくなかったし、だいたい、俺自身だって霊感とか信じないタイプだし」
「実際に見えてるのに?」
「ただ見えるってだけで、他に特別なことなんてないし」
「でもじゃあ、音弥は、その……ずっと前から、ゴーストが見えてたの?」
「うん」
「子供の頃から?前の家でも?」
「そうだよ。ずっと昔から見えてたし、前の家でも、街中でも、学校でも、それから…この家でも」
「だったらどうして一昨日言ってくれなかったの?」
その質問には、音弥はまた躊躇いを挟んだ。
普段は感情が表に出にくい音弥だけど、さっきといい今といい、今日はやけに迷いを隠さないように感じた。
それは、私への配慮から生じるものなのだろう。
けれどややあって、音弥は吹っ切ったように告げた。
「それは…………姉さんが、本当に奴らが見えてるのか確証がなかったから。でもその割に、奴らの方は陰で姉さんのことをよく知ってそうな会話をしてたから、ちょっと様子を見ようと思ったんだ」
陰で……?
私はにわかに引っ掛かった。
「……それって、ゴースト達が、私のいないところで私の話をしてたっていうこと?」
「そうだよ」
「どんな話をしてたの?」
「それは……別にたいしたことない内容だよ。ただ、姉さんのことを知ってる風だったから、あいつらが何か悪さするつもりなんじゃないかと警戒してたんだ。でも、帰る間際まで様子を見てたら、どうやら姉さんもあいつらのことを知ってる感じだったから……」
「ああ……うん、実は、この家に引っ越してきてから見えるようになったんだよね。文哉も一緒に」
「え?文哉も?」
「うん。最初は私だけだと思ってたんだけど、どうやら、裏庭の木に話しかけた人は見えるようになるみたいで、ここに引っ越してきた日に私と文哉が揃って話しかけてたのよ」
「裏庭の木って、さっき言ってた?」
「そう」
私は縁側に移動し、窓を開けた。
雨の勢いはいくらか減っていて、少し開くくらいは問題なさそうだ。
「……あの木よ。大きいでしょ?」
音弥は私の隣に並ぶと、私の指差す方をしっかり見つめた。
その割には「へえ……」と呟いただけで、「それより、その話は誰に聞いたの?」と追及してきたのだ。
「ゴーストの一人よ。一昨日見なかった?奈良時代っぽい服を着た女の人」
すると音弥は「ああ、あの人…」と思い当たったようだった。
けれどそれ以上に気になることがあったらしい。
「そんなことより、さっきから ”ゴースト” って、何? ”幽霊” じゃないの?」
くるりと裏庭に背を向けて、今度はじっと私の目に照準を合わせた。
まるでわずかな嘘でも見抜いてみせる、そんな意志がひしひしと伝わってくる。
音弥も見えるとわかったのだから、お互いに見える者どうし、その件については隠すこともないだろう。
だから ”ゴースト” と呼ぶのが彼らからのリクエストなのだと正直に答えてもいいはずだ。
でも、さっきの音弥の言い方を考えると、あまり私が彼らと近い距離にいるのは教えない方がいいかもしれない。
音弥は家族のことを誰より心配する性格なので、もし私と彼らが毎日親しく言葉を交わす間柄だと知れば、余計な心労を与えかねない。
こんな至近距離で聡い弟の詰問から逃れるのは容易いことではないけど、ここは頑張って誤魔化そう。
そう決めた。
なのに、その私の決意をひょいっと摘んで持ち上げてぱくっと飲み込んでしまうような気軽さで、まさに絶妙のタイミングで、彼らが華々しく帰還したのである。
そう、壁抜けという、彼らにしかできないであろう、派手な登場方法で。
『ちょっとちょっとお嬢ちゃん、そこはホンマのこと言うてええんちゃうん?』
『ザッツライトです!ホワイ?ユアブラザーにアンサーしないのですか?』
壁の中からにゅっと出てきた彼らに、音弥はびくりともしなかった。
さすがに、昔からこういう存在を見慣れてきているだけはある。
『まあまあ二人とも、落ち着きなさいな。きっとお嬢ちゃんは余計なことを言って弟さんを心配させたくないんじゃないかしら?』
ぐっさりと軍服マントに図星を突かれた私は、三人の登場以上に驚いてしまう。
そしてそれはあっさり音弥にも見抜かれて。
「姉さん、俺を心配させたくないなら、ちゃんと本当のことを言って」
きつく凄まれて、それでも平然と嘘をつけるほど私は図太くなかった。
「……そんな、畏まって言うほどのものじゃないんだけどね、私がこの人達を ”ゴースト” って呼ぶようになったのは……」
『ザット イズ マイ リクエスト です!』
私のセリフを奪って得意気に答えたのは、もちろん烏帽子男だった。
あまりにも胸を張り過ぎたせいか、今日もまた烏帽子がぽとんと落ちてしまう。
『Oh、ソーリー』
いそいそと烏帽子を拾う姿も、もうお馴染みだ。
けれどそんなコミカルな光景にもにこりともしないのが我が弟だった。
「姉さん、この人達とそんなに親しくしてるの?」
リクエストを聞き入れるほどに?
言外にはそんな否定的な響きが聞こえた。
「親しくというか……まあ、普通に会話はしてるけど」
「毎日?」
「まあ、ほぼ」
「このこと父さんと母さんは知ってるの?」
「いや、それは……知らないんじゃ、ないかな」
「じゃあ、」
『なあなあ!うちらのことシカトせんといてよ』
音弥がなおも質問攻めを続けようとしたところを、袴三つ編みが割って入ってくれた。
おかげで、弟の鋭い視線からは逃れることができた。
「ちょっと黙っててもらえますか」
にべもなく言い放つ音弥。
袴三つ編みはその冷たい反応に目をまん丸くさせた。
『自分、ごっつクールやなあ…』
『ソークールですね』
てっきり怒るかと思いきや、二人ははなぜか好意的に受け取ったようだった。
クール………そうきますか。
掴みどころのない彼らの反応がちょっと面白かった。
一方、適当にあしらったつもりの相手からクールと褒め言葉のニュアンスが返ってきて、音弥は若干戸惑いを見せた。
「………めでたい奴らだな」
ぽそっと零した音弥の呟きを、いち早く拾い上げたのは軍服マントだった。
『そうよ?アタシ達、いつもおめでたいの。だって気持ちくらい明るくいなきゃ、やってらんないじゃない?アタシ達ゴーストなんだから。死んじゃってるんだから。弟さんもそう思うでしょ?』
『そうそう、ホンマにその通りやで。うちらみたいな存在が暗うしとってみ?ただの怨めしやぁ――――って喚きちらしとるお化けと同じやん。そんなんアホらしいやろ?』
『イグザクトリーです。そうならないためにも、ゴーストとコールしていただいてるわけですから』
『そういうこと。どう?弟さんも、ご理解いただけたかしら?』
軍服マントはウインクと共に音弥に目線を送った。
テンポよく…よすぎるテンポで飛び交う会話を、音弥は黙って聞いていたものの、発言権が自分にまわってきたところで、深いため息を吐き出したのだった。
「なんとなく流れはわかりました。ついでに、あなた方が非常におしゃべり好きだということも」
それは、私が彼らと出会った頃、真っ先に抱いた感想だった。
やっぱり姉弟なんだなと、しみじみ思えて、それが嬉しかった。
けれど何やら、軍服マントは不服そうに唇を尖らせた。
『あらあ?おしゃべりなのは何もアタシ達だけじゃあないと思うのだけど?』
「……何が言いたいんですか?」
ゴースト相手でも一応の礼儀を保ちながらも、音弥はどこか戦闘姿勢な物言いだった。
でももちろん、軍服マントはいつもの飄々としたペースを崩したりはせずに。
『あなただって、結構なおしゃべりだと思わよ?』
やけに確信めいてそう告げたのである。




