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「…………流星が、すまない」
天乃くんが小声で言った。
ボリュームを絞ったのは、残された私達二人への注目がまだ続いてるせいだろう。
私はわずかばかりに首を振って、”大丈夫” だと無言で答えた。
すると天乃くんはすいっと私の方に体を屈ませて。
「今日の昼休みに、電話をくれないだろうか」
「え?」
私にしか聞こえていないだろう耳打ちに、戸惑いを隠せない。
電話って、今こうして顔を合わせてるのに、わざわざ電話を?
けれど天乃くんは私の反応はお構いなしだ。
それはどことなく急いでる様子にも感じられた。
「俺の番号はまだ持ってる?」
「………一応、アドレスには入れてるけど………」
「だったら、頼む。俺は今日はもう帰るから」
「えっ?」
天乃くんに合わせて声を落としていたけれど、天乃 流星に続いての自主休校宣言に、思わず驚きの声をあげてしまう。
天乃くんは若干困った風に眉を動かすと、「じゃあ、頼んだよ」と言い残して、まるで先に退場した従兄弟を追いかけるように足早に去っていったのだった。
今日、昼休み、私が天乃くんに電話を………?
天乃くんがいなくなったことで即解散となったギャラリーに混ざりながら、私の頭の中はクエスチョンマークだらけになっていた。
態度が豹変した天乃 流星に、突然私に電話を掛けてこいと言った天乃くん……
天乃 流星は、天乃くん…天乃 北斗が私に声をかけてきた理由を知っているとも言っていた。
どう考えても、私には天乃 流星に責められる理由も、天乃 北斗に電話を依頼される理由も、もとを辿って天乃 北斗に絡まれる理由も、何も心当たりはないのに。
でもひょっとしたら、天乃 北斗への電話で何かが解明されるのかもしれない。
だとしたら、私が電話をかけない理由はない。
私はひっそりと心を決めて、他の学生達に紛れるようにしてその場を離れたのだった。
なるべく目立たないように、日々そう意識してるつもりなのに、やはり今朝の出来事は大学内トップゴシップのごとく人の間を伝播していったようで、行く先々で男女問わずたくさんの好奇の視線を投げつけられた。
友人達の耳にもその噂は入っていただろうけど、彼女達は気を遣って何も訊いてこず、でも私と一緒に行動してるとその彼女達まで巻き込んでしまいそうで、私は講義以外はなるべく一人で行動するようにしていた。
人目の少ないロッカールームや図書館で時間を潰しながら、昼休みになるのを待った。
そして午前の講義が終わり、友人達とは別れて、ロッカールームの隅にある、入り口からは死角になっていてほとんど学生の来ないベンチ前の壁にもたれながら、天乃 北斗に電話をかけた。
1コール、2コール、3コール……4コールめがはじまる直前で、プツリとコール音が途切れた。
《―――――もしもし。西島さん?》
「もしもし。天乃くん、だよね?」
思っていたよりも普通に話せている自分がいて、ホッとする。
《わざわざごめんね。でもあの場だと他の人間にも話を聞かれそうだったから。今そっちの周りに人はいない?》
「うん、今ロッカールームだから」
《そうか、よかった。あれから大丈夫だった?何か嫌なこと言われてない?》
天乃くんが私を心配してくれてるのはよくわかったけど、私は大きな違和感を覚えた。
だって、今電話してる天乃くんと、私がいつも大学で会っていた天乃 北斗、二人がまったくの別人のように思えたのだから。
「あの……、本当に、天乃くんなの?」
《そうだけど、どうして?》
「ええと……ちょっと、なんだかいつもと違う感じがして。その………しゃべり方とか」
電話の向こうからは《ああ…》と納得声が聞こえてきた。
《ごめん。外ではなるべく素を出さないようにしてるんだ》
「え?……”す” ?」
《本当の自分、てとこかな》
「ああ!”素” ね?ごめんなさい、すぐにちょっとわからなくて……。でも、ということはつまり、大学でいつも見かける天乃くんは、本当の天乃くんじゃなかった……ということ?」
クール、素っ気ない、感情が顔に出ない、天乃 北斗を形容する言葉はそういった類のものばかりだった。
いつも一緒にいる従兄弟の天乃 流星が明るく社交的だったことから、余計にそう見えたのかもしれないけれど、実際に接した私の感想も、おおむね噂と違いなかった。
………いや、でも昨日家に来た彼は、いつもと違うように感じた。
よくよく思い返してみると、それは、まさに今電話越しの彼に抱いた印象と同じでは?
それに、言われてみれば、確かに昨日も今も、大学からは離れている。
そういうことなのだろうか?
《大学での俺も、本当の俺じゃないというわけではないんだけど……あえて言うなら、気を張ってる自分?》
「ああ、なるほど」
それは率直に頷けた。
ただ、そのあとに続いた天乃くんの説明には、首を傾げたくなる面もあった。
《俺は見た目も性格もどうも舐められやすいみたいだから、外では気を張って厳しい態度に徹してるんだ》
「舐められやすい………?」
その表現はいまいち腑に落ちなかったのだ。
確かに今の口調や物腰は柔らかくて穏やかだとは思うけれど、でも、舐められやすいって………いったい誰に?
友達?
大学関係者?
それとも………
天乃くんを侮っている人が、近くにいるのだろうか?
そんな疑問が芽生えるも、その芽はすぐに刈り取られることになった。
《素の俺は、まだまだ高校生に見えるらしいから》
「あ、そういうことね」
今度こそ完全に理解した。
私は気を張ってる天乃くんしか記憶にないから今ひとつ同意しかねるけど、童顔というカテゴリーにおいては非常にシンパシーが持てたのだ。
「私もよく言われる。役所とか行っても子供扱いされたりして、結構困るのよね」
《西島さんも?》
「うん。あ、じゃあ今は素の天乃くんなんだよね?だったら、家に戻ってるの?」
天乃くんの態度の違いが解決すると、次は、そこに天乃 流星も一緒にいるのかが気になったのだ。
従兄弟なのだから、天乃くんも素の状態でいられるだろうし、彼は、天乃 流星を追いかけるようにして帰っていったのだから。
だけど天乃くんは《うん、まあ》と答えると、その唇を閉じないまま、
《それより、わざわざ電話をもらった訳なんだけど》
と本題を持ち出してきたので去る。
私はその流れに多少の強引さを感じつつも、「…うん」と応じた。
天乃くんの話し方が柔らかくなったせいか、それとも人目がないおかげか、私はいつもよりは気構えずに彼の話に耳を傾けられる気がした。
《あいつ…流星の態度がいつもと違っただろう?おかしなことも口走ってたし、もしかしたら西島さんを不快にさせたかもしれないし、もしそうならその誤解を解きたかったんだ》
それは、至極真っ当な理由に聞こえた。
―――――天乃くんの後ろで、誰かの話し声が聞こえるまでは。




