13
「―――姉さん、誰か来たの?」
二階から音弥も降りてきたので、私についてきていた彼らが大慌てで壁の中に姿を隠した。
私が一人でいるとき以外は姿を見せない、その約束を厳守してくれていたのだ。
私は音弥に心配かけないために、笑顔を作ってみせた。
「うん、大学の知り合いが来たみたい。お父さんやお母さんじゃないから、音弥は自分の部屋にいていいよ」
「そう?」
音弥は階段の途中で立ち止まり、私を見送った。
私は姿は見えないけれど彼らの存在を感じながら、傘を開いて玄関を出た。
「―――――天乃くん?」
驚きと、怪訝さと、いささかの不快感を混ぜて名前を呼びかけた。
天乃くんは傘を少し持ち上げて、顔をハッキリと現した。
「突然自宅まで押しかけてすまない」
真っ先にそう詫びた天乃くん。
彼にきちんとした常識が備わっていることは、ここ最近の極薄の関係性の中でもすでにわかっている。
でもじゃあなぜ、そんな非常識な手段を取ってでも私に会いに来たというのだろう?
疑問は深まるばかりだった。
「どうして私の家がわかったの?引っ越してまだ間もないし、友達にも新しい住所は知らせてないのに」
まずはそこから説明してもらわないと。
私相手にそんなことはないだろうけど、状況証拠だけ見れば、ストーカーの疑いを持ったっておかしくない。
言外に軽い憤慨を忍ばせれば、天乃くんはもう一度「すまない」と小さく頭を下げた。
「実はこの近くに母親の祖父母の家があって、俺も土地勘があるんだ。最近になって、その祖父母が家の近くに有名な小説家と作曲家のご家族が引っ越してらしたと騒いでいた。よくよく聞けばそれが西島さんのご両親だったというわけなんだ。別にストーカーじゃにから安心してほしい……と言ったところで、毎日毎日何かと絡んでいた俺に説得力はないかもな」
フッと、自虐的に唇の端を歪めるそれだけの仕草でも、天乃くんがするととても様になった。
イケメン度合いでいえば軍服マントと互角だろうか。
そしてどことなく、大学内で接する天乃くんとは態度が違うような気もした。
どことなくだけど。
「……それなら納得したわ」
「よかった」
「でも、いったい何の用事?」
間髪をいれずに問い質すと、天乃君くんは傘を右から左へ持ち替えた。
それは、言葉を選んでいる時間かせぎのようにも思えた。
「俺が大学で話しかけると、西島さんには迷惑になると聞いたから。大学の知ってる人間がいないところなら、迷惑にはならないだろうと思って、ちょうど休校になったこの機会に訪ねさせてもらった。連絡先は知らなかったから、事前に断わりを入れられなかったことは、すまない」
どこを切り取っても、筋の通ってる理屈ではあった。
ただ、そうまでして私に会いに来るだけの理由は、いまだに理解できないのだ。
「だから、そこまでして私に会う必要があるの?それに、私が迷惑してるって、いったい誰に…」
いったい誰に聞いたの?
そう追及しようとしたけど、天乃くんの目線がふと私の背後に逸れて、私もつられてそれを追った。
すると玄関扉が開かれ、音弥がこちらを窺っていたのだ。
「…………もしかして、弟さん?」
私に弟がいること、天乃くんがどうして知ってるんだろう。
そう疑問を口にするよりも早く、天乃くんが「制服着てるし、弟さん…で間違いない?」と再確認してきた。
ああなるほど、そういうこと……
私は普通に納得し、頷いた。
「うん、そう。いつもは高校の寮に入ってるんだけど、今日帰ってきて……」
「そうか………弟さんがいるなら、俺は帰った方がよさそうだ」
「え?でも私に何か用があったんじゃ……」
すぐさま踵を返そうとする天乃くんに、思わず引き止めるような声をかけてしまった。
けれど天乃くんは
「いや、邪魔してすまなかった。これからはなるべく大学では声をかけないようにするから」
と、まるで会議での決定事項を通達するように、極めて事務的に告げたのだ。
その温度は、これまで大学で見てきた天乃 北斗 そのものだった。
さっき私が感じたいつもと違う雰囲気は気のせいだったのだろうか?
そう思うほどに、天乃 北斗 は淡々とクールになっていた。
もう大学内で声をかけないでくれるなら、それはまさに私が望んでいたことに違いない。
けれど、こうも突然に態度を豹変されてしまうと、その理由や裏にある事情にも目を向けたくなる。
このあまりにもピッタリなタイミングから、私が迷惑してると天乃くん自身に助言した人物は南先生しか思い当たらないからだ。
ひょっとして二人は以前から知り合いだったの?
けれどそれを問い質そうとした私を、天乃くんは見事にかわした。
「じゃあ、これで」
「ちょっと待って、天乃くん!」
天乃くんは呼び止めには応じず、サッと体をひねる。
そして後ろに一歩を踏み出しかけたところで、思い直したように足を止め、すっと指差した。
私の背後、音弥のいる玄関方向を。
「弟さん、心配そうに待ってる」
「あ……」
ちらりと、首だけをまわして音弥の気配を掴む。
「………仲がよくて羨ましいよ」
「え?」
ボソッと落とされた呟きは聞き取れなかった。
なのに天乃くんはどうでもいいとばかりに、静かに首を振ったのだ。
「いや、なんでもない。……それじゃ、また。声をかけないと言っても、挨拶くらいは許してほしい。それさえもなくなったら、今度はまるで喧嘩別れでもしたと誤解を招きそうだから」
「それは構わないけど、でも、あの……」
一方的に言い残して立ち去ろうとする天乃くんは、もう私の呼びかけも一切取り合ってはくれなかった。
なんだったら私の声なんて聞こえてないかのような素っ気なさで、さっさと帰っていってしまったのだ。
……………なんなのよ。なんなのよいったい!
沸々と、怒りが煮えあがってくる。
勝手に家まで来たくせに、勝手に完結させて帰っていくなんて、いったい何がしたかったわけ?
そもそも、今日に限らず彼は何の目的があって私に接してくるわけ?
これが恋愛感情とかが絡んでるならまだ理解もできるけど、そんな素振りは1mmだってないし、だったら彼が私に話しかけてくる意味がわからない。
罰ゲームとかでもなさそうだし、仮にそうだったとしても、彼が私にまとわりつくようになってもう一か月以上になるのだから、いい加減、何かボロが出てもおかしくないはずなのに。
それに、南先生との関係は?
自分の都合で私に話しかけて質問していくくせに、こちらの疑問は何一つ回答しないなんて、自分勝手が過ぎるじゃない!
怒りの上昇が止まらない。
だけど玄関まで戻ってくると、心配そうな音弥の目とぶつかって、我に返った。
「姉さん、大丈夫?」
「ああ………うん、ごめん、ちょっとイライラしちゃった」
私は傘を閉じながら答えた。
なるべく自然に。
「今の人のせい?」
「まあそうだけど……ううん、もういいの!あんな変な人のことは気にしないから。それより音弥、もう寮に戻るの?」
音弥はスポーツバッグを掛けて、靴もすでに履いている。
「うん、そうするよ」
「あ、傘は持ってる?結構降ってるけど」
「いや……」
「じゃあこれ持っていきなさいよ」
私は今自分が開いていた傘を差し出した。
「でもこれ、姉さんの傘だろう?」
「いいのよ。私は他にもあるし。これなら紺色で音弥も使えるでしょ?」
「………ありがとう」
音弥は遠慮しながらも傘を受け取って、じっとそれを見つめた。
そして、
「姉さん、さっき言ってた、名前のことだけど………」
こちらを見ずに、何か記憶の糸を辿るように視線を浮かせて言ったのだ。
「名前?」
「姉さんの名前の由来」
「ああ……」
「………たぶん、姉さんは誤解してるんじゃないかな」
「え?誤解って……?」
「もう一度、ちゃんと訊いてみたらいいよ。姉さんの名前の由来を。誤解したままだとしたら、もったいないから。時間も、気持ちも」
音弥は穏やかにそう告げると、最後は私と目を合わせ、「それじゃ、行くね」と、傘を開いた。
「あ、待って。門まで行くから」
雨足が強まる中、私は別の傘を手に取り、音弥と並んで歩き出す。
「またいつでも帰っておいでね。お父さんは取材旅行中だし、明後日からはお母さんもスタジオ入りで家に帰ってこないから」
「ありがとう、姉さん」
「気をつけてね!」
私は、音弥の背中が見えなくなるまで見送った。
何があっても、私は音弥の一番のファンだからね。
頑張って!
心の中で、何度も何度もそう繰り返しながら。




